オトナノオンナ

第6回 ヲトメノイノリ(前編)

おとなびた幼稚園児がいる、少女のような老婆がいる……。さまざまな年代の女性の仕事、生活、恋愛、を丁寧に追いながらそれぞれの「オトナノオンナ」を描く、一話読み切り小説。 

 

 残暑きびしいなかのおはこび、厚く御礼申しあげます。
 もういいかげんに、暑いしんどいと申しあげたくもございませんが、ことしの夏はずいぶん気が強いと申しましょうか、KYというのでございましょうか、トリプル台風なんかが来てもなかなか動く気配がございません。例年でしたら暦も九月になりますと、朝晩はいくらかすーっとした風が過ぎるもので、それからお寺の境内で鳴いていた蝉も日ごとにおとなしくなる。
 そうすると、蝉といっしょにさわいでた子どもたちも、しおれますね。二学期でございます。まあ、だいたいの子どもさんは夏休みの宿題を終わらせないまま、学校がはじまってしまいますでしょう。最初の日は始業式だから出さなくっていいやと思って、ことしは、一日が木曜、二日が金曜ですから、そらっとぼけて来週五日の月曜に、なんとかそろっていればいいって算段ですよ、あいつらは。修羅場は九月三日、四日でございます。お天気調べだの、朝顔の観察日記だの、自由研究。親子で徹夜でございましょう。
 とはいえ、これも日本の風物詩と申しますか、お客さまも覚えがございますでしょう。むかしっから子どもなんていうのは、遊びほうけて夏が過ぎて、あっぷあっぷになっていてあたりまえなんでございます。ところが、いまの子どもさんときたら、いろいろ習い事やら塾に通ってるから、ほんとうに苦労が多い。かわいそうですね。文武両道なんて親もできなかったことをいわれて、塾や計算教室のない日は、スイミングだバレエだ、テコンドーだって大忙しなんですから、寸暇を惜しんで、寝ないで遊ばないといけない。大変でございます。
 親御さんがた、ちょっと急ぎすぎじゃございませんかと申し上げたくなるときがございますね。
 たしかに、右も左もわからないうちに仕込んでおけば、いずれ芽が出ることもございましょう。あれは世阿弥がいい出したらしいですが、芸事は六歳の六月六日から始めなさいなんて、いわれたものです、昔だって。それにしたってねえ。いまなんて、おむつしてる赤ん坊からプールに通うんだそうですからねえ。さっきまでおっかさんの腹んなかで泳いでて、ようやっと出てきたら、また泳がされちゃうんですから、あれじゃあ、生まれてきたって実感もわかないんじゃないでしょうかね。赤ん坊ならまだいい。胎教だってすごいでしょう。これから世間の荒波を渡ってかなきゃならないのに、生まれるまえから泳いでたら、そらあなた、くたびれもいたします。それでなくても、ご長寿高齢化まっしぐらの日本なんですから、そんなに急がなくってもと思いますがねえ。子どもなんていうのは、一日がかりで泥だんごまるめたり、蝉のぬけがらを袋いっぱいに集めちゃったりね、そういうくだらないことに熱中する生きものなんです。そういう馬鹿なことをしておかないと、いつかどこかでぽーんと破けちまうような気がいたします。
 せまい島国、そんなに急いでどこへいく。ねえ、いまの世のなか、習い事なんて、六歳からじゃなくて、五十の手習いくらい、いえいえいっそ六十六歳の六月六日からでもちょうどいいくらいなんじゃないですか。
 もうすぐ敬老の日が参りますけれど、うちの町内会の長老のみなさまなんて、それはもうすばらしいかくし芸を披露なさっていますよ。手品ですとか、フラダンスですとか、南京玉すだれとか。若いうちは一生懸命働かれて、それからのんびりと趣味に没頭しても、じゅうぶん間にあう世の中ですよ、そんな町内のおはなしで……。

「ごめんくださいまし。」
「はーい。あらまあ、佃甚のおかみさんじゃあありませんか。先だっては、どうもお手間をおかけいたしました。」
「いえいえ、とんでもないことでございます。いつも御贔屓にあずかりまして、ありがとう存じます。」
「ほんとうに、いつもどっさりお願いして、恥ずかしくなっちゃうんですけどね。宅の実家では、盆暮れのお待ちかねなんですのよ。親戚じゅうが、佃煮は千住の佃甚しか食べないって、切らしても我慢してるらしいんです。義理の姉がおいしい、おいしいって触れまわるもんですから、うちもうちもって、さしあげるところがどんどん増えてしまって。お忙しい時期に、すみませんでしたねえ。ええと、それで、きょうは。もしかしてお会計でしたかしら。注文で頭がいっぱいでうっかりしたのねえ、すみません。」
