資本主義の〈その先〉に

第22回 資本主義の思弁的同一性 part2
2 幸福の神義論への反転

 

ユートピアとしてのアメリカ

 

 ここでわれわれが注目しておきたいことは、レーガンのスピーチに含意されている、実にあからさまな「幸福の神義論」である。神義論とは、幸福だったり、不幸だったりする人間がいるという事実を、神学的に整合的に説明(しようと)する理論である。すぐ後にも確認するが、マックス・ヴェーバーは、「苦難の神義論」を重視した。なぜ不幸が、理不尽な苦難が、そして悪があるのか。これが、苦難の神義論の問いである。逆に、一部の人々が――とりわけ「われわれ」が――どうして幸福なのか、幸福であることの理由はどこにあるのかを問うのが、幸福の神義論である。レーガンのスピーチは、幸福の神義論を明示的に前提にしている。われわれは成し遂げたのだから、神もまたその約束を守り、われわれに幸福をもたらすのは当然である、と。

 さて、われわれは、前回より、プロテスタンティズムのエートスから資本主義の精神への転換がどのようにして果たされたのかを考えるために、アメリカに注目している。アメリカのプロテスタンティズム、あるいはより広く――このレーガンの例に見るような――アメリカ社会全体に浸透している宗教性の顕著な特徴は、幸福の神義論である。

 このことを証明する事実のひとつは、アメリカにおけるユートピア的実験の異常なまでの数である(3)。植民地時代に始まって、アメリカでは、世界中のどこと比べても圧倒的に数多くの、ユートピア的な共同体の建設が試みられてきた。1980年に出版された、『アメリカ・ユートピアコミューン史事典』は、アメリカ・ユートピアを端から端までことごとく調べ上げたものだが、これによると、1663年から1970年までの間に、およそ600ものユートピアコミューンが建設されてきた(4)。もちろん、大きいものからごく小さいものまでさまざまである。そして、大半は短命である。が、いずれにせよ、その数は膨大だ。

 ユートピア的な共同体の建設が、幸福の神義論を、あるいは少なくとも幸福の神義論と親和的なアイデアを前提にしていることは、容易に理解できるだろう。すなわち、自分たちがなすべきことを、善きことを遂行するならば、必ず、それは報われ――神もまた約束を果たし――、この地上に、幸福で完全な理想の共同体が実現するはずだ、という強い前提、強い楽観がなければ、ユートピアの建設を手がけることはできない。

 細かく見れば、ユートピアには、宗教的なものと社会主義的なものがあるとされている。たとえば、ユートピア建設が特に盛んだった時期のひとつとされている1840年代には、――先の事典によると――60個のユートピアが建設されており、その中の15が宗教的、42が社会主義的、そして3個が両者の混合型である。が、このような分類は、厳密には難しい。たとえば、財産の共有制が原始キリスト教団のイメージで構想されているならば、それは、宗教的でありかつ社会主義的である。というより、「社会主義的」と分類されるユートピア的コミューンも含めて、広義の宗教的なコミューンである。少なくとも、完全なユートピアを実現しうるとする態度そのものに、ある種の宗教性がある。1840年代に、ユートピア建設の試みが突出して多かったのも、それが、前回ふれた「リバイバル(信仰復興)」運動の期間(のひとつ)だったからである。

 いずれにせよ、ここでは、ユートピアの内実は、さしあたっては考察の対象ではない。どのような社会構造や規則、制度を備えたコミューンが目指されたのかを、ここでは問うつもりはない。いま主題にしたいことは、内容は何であれ、アメリカ社会に取り憑いているユートピアへの熱情である。政治哲学のロバート・ノージックは、アメリカは「メタ・ユートピア」だと述べている。ユートピアを志向する意識は、アメリカの国民に広く共有されていて、ユートピア性を帯びたコミュニティを人為的に形成することに対して、人々が違和感をもつことがなく、アメリカ社会が、それを許容する枠組みとなっている、というのがノージックの論旨である(5)

 これにこう付け加えることができる。レーガンのスピーチがよく示しているように、アメリカ社会自体が、もう一つの、最大の、そして包摂的なユートピアだったのだ、と(6-1)(6-2)(6-3)

 

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