ちくまプリマー新書

日本がダメでも自分がよければそれでいい…のか? データが明らかにする若者世代の低い「自己効力感」
『「日本」ってどんな国?』より本文を一部公開

好評発売中の本田由紀『「日本」ってどんな国?』(ちくまプリマー新書)は、「家族」「ジェンダー」「学校」「友人」「経済・仕事」「政治・社会運動」といった日本社会のさまざまな面を世界各国とデータで徹底比較する一冊。「あたりまえ」だと思い込んでいたことが、実は「変」だったことに気付かされます。この国のグダグダな現状に慣れ切ってしまった私たちに「幸せ?」と問いかける第七章より、本文の一部を公開します!

見つからない意味、低い自己効力感、強い不安

 まずは、図7-1を見てください。これは、高校1年生を対象とするPISAの2018年調査において、「生きる意味」についての意識をたずねた結果です。3つの質問項目への回答を合成して作成された「生きる意味」指標の国別平均スコアをグラフ化しています。

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「日本」を見つけられましたか? はい、調査に参加した73カ国・地域の中で、日本は最低です。「何のために生きてるのかわからない……」という気持ちを抱えながら日々を送っている若者が圧倒的に多い国、それが日本なのです。

 続いて表7-1も、図7-1と同じ調査から、「自己効力感」に関する質問5つと、「失敗不安」に関する質問3つについて、それぞれ肯定する回答の割合を国・地域別に示しています。「自己効力感」は高いほうが望ましい、「失敗不安」は低いほうが望ましい、という考えのもとに調査された結果です。そして表の中で灰色になっている部分は、「自己効力感」については日本以下の、「失敗不安」については日本以上の国を表します。


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特に「自己効力感」については灰色が少ないですね。これはつまり、日本よりも「自己効力感」が低い国が少ない、すなわち日本の「自己効力感」はこれだけの国・地域の中で最低レベルだということです。5項目のうち3つでは最下位から2番目、2つでは文字通り最下位です。最下位の2項目は、「自分を信じることで、困難を乗り越えられる」と「困難に直面したとき、たいてい解決策を見つけることができる」です。敵を倒していく日本製アニメなどでは、強敵が現れたときに、しばしば主人公に「ぬおおおお!」と謎の力がわいたりしてやっつける、ということが定番ですが、実生活ではそんな感覚とはほど遠いようです。

 他方の「失敗不安」を見ると、日本は「失敗しそうなとき、他の人が自分をどう思うかが気になる」は高いほうから5番目、「失敗しそうなとき、自分に十分な才能がないかもしれないと不安になる」は高いほうから3番目と、かなり高位につけています。

「他の人にどう思われるか」と「才能」に関して日本の失敗不安が相当に高いということは、他者からの「視線」と、自分自身の「才能」との両面を常に気にしなければならない状態があることを意味します。なお、総じて、中国やシンガポールなど、東アジアの国で「失敗不安」は強くなっているようです。

 もう一つの「失敗しそうなとき、自分の将来への計画に疑問をもつ」については、灰色の部分、つまり日本以上にその度合いが強い国・地域が多く、日本でこの不安がそれほど顕著ではないことがわかります。ただしこれは、「将来への計画」が日本では明確ではないことによるものかもしれません。

 図7-1と表7-1で見る限り、日本の高校1年生は、多数の国・地域と比較しても、生きる意味の感覚や自己効力感はきわめて低く、失敗することへの不安はかなり強いという、なかなかつらい結果になっています。

 他の調査として、たとえば内閣府の「我が国と諸外国の若者の意識に関する調査(平成30年度)」を参照しても、日本の若者(13〜29歳)は、「私は、自分自身に満足している」「自分には長所があると感じている」「うまくいくかわからないことにも意欲的に取り組む」などの項目で、韓国、アメリカ、イギリス、ドイツ、フランス、スウェーデンという他の6カ国と比べて明確に低くなっています(表は省略)。これらが単に、日本人は否定的な回答をしがちだからだ、で片付けられないのは、他の「自分は役に立たないと強く感じる」「人は信用できないと思う」などの項目については、日本の回答は他の国々とあまり変わらないからです。

 要するに、「自分はハッピーだから日本という国のことなんて関係ねえ!」とはほど遠く、日本の若者の中には、日本固有と言っていいようなネガティブな人生観や自己認識、不安などが色濃く観察されるのです。この国で生きる若者たちは、知らず知らずのうちに傷ついている。本来ならそうでなくて済んでいたかもしれない鬱屈に、明らかに浸されているのです。

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