「いえいえ、めっそうもない。お見えいただきましたときに、きっちり頂戴いたしました。ほんとうに奥さまのおかげで、だんなさまの地元、甲府のデパートからも注文を頂戴しまして、秋からは置いていただけるようになったんでございますよ。うちは、ほんとうにありがたいばっかり、御礼のしようもないことでございます。」
「そうなんですってねえ、ききましたわ。宅の実家ではいまから買いしめるって鼻息荒くしてますわ、ほほほほほ。ええと、それじゃあ。あ、お孫さんのお迎えでしたか。おたくのエビ子ちゃん、元気がいいわねえ。ちっちゃい海老みたいに、よくはねて、ほっぺがあかくって。いきがよくて食べたくなっちゃうわね。」
「ほんとうに、落ち着きのない子どもで、お嬢さまにはご迷惑をおかけいたしまして、申し訳ないことで……。」
「いえいえ、いま呼んできますわね……。あら、きょうは月曜。お稽古のない日だわ。」
「はい。きょうは、実を申しますと、折り入って、こちらにお願いごとがございまして……。」
「あら、そんな深刻なお顔なさって、いったい、どうなさったんですの。お力になれることなら、遠慮なさらずおっしゃってくださいまし。残念ながら昨年交替いたしましたけれど、この小川まつ子、三十年の長きにわたり、町内会婦人部長を務めさせていただきました。日ごろの佃煮の恩返し、ぜひお力にならせていただきます。」
「大変ありがたいお言葉、いたみいります。ですけれど、じつはあの、本日は、お嬢さまのゆりこさんにお願いごとでございまして……。」
「えっ、ゆりこ。うちのあの、ものぐさ娘のゆりこですか。まああらあら、ほほほほ。そうおっしゃいますが、奥さま、あれにお力になれることなんて、あるんですの。ほんとうにピアノを弾くしか能のない娘なんですのよ。それも、ここだけの話ですけれど、ピアノだって。あれは、ほんとに子どものまんまで、いまだにピアノを弾くのがいやでいやでしかたがないんですの。毎日口をすっぱくして、弾かせてるんですのよ。ピアノの先生が練習ぎらいなんて、世界でゆりこだけ。きいたことがない話ですよ。もう恥ずかしいやら、情けないやら。きょうなんて、お稽古がお休みでしょう。まだ寝てる、もう二時ですよ。ほんとうに邪魔で邪魔で邪魔で邪魔で、ああいやだ。ああいうトドみたいな人間のこと、おかみさん、なんていうか御存知ですか。パラシュート・シングルっていうんですの。」
「はあ、すてきなお名前があるものなんでございますねえ。ですが、よそのお子さんに教えられるのは、さぞかしご苦労なことと思います。お疲れなんでございましょう。それでは、もうすこしあとになって、夕方、お目覚めになられたころ、改めておうかがいさせていただきます。」
「だめだめ。夕方になると、ふらっと出ていって、どっかで一杯ひっかけてくるんです。いまどき、そこの長屋の噺家さんだって、もっとまじめに暮してらっしゃいますよ。もう、うちは、あれのことはすっかりあきらめました。もう、ゆりこを娘だと思っていないんですのよ。あれはね、ああ見えて、じつは息子なんです。奥さまもそういうことにしてくださいまし。ちょっとお待ちくださいね、いま、うちのゆり太郎を起こして参ります。」
 さて、二階で惰眠をむさぼっておりました、この家の娘のゆりこ。玄関先で母親が悪口をならべておりますのが聞こえまして、さすがになにごとかと目を覚ましました。階段をどすんどすんと降りていきます。
「あら、奥さま、降りてまいりましたわ。うちのパラシュート。」
「お母さん、それ、パラサイトだから。」
「そんなの、なんだっていいのよ、ぼんくら穀つぶしって通じればいいんです。なんなの、お客様のまえにご挨拶もしないで。ほんとにあんたは、パラパラパラパラパラパラパラパラ、みっともないったらありゃしない。生徒さんたちだってね、笑ってますよ。あんたは子どもだからってみくびってるみたいですけどね、こないだは駅前団地のきららちゃんに、ゆりこ先生チョコモナカアイスかじって歩いてたって、いわれちゃったのよ。親御さんにだって見られてるんですから、お願いだから、スーパーのまえで、ぼさぼさ頭で焼きとりの串しごくのだけはやめてちょうだい。」
「そんなの、むかしっからみんなやってたじゃない。いまさら隠したってしょうがないわよ。」
