武田砂鉄

第6回 脱線と読書

「本友」を求めてさまざまな路線を訪ねる旅は、そのルーツともいうべき駅へとたどり着く。最近になって思わぬ注目を集めたその路線の現在に見いだしたものは──。究極の偶然にまかせた読書調査、とりあえずの最終回!

「男女6人が乗っていたが、けが人はいない」

自分がかれこれ20数年間、最寄り駅として利用していたのが西武多摩湖線の武蔵大和駅。注目された経験を持たなかったその駅名がテレビのニュースから連呼されている。台風9号上陸で、武蔵大和駅近くの斜面が崩壊、走っていた車両が脱線してしまい、発生から2週間ほど多摩湖線(萩山〜西武遊園地駅間)の運転見合わせが続いた。幸いにもケガ人は生じなかったが、驚いたのは、西武遊園地から武蔵大和に向かう列車について「男女6人が乗っていたが、けが人はいない」と繰り返し報じられていたことだ。無事で何よりと思った直後に、っていうか、6人しか乗っていないのかよ、と寂しくつっこんだ。

数年前、西武ホールディングスと、株主であるアメリカのサーベラス・グループとがTOBで揉めに揉めた際、この西武多摩湖線はサーベラスから不採算ラインとして名指しされたのだった。その頃、実家に電話をしてみると、こちらから聞かずとも「何とかかんとかって会社がいらないって、どうすんの。困るんだけど」とお怒り。今回脱線したのは、正午前の時間帯。ラッシュ時ではないものの、4両編成に6人は寂しい。この空きっぷりでは、いざ「不採算だ」と指摘されたときに、「んなことない」と避ける答弁が用意できそうにない。脱線してしまった車両の映像を見届けながら、1人落ち込んだのである。

修復後の西武多摩湖線へ

推理小説の刑事でもあるまいに、脱線した時間とほぼ同じ時間に西武遊園地駅に降り立つ。運転再開した翌日だったので、修復された線路をカメラにおさめようとする鉄道マニアがレンズを磨いているが、乗り込む気配はない。まずは出発していくところを背後から狙うようだ。4両編成の最後尾から乗り込み、先頭車両まで乗車数を確認すると、4人。自分を入れて5人。いつの間にかワンマン運転となっていたから、運転手兼車掌を入れて6人。修復が完了し、ブルーシートに覆われた斜面を通り過ぎる。修復作業を担当した業者だろうか、通り過ぎる電車を何人かがボーッと黙視している。

都心に出るにはそれなりの時間を要する武蔵大和駅。たとえば大学時代、西武線に揺られながらの読書は、今こうして形成されたややこしい性格を育んだ。4人という乗車数では誰かの読書をのぞきみすることなどできなさそうだと踏んでいたら、我が武蔵大和駅から、カバーをかけずに山田風太郎『くノ一忍法帖』を手にした初老の男性が乗ってくる。カバーが破れかけているほどに読み込んでいる。突き出ているしおりが本のだいぶ後半に差し込まれているなと思ったら、案の定、次の八坂駅に着く前に読み終えてしまい、手持ち無沙汰になっている。

男性は、並走するサイクリングロードを見やりながら、年末に信用金庫で配られているような薄い手帳を取り出す。何かを書き始める。ある程度長いテキストを書いている様子が伺える。手帳を開いたまま、八坂駅の次の萩山駅付近で、再び山田風太郎を取り出すと、折り込んでいたページを振り返る。どうやらそれは読書日記のようだった。

もう、西武新宿までじっくり読書できない

もう15年も前になくなってしまったが、武蔵大和駅近くには、いわゆる「街の本屋さん」があった(しかし、この言い方はすっかり形骸化している気もして使いにくい)。中学生になると、自分は毎月5日に発売になる音楽雑誌を取り置きしてもらうようになり、時折、学校や塾から手に入れるように強いられた参考書の類いをいくらか買っていた。その本屋さんの向かいにある寿司屋の前は、小学校の頃に通っていたプール教室のバス停となっていて、その昔、プール教室通いがすぐさま大嫌いになった自分は、そこにふてくされながら立っていた。本屋さんでそのことを思い出していたことを思い出す、という入り組んだ記憶。その本屋さんを出た後、向かいに並んでいる子どもたちを見て「自分も大人になったな」と生意気に思った記憶だけが色濃く残っている。こういうものは言語化するとなかなか陳腐で嘘くさくもなるのだが、あの本屋さんは、こうして、文字を書く仕事に就くに至る始点、という気もしている。親に強いられた水泳教室へ行かなくてすむ、本屋で自分の好きな雑誌を買える、というのは、自分のなかで大人になった証左だった。

そのうちに、その本屋さんに長いこと置かれたまま少々色褪せてしまった文庫本をいくつか買い求めるようになる。そこで笹山久三『四万十川』を買ったのだが、なぜ買ったかといえば、そのカバーに描かれた少年の微笑みが何だか不気味だったからで、そういうあやふやなチョイスが折り重なっていくつも枝葉が生まれ、読書体験が積もっていく。多摩湖線に揺られながら、そんな記憶を思い出し、少々無理やり感傷的になってみる。読書日記を書く初老の男性に対抗してみたくなったのか。西武多摩湖線は、朝方、拝島発の西武拝島線と連結して西武新宿駅に向かうという利便性を売りにしていたのだが、いつの間にか、西武遊園地駅と国分寺駅を結ぶのみになっていて、「西武新宿まで乗ったままじっくり読書できる」という自分の中での常識が失われている事実にがっかりする。しかし、自分にとって“あたらしい終点”の国分寺駅の駅ビルにある書店で、自分の新刊が平積みになっているのを見かけてたちまち上機嫌になったのだから、付け焼き刃な感傷ってのは実にいい加減なものである。

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