十代を生き延びる 安心な僕らのレジスタンス

第7回 君もワンチャン狙ってるの?

寺子屋ネット福岡の代表として、小学生から高校生まで多くの十代の子供たちと関わってきた鳥羽和久さんの連載第7回です! 子どもたちが使う「ワンチャン」という言葉は、すっかり定着して日常語になった感じがします。なぜ若い人の間で広まったのかを考えます。

この連載は大幅に加筆し構成し直して、『君は君の人生の主役になれ』(ちくまプリマー新書)として刊行されています。 刊行1年を機に、多くの方々に読んでいただきたいと思い、再掲載いたします。

ワンチャンって何だろう?

「先生もワンチャン狙って女の人に声を掛けたことありますか?」

数年前に中3の男の子からそう尋ねられたことがあって、ワンチャンって言葉は下品だなと呆(あき)れたことがあります。私は思わず「そのワンチャンの用法、どこで覚えたの?」と彼に聞き返しましたが、彼は「みんな使ってますよ」とニヤけるだけなので、「そんなこと言ってるとキモいカスだと思われるよ」と暴言とも取られかねない言葉を吐いてしまいました。

去年の秋には高3の受験生が「AO入試はワンチャンあるかもしれないからとりあえず受けときます」なんて言うから、「入試ナメすぎでしょ。AO入試受けるならそれなりの準備が必要だよ。一般入試の人が勉強してる間に他のことをやらなくちゃいけないんだからむしろリスクがあるのわかってんの?」といかにも真っ当な返しをせざるをえなくなりました。私はこのときたぶん、入試をナメてる彼に憤(いきどお)ったというよりは、自分の未来の不確定性を軽く扱おうとする彼の構えに反発したのだということが、いまならわかります。

日ごろ接している子どもたちが「ワンチャン」という言葉を急に使い始めたのは2013年ごろのことでしょうか。すぐに廃(すた)れるかなと思っていたら、それどころかいまや誰もが使っていて、日常語として定着した感さえあります。

先月の国文法の授業のときに「ワンチャンって副詞ですか?」と中2の生徒から質問されて、「名詞として使うことや、「ワンチャンある」の形で動詞として使うこともあるけど、確かに副詞の用法がいちばん多いね」という話になりました。授業後、その子と「ワンチャン辞書にも載ってるかもね」と言いながらいっしょに調べてみたら、すでに2019年版の『大辞林』(三省堂)には「ワンチャン」が確かに掲載されていました。

「ワンチャン」の用法については、もとは「一縷(いちる)の望み」くらいの意味だったのが、そのうち「もしかしたら」「たぶん(いける)」のような意味で使われるようになって、いまや「別に」くらいの軽い意味でも使われています。「今日の夕飯、カレーでもいいけど、ワンチャンうどんでもいいよ」みたいな感じです。使用が広まっていくうちに、最初の頃にあった露骨な下品さが身を潜め、その代わりに図々しさは増したなと感じます。

偶然性の時代のワンチャン


この言葉が若い人たちの間に広まったのには理由があると私は思っていて、それはいまが「偶然性の時代」だからです。グローバル資本主義の現在、私たちの足場はいままでになく不安定です。成長神話はすっかり過去の遺物(いぶつ)で、将来に対して明るい展望を抱(いだ)くことが難しくなっています。

じゃあこのやり場のない射幸心(しゃこうしん)をいったいどうしたらいいの? そんな時代のリアリティの中で「ワンチャン」という言葉が若い人たちの間で囁(ささや)かれ始めたのです。

かつての成長神話に経済成長という実質が伴っていたのと同じように、「ワンチャン」にもそれなりの実態があります。現代は自分の能力をマネタイズできる経路がかつてないほど増えていて、例えばうちの教室でもつい先日、中3のMくんがWebデザインのコンクールで数十万円の賞金をゲットしたばかりだし(すごいね!)、他にもYouTuberとして収益化に成功して、親からもらう小遣いよりも多い月収を得ている高校生もいます。つまり、誰もがワンチャン狙える時代になったというわけです。

このような、生まれた土地や環境、さらに年齢や性別に関係なく、誰にでもチャンスがある状況をもたらしたのは間違いなくデジタル化とインターネットの普及です。パソコンとネット環境さえ整えば、これまでハンディだと考えられていたことを飛び越えて、自分で自由に可能性を広げることができるなんてすごい時代だと思います。

昨今の「小中学生がなりたい職業」のアンケート(新聞社主催)ではたびたびYouTuberが首位になって、その結果を見た大人たちの多くが眉をひそめます。でも、努力に加えて恵まれた環境や才能が必要な医者やパイロットに比べると、YouTuberは誰でもワンチャン成功する可能性があるんですから、子どもにとってこれほど「夢がある」職業はないだろうと思うのです。