昨日、なに読んだ?

File70. 世の中が息苦しいと思ったときに読む本
A・ブルトン編『黒いユーモア選集』1,2

紙の単行本、文庫本、デジタルのスマホ、タブレット、電子ブックリーダー…かたちは変われど、ひとはいつだって本を読む。気になるあのひとはどんな本を読んでいる? 各界で活躍されている方たちが読みたてホヤホヤをそっと教えてくれるリレー書評。

 世の中が息苦しい。……と言えば、言った瞬間に「そんなことを言うのはポリコレに疲れた差別主義者だろう」「昭和のおっさんが倫理観をアップデートできていない」という罵倒の声を浴びるだろうと瞬時に反射的に思い浮かんでしまうほどには、この倫理観は私の中に内面化されている。

 もちろん、差別やハラスメントに苦しんでいる人の味方になりたい。怒りももっともだと思う。しかし、過度に倫理的な状態を自他に苛烈に要求してしまうと、神経症のようにビクビクと生きなければならないようになってしまい、その状態の生がたいへん貧しいように感じられてしまうのも事実なのだ。

 筆者自身も、人のことを糾弾してきた。糾弾されるようなことだって、過去にしてこなかったわけでもない。炎上に加わって差別やハラスメントをSNSで糾弾したことも、逆に炎上させられたことも数知れない。だから、この息苦しさは、自分自身もそれを生み出した一人である。その毒が、自分に回ってきてしまったようなものだ。

 差別や暴力やハラスメントがなくなったほうがいいに決まっている。それは正しい。そう思っているのに、息苦しい。「正しさ」は「正しい」。それに反対すると「悪」と糾弾されがちな現代である。しかし、正しさには、副作用がある。

 正しさや、倫理は、峻厳である。それは強迫的であり、人を委縮させる効果を持っている。完全主義的で至らないところばかりを次々に責めてくる親やパートナーにずっと批難され続けていたらどうなるのかを考えたら良い。自分自身の倫理や正しさ自体に責められ続けることもある。そうすると、自己肯定感がなくなり、常に批判に怯えて暮らすことになるだろう。これはこれで、問題である。

 そこから救われるためにこそ、笑いやユーモアが必要なのだ。

 たとえば、落語では、ダメな人間のダメな業を、笑いながら愛し許容する。それは、「世界とはそういうもの」「人間というのはダメなところもあり、ダメな部分もある」と肯定するということである。その笑いを通じて、人々は自己を責め苛む罪悪感、義務感、強迫観念を緩めることができる。ユーモアの持っている、この積極的な機能は、今こそ改めて振り返るべきものではないだろうか。

 もし、あなたも世の中の「正しさ」に息詰まる思いをしているのなら、「シュルレアリスム宣言」のアンドレ・ブルトンが編んだ、この『黒いユーモア選集』を読むと良いかもしれない。

 ブラック・ユーモアとは、「烈しくまた陰気な冗談」(p27)のことである。人間や社会の暗部を題材にしたユーモアと言っていい。人間や社会の暗部を覗き込みつつ正気を保つ為には、ユーモアが要る。

 本書の「アイルランドの貧民の子供たちが両親及び国の負担となることを防ぎ、国家社会の有益なる存在たらしめるための穏健なる提案」で、『ガリヴァー旅行記』の著者であるジョナサン・スウィフトは、アイルランドの貧困を解決するために赤ん坊を上流階級の食卓に出す食べ物にしてみてはどうかと提案している。

 もしツイッターでこんなことを言ったら、即座に炎上で丸焼けになり、社会的に死ぬであろうことが予測される。しかも、彼の職業は司祭だった。

 だが、そのように脊髄反射的に反応するべきだろうか。もう少しゆっくりと、彼の発言の真意を理解するように努力しても良いのではないだろうか。

 この文章が発表された1729年当時のアイルランドは本当に貧しかった。乞食をしている子供たちがその辺りにたくさんいるような状況である。彼らは身売りをしたり、犯罪者になったり、戦場に身を投じたりする運命にあった。その原因の一端は、堕胎を禁じているカトリックであり、そしてスウィフト自身がその宗教の司祭なのである。

 貧しさの惨状の中で子供たちが苦しんでいても、富裕層は贅沢を尽くし、司祭たる彼はこの状況を解決することはできない。このような複雑に入り組んだ人生の状況、どん詰まりのようなところにおける、絶望と怒りと無力感の中で、ブラック・ユーモアは生まれる。スウィフトが怒っていることは明らかだ。赤ん坊は「地主たちにとって、大変ふさわしい食物となるだろう。かれらはすでに、父親たちの大部分を食いものにしてきたのだから、その子供たちをも食いものにする権利を、もっともよく所有しているように思えるのだ」(p40)。

 ユーモアとは、肯定であり、同時に叛逆でもある。それは、神や、運命や、死などの、人間に降りかかる絶対的に厳しい力に対して、人間の精神が反抗することである。フロイトの挙げる例で言えば、間もなく訪れる死の直前にでも、「今週は幸先がいいようだぜ」と言い捨てられるような、人間の精神の不服従の証である。

「《青春期の絶対的反抗と青年期の内的反抗》との彼方に、精神の高度の反抗を提示している」(p15)のがユーモアであると、ブルトンは言っている。実際にブルトンがこう書いたのは、ナチス政権にパリが支配されている時期であり、本書は発禁処分を受けており、後にブルトンは亡命している。ブラック・ユーモアそのものが、ある種の政治的な反抗でもあり、抵抗でもあった。

 私たちは世界の理不尽や不条理、残酷さや不正と戦わなければならない。しかし、人間や社会の暗部を見つめながら、なおかつ正気を保ち、そして倫理や正義の苛烈さによって自他を苛んでいくことを避けるために、ユーモアの持つ力を思い出してもいい。自身の存在、生、世界そのものを肯定するために。その方が、社会はきっと良くなる。
 

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