「むかしって、それは野球部の小学生とか中学生とかなら、わかりますよ。お腹がすく育ちざかりなんだから。こないだなんか、先々代の町会長さん、マルトヨクリーニングのだんなさんにもいわれたんですからね。お宅のお嬢さんは、発表会のきれいなドレスを持ってこられたその足で、スーパーのまえで焼き鳥の串をね、八重歯でキューっと、それでもって缶チューハイをごくごくっとって、いやあ水を飲むようないい飲みっぷりでって。もう心臓がとまるかと思った。お嫁に出すのはとうの昔にあきらめてますけどね、お父さんだって、血圧高くなってるんだからね。お父さんの寿命縮めるような親不孝だけはしないでちょうだい。」
「いいじゃないの。チューハイのない焼き鳥なんて、喜多八師匠に申し訳がたたないわよ。この夏は新盆なんだから、いつもより飲んでもたりないくらいよ。」
「だからって、あんたの格好は、ドレスかおっさんかって、キャップをしめすぎちゃってるのよ。」
「それをいうなら、ギャップがありすぎだって。」
「ああもう、ああいえばこういうで。ほんとうに奥さま、おほほほほほ。家の恥をすっかりさらしてしまって。」
「いえいえ、絶妙な丁々発止、さすが音楽家でございますね。親子のいさかいは、どこのうちでもあることでございますよ。ゆりこ先生、お休みのところお騒がせいたしております。じつは、お願いごとがございまして。」
「あのー、そのお話って、もしかすると、お宅のエビ子ちゃんのバイエルを終わらせてほしいってことでしょうか。それでしたらいい機会ですから申しあげますが、あの子はすこし休ませたほうがいいんじゃないかなあって思っているんです。幼稚園からはじめて、ことしで小学六年生。そのあいだずーっと赤いバイエルっていうのは、本人も居心地が悪いと思うんですよ。それに、ひとのこといえた義理じゃありませんが、あんまりっていうか、まるで練習もしないでしょう。こないだは、先生、手首が痛い、ケンショーエンみたいっていうんで、そんなに練習したならってきいてみると、先週よりへたになってる。どうしたのってききましたら、どうもゲームのやりすぎみたいでした。」
「先生、エビ子は、とうのむかしにあきらめてるんです。ここだけの話、あの子はがさつで、不器用で、どうやら母親のほうに似てしまったみたいで……、いえいえ、きょうおうかがいいたしましたのは、あの子のことではないんです。こちらのお教室に、どうか通わせていただきたいというお願いなんでございます。」
「ですから、エビ子ちゃんはちょっとというか、かなり無理かなあと。」
「いいえ、エビ子ではなく……」
「ええっ、もしかして、お宅の鮎太郎っていうんじゃないですよね。アユ公は、娘さんよりさらにひどいと思いますよ。小中九年間、ずーっとおなじクラスだったんですから、よーく知ってます。アユ公は音痴だし、根気はないし、不器用だし、泣き虫で。」
「はい、あれも、うちの主人のほうに似てしまいまして、おっしゃるとおりの音痴で、根気なしで、不器用の泣き虫。いまじゃあ嫁の尻にしかれっぱなし、いえいえ、息子でもないんでございますよ。」
「そうすると、そのお尻のでっかいお嫁さんで。」
「いえいえ。」
 おかみさんは、身を縮めて首をふるばかりでございます。
「だって、お宅のご主人でしたら、おととし亡くなられましたよねえ。婦人部を代表して、弔問におうかがいいたしましたもの。すると、いったい……」
「この、橋本潮子でございます。」
 あらまあ。
 母娘そろって目をみひらきます。そこからは、おかみさん必死です。お願いでございます、お願いでございますと玄関にあたまをすりつけようとなさいます。
 ひとまずここではなんですからと、ふたりしてなんとかあたまをあげてもらう。

 応接間に通されますと、となりの部屋のドアがあいていて、りっぱなグランドピアノが置いてあります。椅子におちつかず、おかみさん、首をのばしてピアノを見つめています。
 ここの娘のゆりこ、がさつでものぐさながら、小さいころから耳がよかった。勉強も運動もさっぱりでしたが、ひとり娘の嫁入り道具にとピアノを習わせてみたところ、びっくりするほどなんでも弾きこなしますものですから、これこそ天命に違いない。ふた親は思いこみまして、あとはもう尻をたたきにたたいて、あれよあれよと英才教育まっしぐらでございました。
 ゆりこのほうも、小さいころはわけもわかりませんから、コンクールに出れば、トロフィーだの賞状だのをもらってまいります。ほめられれば、ちょっとは嬉しい。そうして、高校からは特待生、大学のとちゅうからは海外留学と、とんとん拍子にのぼってまいりました。もう親は、鼻高々でございます。
