ちくま文庫

蟲文庫の色合い
ちくま文庫『わたしの小さな古本屋』解説

9月のちくま文庫新刊『わたしの小さな古本屋』より、早川義夫さんによる解説「蟲文庫の色合い」を公開します。自身も書店をされていた経験のある早川さんと蟲文庫の田中さん、お二人の間には響き合うものがありました。

 店構えからして吸い込まれそうだ。棚の色合い、本の並べ方に、自分と同じ匂いを感じる。なにか面白そうな本があるのではないかと。おまけに猫がいる。亀もいるらしい。こんな本屋がもしも近所にあったら、さぞかし散歩が楽しくなるだろうな。
 実はまだ僕は倉敷の「蟲文庫」さんに伺ったことがない。店主の田中美穂さんともお会いしたことがないからわからないけれど、本を読む限りでは、かなりの親近感を覚える。僕と似ている部分があるのだ。
 田中さんは「自分の居場所がほしかった」という理由で、二十一歳の若さで古本屋を開いてしまう。思い起こせば、僕も同じような動機だった。集団行動が苦手で、多数意見に違和感を覚える。会社勤めはできそうにない。人の下で働きたくないから、人を使うこともしたくない。居心地がいい場所といったら、自分の部屋のような小さな店を持つしかなかったのである。

 喫茶店も考えたが、たぶん、つまらない話や笑い声が始終聞こえてきて、耐えられそうにない。古本屋は勝手な想像だが、くせの強いお客さんがやってきて、「負けてくれないか」などと値段の交渉でもしかねない気がして、僕は新刊本屋を選んだ。それも、特色を持ったとか専門的な本屋ではなく、ごくごく普通の本屋がいい。
 若いころ、僕は新宿「風月堂」という喫茶店に毎日のように通っていた。店内も接客もいたって普通なのに、なぜか客層が変わっていた。分け隔てなく誰をもお店が受け入れていたからである。芸術家の卵のような人やヒッピーや、やがてはシンナー遊びをしているフーテンまでが入り浸ってしまい、やむなく閉店に追い込まれてしまったのだが、普通を目指したのに、自然と個性的になってしまった「風月堂」の精神が僕には美しく思えた。
 それまで僕は音楽制作の仕事をしていたのだが、向いていないことを悟り、二十三歳で身を引いた。かっこいいと思われていることが、かっこよく思えなくなってしまったのである。若者が無性に嫌になり、早くおじいさんになってしまいたかった。
 本屋は自分が客の立場だったら一言も喋らないから、売る側も楽そうに思えた。お風呂屋さんの番台もあこがれたが、猫でも抱きながら「いらっしゃいませ。ありがとうございます」だけを言っていれば、時が過ぎていってくれるような気がしたのである。
 ところが、買う側と売る側では大きな違いがあった。小さな書店には売れる新刊は入ってこない。発売前にお客さんから注文を受ける。うちで必ず一冊売れる本だ。間違いなく注文処理をしたにもかかわらず、発売日に入ってこない。お客さんは当然あきれる。怒る。僕は謝る。そんなことがしょっちゅうあった。
 仕入れに行っても取次(問屋)にはない。版元に直接買いに行く。しかし、考えられないことだが売ってくれない出版社があった。日本を代表するその出版社の玄関口で(半分冗談だが)焼身自殺をしようと思ったことすらある。信用問題に関わることだからだ。そんな苦労話は、かつて、綴ったことがあるから、ここでは繰り返さないが、今も小さな本屋で頑張っている方を見ると頭が下がる思いである。

 僕はいつの間にか、きっかけさえあれば、いつでもやめたい心境になっていった。このまま本屋を続けて死んでしまったら、焼却炉の中に骨以外のものが残ってしまうような気がした。悔しさとか自分の愚かさがだ。僕は再び歌い出した。やっと、おじいさんになれたのに、今度は、若いころに戻りたくなってしまったのである。
 閉店の日、花束が届いた。意外だった。店前では「僕は悲しい!」と叫ぶ人がいた。これまで一言も言葉を交わしたことのないお客さんからもお礼を言われた。Hな本をいつも買ってくれたお客さんが深々と頭を下げる。うちには、岩波文庫とフランス書院文庫が全点揃っていた。棚は店主が作るのではない。長い年月をかけながら、お客さんと共に棚の色合いが染まっていくのだ。僕は涙が止まらなかった。ちっぽけな日常にも目には見えないけれど、感動が少しずつ積み重なっていたのである。
 二十一年間続けて来られたのは、いいお客さんに恵まれたからだ。いいお客さんとは、さわやかに来店して、さわやかに去ってゆく風のような人である。
 生まれ変わって、もう一度、本屋をやりたいとは思わないけれど、心残りがあるとすれば、もう少し、個性を出せば良かったかなと思っている。あるいは、もっと極端に、個性を出しても良かったのではないかと後悔している。主義は主張するものではなく、個性は見せびらかすものではないけれど、本屋は本を売るのではなく、やはり、自分を売る商売だと思うからである。

 『わたしの小さな古本屋』によれば、田中さんは、「見よう見まねではじめた店の二十年近い日々。大変、といえば大変なこともありましたが、でも不思議と『もう、やめてしまいたい』と思ったことは一度もないのです」と語っている。これにはびっくりした。やめたいと思ったことが一度もないなんて、なんてステキな生き方をしているのだろう。古本屋と新刊本屋の違いなのだろうか。いや、やはり、性格の違いなのだろう。田中さんは、本屋さんをするために生まれてきたのかもしれない。
 続けて来られた理由を田中さんはこうも記している。「おかしな話ですが、ひとえにわたし自身が不器用だったからだと思うのです」。ここに、田中さんの人柄が表れている。背伸びをせず、卑屈にもならず、おごらず、知ったかぶりをせず、謙虚だ。大風呂敷を広げない。不器用だからこそ、自分ができる範囲以内のことだけをやる。誰に対してもやさしい。類は友を呼ぶから、同じやさしさを持った人たちが集まって「蟲文庫」を支えている。
 見慣れない犬が二匹、リードもなく飼い主もいないのに「蟲文庫」の店内に入ってきた話がある。「あれは祖父母であったような気がしてきました」と田中さんは言う。「今のこの店を、おじいちゃんとおばあちゃんに見てもらいたかったなぁ」と考えていたら、本当に様子を見にきてくれたのだ。
 僕も同じような経験がある。鎌倉の海岸を母親から譲り受けた柴犬と散歩していたら黒鳥と遭遇した。初めて見る鳥だ。僕が近寄っても逃げない。それだけではない。東京で一人暮らしを始めたら、池も草木もないマンションの窓先空地から、大きな二匹のカエルが部屋に入ってきた。父と母だ。たましいはいつだって黙っている。

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