piece of resistance

7 結婚指輪

なんでそんなことにこだわるの? と言われるかも知れないが、人にはさまざま、どうしても譲れないことがあるものだ。奥様とは言わない、本に書き込みはしない、ご飯は最後の一粒まで食べる、日傘は差さない……等々。それは、世間には流されないぞ、というちょっとした抵抗。おおげさ? いやいや、そうとは限りません。嫌なのにはきっとワケがある。日常の小さな抵抗の物語をつづります。

 結婚指輪? ええ、しません。
 してませんでしたねえ、結婚当初から。
 いえ、一応、指輪の交換はしましたし、ま、最初の三日間くらいはしていたかしら。自然と、しなくなりましたねえ。

 理由? とくにね、ないんですよ。なんとなく、自然と……あえて挙げるなら、面倒くさいっていうか、邪魔っていうか、そんなところかしら。もともと、それほど装飾品を身につけるほうじゃないんです。
 夫も、最初だけですね、つけていたのは。おたがいになんとなくつけなくなって、左手の薬指のぶんだけ、ちょっと自由になったって感じかしら。

 束縛しあわない関係? いえいえ、そんな大層なものでもないんですよ。
 でも、指輪をしてなきゃしてないで、ときどき、「なんでしないんだ」って聞かれたりして、それもそれで面倒なところもありますよね。理由があるんじゃないかとか、主義があるんじゃないかとか、そういう捉え方をする人もいますからね。すべての事象には原因がある、と。

 あえて挙げるなら……あえてですけど、私、結婚が遅いほうだったじゃないですか。そう、三十四歳。今の時代は、もうそれほど遅いほうでもないのかな。
 私が若いころは、女は二十五までに結婚しろとか、まだまだ、そんな風潮でしたからね。二十歳を過ぎるとみんながそわそわしはじめて、ひとり、ふたりと友達が相手を見つけるたびに、いやな焦りが生まれて。

 あのころ、まわりに先がけて結婚した子たちって、どこかこう、やっぱり、得意げだったんですよね。自分は男に選ばれた、唯一無二の伴侶として認定されたっていう、絶対的な自信感を放っていたわけです。何を言っても唇の端がにやけてるっていうのか。
 その、にやけ笑いの象徴というか、選ばれし女の自尊心の具象が、結婚指輪のように思えたのかしら。いわば、女としての「上がり」マーク?
 名字を変えた友達の薬指に指輪を見るたびに、やっぱり私、どっかで負の感情をためこんでいたのかしらねえ。嫉妬心というよりは、競争心に近いやつ。

 結婚は、それほどしたかったわけじゃなかったんですよ。私、仕事が好きだったので。今みたいに、男性も家事に協力的って時代でもありませんでしたしね。
 結婚をしたら損をするのは女。キャリアを積むには独身のほうが好都合で、だから夫はいらない、でも結婚指輪はしてみたい、みたいな?
 私も私で、幸せの象徴だけを求めていたのかもしれませんね。

 ふしぎにも、三十四歳で実際に結婚したころには、指輪なんて、もう本当にどうでもよくなっていたんです。若いころに意識しすぎたせいで、逆に、うとましく思えたくらいで。今さらこんなものありがたがるか、ってね。
 ええ、それまで女ひとりで生きてきて、その心構えは今後も変わらないって自負もありました。

  ただ、「指輪はどこで買う?」って夫にきかれたときに、それを拒むほどの理由も持ちあわせていなかったんですよね。今さら象徴はいりません、なんて主張するほどムキにもなりたくないっていうか。
 それで一応、指輪の交換はしましたけど、どうにも、指にしてるとむずむずしちゃって、落ちつかなくて。
 拘束感? 足かせ? いえ、それほどの存在感はなかったんですけど、気がついたら、指輪をしないのが常態になって、もとの身軽な指にもどってました。
 夫も、べつに指輪へのこだわりがあったわけでもないみたいで、別段、気にしませんでしたね。意外と、気がついてさえいなかったりして。

 でもねえ、おもしろいんだけど、半年くらい前かしら、若い女の子に言われたんですよ。結婚してるのに結婚指輪をしてない人はずるい、って。もう恋愛市場からは退いてるくせに、まだ女として自分を売りこもうとしてる気がするんですって。
 へえ、そんな見方もあるんだって驚いて、それでふと、ひさしぶりに結婚指輪をしてみようかって気になったのかしら。
 ところが、指輪を探したら、これがね、ないんです。どこにも。私ね、結婚指輪、なくしちゃってたみたいなんですよ。

 おかしいでしょう。ええ、なんだか私も拍子ぬけしちゃって。
 あーあ、こんなことなら、結婚指輪をしない理由、「なくしちゃったから」でシンプルにすませられたのにって。ほんと、おかしくて、おかしくて。
 もっとおかしいのは、結婚指輪がないのに気がついてから四ヶ月後に、私、夫と離婚したんです。

 はい、つい最近ですから、まだあんまり公言してないんですけどね。
 理由? まあ、いろいろと。ええ、ほんとうに、いろいろと。
 結婚指輪をなくしていたこと? もちろん、直接的な因果関係はありませんよ。ただ、離婚へむけた話し合いの中で、ああ私、指輪どころか、夫のことももうとっくに失っていたんだって、しみじみ気づかされたのは事実ですね。指輪の紛失はその象徴というか。

 十二年間の結婚生活をふりかえって?
 何もないです。終わったことですもの。

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