 ところが、もともとものぐさで練習がきらいな娘ですので、海を渡ってしまえば、親の目が届かない、尻をたたくひともいない。みるまにぐうたらになりまして、飲んで飲んでまた飲んで、Tボーンステーキだ、ローストチキンだ、ロブスターだと八重歯でキューっとしごいておりました。そうしてとうとう、奨学金やら賞金やらをみーんな使いはたして、すってんてんになって親もとに帰ってまいりました。自宅で始めたピアノ教室なんていうのは、親の世間体のためにやっているようなもの。帰国してしばらくは、眠れる獅子と期待されたときもございましたが、新人がどんどんあらわれ、しのぎを削る商売ですから、もうずっと眠りっぱなしでいるのでございました。
「お小さいころに、習っていらしたんですか。」
「いえ、まったく。」
「失礼ですが、おいくつになられます」
「昭和十五年三月生まれで、来年の春に、喜寿になります。」
「あら、宅とおない年でございましたか。お店で働いてらっしゃるから、うちのデブチンよりずっとお若いわあ。」
 ゆりこ先生、母親の声をさえぎるように、ため息をひとつ。きびしい顔をしています。
「ちいさいころ、すこし習った経験がおありでしたら楽しいかもしれませんが、まったくはじめて、ドレミの運指から始めるとなりますと、思っていらっしゃるよりご苦労されるかもしれませんよ。お商売もおありだし、なかなか練習もおできにならないでしょうし。」
「おっしゃることは、ごもっともでございます。ですが、あの孫の、たらたらしたおさらいを耳にしておりますうちに、どうしてもあきらめきれなくなりまして、このまま一生弾かずに終わるなんて、死に切れない。夜も眠れないほど悩んだすえのお願いなんでございます。主人が亡くなり、店のほうは若夫婦はまだまだですが、長くいてくれます腕のいい職人と、店のものたちがございます。来週は、ピアノの部屋の防音工事をすることにいたしましたし、ヘッドホンで弾けるキーボードも届きます。とにかく毎日一生懸命、朝から晩まで、死ぬ気でおさらいをいたします。どうしても、弾きたい曲があるのでございます。いのちがけで指から、血が出ても練習をいたします。」
「それは?」
「乙女の祈りって、ございますね。あれなんです。」
 うーん、あれですか。
 母娘、そろって腕を組みました。
「かなり、難しいですよ。おたくのエビ子ちゃんなら、一生かかると思います。」
「先生、もうその一曲だけ弾けたら、それでじゅうぶんなんでございます。この歳になって、エビ子みたいに一から始めたんでは、もう間にあいません。ほかの曲はいりませんので、あれだけ教えてくださいませ。」
「いきなりで、あれだけ、ですか。」
「はいもう、いきなりでお願いいたします。あれが弾けないと、どうしても死に切れないんでございます。」
「ベートーヴェンならともかく、ピアノ教室の生徒さんが、いのちがけっていうのはおだやかじゃないですね。どうしてまた、そんなに思いつめていらっしゃるんでしょう。なにか、わけがおありなんですよねえ。」
 おかみさん、頼みこんでいたあたまをあげて、となりの部屋のピアノをまた見つめます。
「はい……。昔もむかし、大昔のおはなしになりました。いまでこそ佃甚のおばあちゃんで、この千住がすっかりふるさととなっておりますが、もとは新潟村上の生まれ、実家は海産物問屋をいたしておりました。うえに兄がふたり、つぎに姉がひとりの末っ子、姉とは十も離れておりましたから恥かきっ子でございましたが、家族にかわいがられて、甘やかされて育ったんでございます。
 そう申しましても、時代はだんだん暗くなるいっぽう、戦局もきびしくなってまいりましたところで。うちは、そのあたりでは大きな店でした。兄たちはまだ学校の途中でしたが、店の若いひとたちが兵隊さんになって遠方に出征されました。食糧が配給制になると、蔵のなかにありました昆布もわかめもかつお節も干した魚やするめもみんな持っていかれて、開店休業です。それでも、あの店は昆布もわかめもどっさり隠しているんだろうって。子どもにはわかりませんでしたが、家のものはずいぶんつらい思いをしたようです。
 それだけじゃ、ありません。贅沢は敵といって、きれいなものは、みんな敵になってしまいましてねえ。
