重箱の隅から

「コロナ後の世界」には女はいない、あるいは、分別と多感②

 30年前の1991年8月19日のクーデター未遂事件によって、超大国ソ連崩壊の引き金が引かれた、と語られる歴史をふりかえるといった類のテレビ番組や新聞の特集記事を目にすることが極端に少なかったのは、もちろん、コロナとオリンピックのせいなのだろうが、数少ない記事の一つを目にして、私が思い出したのは、ソ連クーデター未遂事件というより、それを伝えるNHKテレビのニュース映像というか、である。
 たしか、で放送されたは、NHKのモスクワ支局(おそらくクレムリンとそう離れてはいないビルの5階かそこらにあるらしい)の外に明りが漏れるのを恐れるかのようにブラインドが閉ざされた窓辺で支局長(時期が時期だけにニュースの度に登場していた)がブラインドをわずかに手で押し開き、その隙間を覗き込むようにして、ああっー、と驚きの絶叫があって、見えます、見えます、装甲車が次々と何台でしょうか、おそらくクレムリンに向かっているのでしょう、と語り、画面は支局長の窓下を覗く視点に切りかわって望遠レンズで大通りを進んで行く何台もの装甲車が映されるのだった。
 3日で終わった旧ソ連軍のクーデターというは、もちろん、ここで私が語ったりする問題ではないのだが、その時点で同時にCNNをはじめとする海外メディアが、装甲車を同じ撮影した映像が流されていた。
 首都の中心部をソ連軍の装甲車が進む、という情景は他の国の首都でのことならば、さほど珍しいことではないとも言えるが、これはロシア共和国が成立しエリツィンが共和国大統領だった時代の、モスクワでおきた事件だった。
 クーデターだの革命だの戦乱だのという事件ではなく、大きな台風――と言っても風速が40メートルを超えるか超えないか程度の――が近づいて上陸が予想される地域の状況を伝えるニュースでもNHKは、その地域の県庁所在地で、NHK支局が入っているビルの玄関先の歩道が濡れ、水溜りが出来てやや雨足が強くなっているようにも見えはするが、レンズに雨滴のあとさえついてはいないところを見ると、それでも一階にまで下りてきて、ガラス扉越しに撮ったと思われる映像が流されることを思い出したものだった。ちょっとした――雨に打たれる程度の――にも決して近づかない
 3日で終わった、旧ソ連軍のクーデターのモスクワ市内における装甲車の映像を、他のメディアのクルーのように近々と撮影することが、こわごわとビルの上の階の窓のブラインドを少し広げて覗き見することで代替しなければならない程危険なこととは思えないではないか。軍はいつものように外国で蜂起した市民を鎮圧しに来たのではないし、NHKモスクワ支局はもちろん、を含めて何もしていない。
 と、そこで思い出したのが(大仰にすぎるかもしれないが)テオ・アンゲロプロスの『ユリシーズの瞳』(’95年)だ。バルカン半島の歴史の空間と時間を貫く壮大な、旅の映画の中の一シーン、映画監督(ハーヴェイ・カイテル)がベオグラードに滞在するギリシャ人記者から聞かされる事実「戦地の記者」の「危険こそ我が職業」と言われるが、姿である。「特派記者は最新の記事を送るには、。ドルで払えば写真もいくらでも買える(傍点は引用者による。『ユリシーズの瞳』〈バウ・シリーズ作品パンフレットNO.49〉)」と映画の中の記者は語るのだったが、’95年のカンヌ映画祭グランプリ(審査員特別大賞)を受けた『ユリシーズの瞳』が上映後、どのように迎えられたか、パンフレットには次のように書かれている。
「熱い感動につつまれた映画祭会場から嵐のような喝采と拍手が起こり、叙事詩映画の第一人者アンゲロプロスが新たな頂点を極めた大傑作の誕生に、限りない賞賛で沸きかえった。」
 さて、もちろんこれは映画祭会場で上映される映画に湧きおこる賞賛と祝祭的気分の拍手についての、いわば月並みな、あえて言えば慎ましいとも言える表現だろう。しかし、近頃の新聞の映画記者の映画祭報告(むろん、日本作品が受賞した場合に限られるが)は、いつの頃からか、510分、、と、分単位の長さによって、映画祭上映会場で映画を見る者たちの、感動というよりは評価の基準が定められているといった印象の記事であり、受賞者も、あんなに長く続く拍手を受けるのははじめて(時間について数字では触れないが)と語る。量ではなく、長さである。
