単行本

マヌケは暗闇である

煮ても焼いても、わるのりだ

 さいきん、長渕剛のライブを取材していた。今回のライブは暗闇をテーマにしているというので、本人に趣旨をきいてみると、すごくおもしろいことをいっていた。いわく、わたしたちはいま、あかるい生活に慣れすぎている。それこそ東京にいると、夜でも電気がついていてあかるい。これだとひとは、パッと目でみえたものだけで判断してうごいてしまう。視覚しかつかっていないのだ。そして、そうやって光に照らされたものだけをみていると、その裏側にあるもっと大事なものを見失ってしまいがちだ。いちど、自分を暗闇のなかにしずめてみよう。目が慣れてくると、月あかりで路地が照らされていることに気づく。月のあかりは赤にも青にも黄色にもなることに気づく。じっとしていると、むしょうに人恋しくなって、亡き父母のことや、愛しいひと、とおくはなれた友のことをおもう。だから、いまは光で隠されてしまった闇の存在とであいなおしたいんだといっていた。

 ちょっと、ながながと暗闇のはなしをしてしまったが、それは本書で松本哉がマヌケといっているものとおなじだとおもったからだ。というのもいま、わたしたちはなんでもかんでもスポットライトをあてられた、パッと見でわかりやすいものだけで、ものごとを判断しがちだ。たくさんカネをかせいで、たくさんものを買えたらいいねとか、SNSで「いいね!」やフォロワーをたくさんゲットできたらいいねとか、イベントやデモ、選挙でたくさん人数をあつめられたらいいねとか。人間がデータで、数字でみられている。しかも、これが怖いのはひととひととのあいだにヒエラルキーができるのはもちろんのこと、カネをかせげなかったり、うまく情報発信できなかったらマヌケなやつだとディスられるということだ。つらすぎる。

 松本は、そんな世のなかにたいして反乱をよびかける。マヌケ上等、暗闇をつくれ、マヌケは数字が読めやしないと。たとえば、かれはゲリラ的に、電車で酒宴をひらいたりする。大晦日は山手線がエンドレスにうごいているので、そこに仲間といっしょに一升瓶をもちこみ、「どうよ、おじちゃん」とかいいながら、乗客をまきこんでさわいだのだ。電車でゆられながら、ふかふかのイスで酒を飲む、最高だ。もしかしたら、なにやっているんだと怒るひともいるかもしれないが、それは電車のおもな機能は通勤だというイメージがつよいからである。サラリーマンが満員電車におしこめられ、たんなる物量になって会社にはこばれていく。目的地にむかって、とにかく効率的にものをはこぶ。そうしてカネをかせぐために、ひとがほんとうに物や数になってしまうのだ。

 でも、そこに酒をもちこんで乗客にはなしかけるだけで、状況はがらりとかわる。ああ、電車は居酒屋よりもやすくて快適な飲み屋にもなりうるんだと。その場にいあわせた人たちは、そのことに気づかされるだろうし、もっとおもしろいことができるとおしえてくれることだってあるかもしれない。わるのりには、かならずわるのりがつづく。それに休みあけから、満員電車に乗るのがばかばかしくなって仕事をやめたり、はたらきかたを変えるひとだっているかもしれない。暗闇だ、予想外のことがはじまっている。パニックだ。もう、こいつはこういうやつだとかいって、数字で把握することなんてできやしない。ひとがマヌケにうまれかわっていく。

 松本は、そういうきっかけをもっともっとつくりだすために、高円寺にマヌケどもがあつまれるスペースをどんどんつくっていく。リサイクルショップにはじまり、イベントスペース、バー、簡易宿泊所。海外のマヌケ・スペースにもいって影響をうけたり、逆にあたえたりもする。暗闇につぐ暗闇、そしてさらなる暗闇だ。マヌケがもっとマヌケになっていく。本書を読んでもらえば、かならず感じてもらえるんじゃないかとおもう。自分もなにかやってみたいと。たいへん、わるのり、騒乱だ。ひとを数字でみるのは、もうやめよう。はたらかないで、たらふく食べたい。くたばれ、グーグル。一票、一票ってうるせえんだよ。反乱、最高。煮ても焼いても、わるのりだ。マヌケは暗闇である。

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