 うちは両親が音楽が好きで、戦争がはじまるまえは、蓄音器でいろんなレコードをかけて楽しんでいたのだそうです。兄たちはバイオリン、姉にはピアノを習わせて。応接間には、ピアノがあって。こちらのようにりっぱなものではありませんでしたが、姉は蝉のにぎやかな夏の昼間、ほんとうに小さい音で、ぽろんと鳴らしてくれましてね。それから、秘密よって、からっぽの蔵のなかで、お布団にくるまって、たからもののオルゴールを鳴らすんです。乙女の祈りです。お姉ちゃんは、この曲が上手に弾けるのよ、潮子ちゃんが六歳になったら、教えてあげましょうねって。それはそれは楽しみにしておりました。
 そうして、あれは四つになった夏でした。母といっしょに畑から帰ってくると、家からピアノが運び出されている。金属を供出するようにとのお達しだったのでございます。楽器も、もうただの金属という状況になったんでございます。姉は店のまえで、目にいっぱい涙をためて、ピアノをきれいに磨いておりました。それを、兄たちがリヤカーに乗せて。姉と両親とで、兄たちのうしろすがたをずーっと見送りました。
 六歳になったら弾けるようになると思っていたピアノは、そうして家から消えてしまいました。姉は、泣きだしそうな子どもを抱きしめて、潮子ちゃんが六つになるころには、きっと戦争が終わって、ピアノ帰ってくるわとなぐさめてくれました。けれど、それからは、どんどんお稽古どころではなくなるばかりでした。
 戦争が終わったときは、五歳。父の商売は元通りとはいかなくなって、寝込みがちになりました。兄たちは、まだ学校で家を出ておりましたし、姉はお裁縫が上手だったので、学校をとちゅうであきらめて、呉服屋さんの縫い子に住み込みで入りました。そこで無理をしたんでしょう。かわいそうに、胸を病んで戻ってまいりました。
 あの優しい姉が、すっかりやせて、指も枝みたいになって、病院に送られていきました。お見舞いにいきたいと頼んでも、うつるといけない。けっして許してもらえません。それでいつも、母にお手紙を託しました。
 そのころうちの近くに教会ができまして、オルガンが届いたのでございます。お姉さんが治ったら、そのオルガンで乙女の祈りを教えてくださいと書きましたら、姉からは、いっしょにがんばってひきましょう、その日を楽しみに、病気をなおしますと返事がきました。
 そんな文通も、ひと月ほど。ついに約束はかないませんでした。姉は、二十歳で亡くなりました。最後の手紙には、蔵のおくのりんご箱に隠したオルゴールのことと、乙女の祈りをがんばってひいてください、神様とご先祖さまといっしょに、楽しみにしていますとありました。」

 おかみさん、涙いっぱいでうちあけますと、母娘はもらい泣き。
「申し訳ありません、なにぶん、むかしのはなしでございますから。それからは兄たちが一生懸命働いてくれまして、高校まで出してもらったのですが、やはりお稽古は高嶺の花。父の知りあいのつてで、佃甚で働くことになりまして、東京に参りました。なんのとりえもありませんでしたけれど、村上というのは茶どころでして、お茶をいれるのだけは人並みでございました。それをうちの先代が気に入ってくれまして、そのまま嫁ぐことになりました。両親も兄も、泣いて喜んでくれまして、姉の形見の振り袖でお嫁入りいたしました。ほんとうに、姉に守られて、ふたりぶんの幸せを生きていると思ってまいりました。
 けれども、ただひとつ悔いが残るのは、姉に、なんの恩返しもできなかったこと。約束したピアノも弾けない。せめて、乙女の祈りを弾けるようになってあちらにいきたい。どんなお稽古も耐えます。おばあさんだからといって、御遠慮なさらず、きびしく教えてくださいませ。どうぞ、ゆりこ先生、お願い申し上げます。」
 涙ながらに、あたまをさげます。ゆりこ先生、横目で母親を見ますと、お化粧がどろどろにとれて、顔が溶けたチョコレートパフェみたいになっている。ときおり目頭をおさえつつ、だまって腕組みをしてきいていたぼんくら娘のゆり太郎でしたが、きっと眉をあげた。
「わかりました、やってみましょう。おつらいこともあるでしょうが、約束してください、弱音をはかないでくださいよ。」
 親ほどはなれた押しかけ弟子を見すえて、心を鬼に、きつくいい置いたのでございました。
                  (続く)

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