「10分」とは、映画的にはどのような時間か。もう20年程前になるが世界の15人の「巨匠監督」の10分ずつの短篇を集めた『10ミニッツ・オールダー』(もちろん、玉石混淆の)があり、私たちは『マルメロの陽光』以来10年ぶりにビクトル・エリセの、とてもそれがたったの10分の長さの映画とは到底信じられない短篇、『ライフライン』を見ることが出来、そしてその後、彼の新作を見てはいないのだが、映画にとっての「10分」は、スタンディング・オベーションのまるでヤケとしか思えない長すぎる十分ではなく、映画そのものの時間だろうと書きながら、パンフレットにはさまれていた広告チラシにこの映画が国際映画祭全58冠に輝いたことが記されているのを見たが、日本人監督が15人の中に入っていなかったせいか、新聞の映画欄でこの映画が受けた賞讃をあらわす、5分とか10分のスタンディング・オベーションに触れた記事を読んだ記憶はない。
 10分という時間は、場合によっては短いものではないのだが、1991年の8月、NHKモスクワ支局の窓下の大通りを装甲車両が、その前を通りすぎるのに、それ程の時間はかからないし、さすがに翌日のクレムリンの脇の広場に並んだ装甲車の列は、NHKのカメラも地上から撮っていただろう。そもそもクーデター自体が3日で未遂に終わったのだから、それ程の緊張感や恐怖があったわけでもないのだ。
 ブラインド越しに報じられたクーデターから30年が過ぎ、1年おくれの東京オリンピックには時間がどのように費されたか。8月18日の朝日新聞の記事(「メディアタイムズ」)によると、NHKは総合、Eテレ、BS1、BS4K、BS8Kの計5チャンネルで放送し、「ニュースを挟みつつ生放送と録画で24時間放送したBS1をはじめ計1千時間を超え、地上波だけで430時間」だった、と呆れかえったといわんばかりなのだが、もちろん、朝日新聞も相当以上の紙面は時間に換算されないものの五輪報道に割くというより入れあげ、めくってもめくっても、エンジェルスの大谷の活躍とオリンピック、高校野球と商品広告だったのだが、新聞の紙面については触れず、NHKの通常1時間の「ニュースウオッチ9」が、15分か30分に短縮された一方、通常は30分の「ニュース7」が台風接近や緊急事態宣言の拡大の際には「大幅に拡大」されたと書いているが、それがどうした、である。
 見てはいないから実際には耳にしていないのだが、五輪実況中継では、をいい気になって、絶叫調に叫びたてる若い男のアナウンサーや解説者が話題だったらしいが、もちろん、これはスポーツの国際的イベントに日本人選手が出ている場合に歴史的に必然の発声法なのだから、さえなかったら、それを少しでも奇異に思う者は多くはなかっただろうし、朝日の記事によれば、広島の原爆記念式典の中継は行われたものの、例年地上波で放映している特集番組は昭和53年以来43年ぶりに放映されなかったそうだ。では、昭和53年(’78年)という年はどういう年だったのか。3年前の昭和50年は、どんな年表にも、昭和天皇のはじめての記者会見(テレビで放映された)が10月31日に行われ、原爆投下は「やむを得ぬ」ことだったという発言が話題になり、はじめてと言えば、当時68歳になる小説家藤枝静男が新聞の文芸時評というものを半年の連載(「東京新聞」)で書いた年でもあった。私小説家らしい率直さで、文芸雑誌に掲載された小説を十何本かと、愛読していた連載の終了した小説や評論、興味深く読んだ作家と批評家の対談などを取りあげ、的確かつ厳しい古風な小説家らしい飾りのない鋭い批評に感動を覚えたのだが、藤枝は天皇はじめての記者会見(!)の内容に心底腹を立て、文芸時評の中でとりあげていたのだが、今日では、小説家(唯の、ではなく毎年ノーベル賞の候補になる)がラジオ番組の中で、菅首相のコロナ感染状況についての、長いトンネルにようやく出口が見え始めているという、根拠のない発言を取りあげたことが、「村上春樹さん首相を批判」というタイトルで新聞の記事になる。同い年の自分には全然見えていない出口が見えるとは、聞く耳はあまり持たないみたいだけど目だけはいいのかも、と「皮肉った」と記事は伝えている。
 首相とオリンピックとコロナ政策への批判など誰でも普通に書き、口にしていたではないか。「皮肉」程度のことを口にしたことが大したスペースではないとはいえ顔写真入りの記事(8月30日東京新聞夕刊)になるという事態は、ジャーナリストとして現実を、に見るということに近いのではあるまいか。記事は「その上で「僕らは今、本当の出口が見えてくるまで、うまく生き延びてやっていくしかありません」と呼び掛けた。」と終わる。5月に評判になった宝島社の大型新聞広告を見た時と同質の違和感が残る。
 しかしそれも、アフガニスタンからアメリカが軍隊を撤退させたことにともなってタリバンに制圧された首都から、いちはやく自分たちだけ逃げ去った日本大使館員たちの振舞いに比べればささやかなエピソードにすぎないだろう。
〈この項つづく/次回は12月号に掲載します〉

 

 

 

 

 

 

 

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