ちくま学芸文庫

「欧州の頭脳」が混迷の時代を読み解く

イギリスの離脱によるEU崩壊が噂される中、政治・経済の混迷、社会の変化に対する予測を次々と的中させてきた経済学者アタリ。ちくま学芸文庫オリジナルで刊行された彼の新著を翻訳者である林昌宏氏が紹介します。

 本書は、フランスで出版された Jacques Attali, Peut-on prvoir lavenir? (Fayard, 2015)の全訳だ。タイトルを翻訳すると、「未来は予測できるか」となる。

 著者のジャック・アタリはこれまでに、ソ連崩壊、エリート層のノマド化、スマートフォンやタブレットなどの「オブジェ・ノマド」の爆発的流行、ビッグデータの活用による監視型社会の到来、世界金融危機の勃発などを、いち早く正確に予測した。欧州知識人の間では、アタリは予言者扱いされており、世界が動揺するたびに皆が意見を求めに行く。

 それは日本でも同様だ。ヨーロッパ発の大事件があるたびに、日本のメディアはアタリのもとを訪れる。つい最近も、パリ同時テロと大量移民問題を受けてNHKBS1スペシャル「ジャック・アタリが語る──混迷ヨーロッパはどうなるのか?」(二月二七日放映)に出演、イギリスのEU離脱騒動時には日経新聞「離脱・残留ともEU試練」(六月二一日付)、同日付読売新聞「離脱なら容赦しない」に登場し、翌々日のEU離脱派勝利の結果を見越したコメントを残している。

 数々の予測、警告を的中させてきた人物が、未来予測そのものをテーマに何を語るのか? 本書の第1章から第3章では、予測する能力と方法の歴史を古代から現代までたどる。歴史上、権力を握ってきたのは、予測ができる人物、予測能力があると周囲を信じ込ませた人物、あるいは予測できる人物を配下に置く者だ。未来を見通せる者は指導者としてのカリスマを手に入れ、未来を読み誤ればカリスマを失う。つまり予測の歴史は、宗教、政治、経済をめぐって展開された権力史、そして文明史にぴたりと重なる。文明の浮沈、盛衰は、つねに先を読む力に左右されてきたのだ。

 近代社会への移行も、この予測力を民衆が手に入れることによって実現した。科学がもたらした予測可能な世界で、民衆は多くの自由を勝ち得てきた。そうして今日、予測にコンピュータが欠かせない時代が到来した。ビッグデータを利用する分析は、われわれの社会のあらゆる側面におよび、現代文明で猛威を振るっている。気づけばどこにそれが活用されているかすら、われわれにはわからない。その力は一体誰が手にしているのか。この目に見えない権力の存在はきわめて不気味だ。いまや権力は政治組織でなく、金融業界や保険会社が握っているのかもしれない、とアタリは示唆する。

 では、ビッグデータとコンピュータに予測力を奪われた世界で、われわれに何ができるのか。ここからがアタリの真骨頂だ。

 ビッグデータによる統計予測はあくまで集団として見た場合の数値、確率でしかない。一個人にとって、ある事象の起こる確率がわかっても、あまり意味がない。自分の人生を左右する出来事は、起きるか起きないかの二つに一つだからだ。未来は確率によって決まっているわけではない。あくまで選択権はわれわれの手中にある。だからこそ、われわれ一人一人が未来を自分自身で思い描き、予測しなければならないと、アタリはくり返し主張する。

 日本語版に寄せられた序文でも、「(予測の)他人まかせは、自分自身を単なる統計の対象に貶めること」だと警告する。「自分自身で予測できなければ自由になれない。自由になるとは、自分自身で予測すること」なのだ。

 本書の第4章に、予測の具体的な方法論が語られ、彼自身が日々試みている確認項目が列記される。ぜひそれらを実践してみてほしい。実に考え抜かれたものであるとわかるはずだ。
 アタリは、「人々の類まれな運命は、驚くべきことに過去よりもむしろ未来によって結びついている」と言う。これは平和を切に願うメッセージに聞こえる。確率がどうあれ、われわれには望ましい未来を選ぶことはできる。それを明らかにしたのが本書の意義である。

 

(はやし・まさひろ 翻訳家)

 

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