世の中ラボ

【第78回】四年後の東京五輪に反対する、これだけの理由

ただいま話題のあのニュースや流行の出来事を、毎月3冊の関連本を選んで論じます。書評として読んでもよし、時評として読んでもよし。「本を読まないと分からないことがある」ことがよく分かる、目から鱗がはらはら落ちます。PR誌「ちくま」10月号より転載。

 リオデジャネイロ五輪も終わり、「次はいよいよ二〇二〇年の東京だ」みたいな空気がただよっている。八月二一日のリオ五輪の閉会式にはマリオに扮装した安倍首相まで登場し、心底うんざりだったが、これに喜んでいる人もいるわけで。
 しかし、東京五輪の界隈はすでにトラブル続きである。一度は決まった新国立競技場のコンペのやり直し。やはり一度は決まったエンブレムの盗用疑惑による選び直し。招致にともなうJOCの不正支払疑惑。三〇〇〇億円だったはずの予算は六倍の一兆八〇〇〇億円にまで膨んでいるわ、猪瀬直樹、舛添要一と、東京都知事は二人続けて任期半ばで辞任するわ。五輪組織委員会の会長だという森喜朗元首相が我が物顔にふるまっているのも不可解だ。
 まるで呪われたオリンピック! 二〇二〇年まであと四年。このぶんだとまだ何かあるかもね。トラブルが続くっていうことは、運営の方法に何か根本的な問題があるにちがいないからだ。
 二〇一三年九月、東京が五輪開催地に決まったとき、絶望的な気持ちになった私。その気分はいまも変わらない。福島第一原発の事故による避難民がまだ九万人もいるいまの日本に、オリンピックなんかやってる暇があるか? しかし、あれから三年たって、東京五輪反対論はめったに見かけなくなった。
 はたして東京五輪を開催する意義はあるのだろうか。今年になってたてつづけに出版されている関連書籍を読んでみた。

オリンピックは儲らない
 巻頭言で〈オリンピックの開催による経済的効果はそれほど期待できないことが分かるだろう〉と述べるのは、アンドリュー・ジンバリスト『オリンピック経済幻想論』である。
〈開催地は何十億ドルもの資金を費やし、巨額の借金を作り、様々な社会的混乱や環境破壊を引き起こし、他の目的で使った方が生産的かもしれない土地を奪っていく。/IOCは魅力的な言葉で彼らの目標を語り、人権や、持続可能性や、雇用創出や、健康的なライフスタイルや経済発展を説く。しかし残念ながら、現実はそのような甘い言葉通りにはいかないことをこれまでの大会が示している〉。
 なにやら不吉な言葉だが、過去の五輪を検証したこの本を読むと、いま東京で起きていること、起きつつあることは、過去の五輪開催地でもなべて共通していたことがわかる。
 たとえば予算超過問題。予算超過はどの開催都市でも起きていることで(一九六〇年以降、予算内で収まった開催都市はひとつもない)。〇四年のアテネは一〇倍、一二年のロンドンは四~五倍、一四年のソチは四~六倍の費用がかかった。なぜそんなことが繰り返されるのか。本書は五つの理由をあげる。
 ①政府のゴーサインを取り付けるために、最低限の安価なプランで見積もり、承認後にあれこれ付け加える「戦略」が常態化している。②開催を目指す都市は、最初は国内の他都市と、その後は世界の他都市と競い合うため、質を張り合っているうちに当初の予算内では収まらなくなる。③プラン作成から実大会までの間に物価が上昇する可能性がある。特に狭い地域に建設物が集中すると、資材や人件費のコストが高くなる。④政治的障害、環境問題、不充分な計画、ずさんな段取り、悪天候、労働争議などで建設スケジュールの遅れは避けられず、入札のルールが甘くなったり、割増料金が必要になったりする。⑤建設費の高騰にともない、不動産価格も大会に向けて上昇する。地元の物価が上がることもある。
 なんだなんだ、予算超過は、最初からわかっていたのだ!
 五輪開催にともなう直接的な財政コストは、①運営予算(一七日間の大会運営費など)、②建設予算(恒常的なスポーツ施設の建設費など)、③インフラ整備予算(道路の整備費など)の三つのカテゴリーに分かれるが、五輪のコストはもちろんこれだけではない。
 見落としがちなのは、大会に向けて配置される政治家、技術者、労働者などの人的コストだ。五輪がなければ〈彼らの技術や時間は、より生産的な別の活動にあてることができたかもしれないのだ〉といわれれば、その通り。五輪でできた借金を返すため、医療、教育などの公共サービスが削られた都市もある。
 いや、五輪には絶大な広告効果があり、都市のブランドイメージが上がって観光客が増えるのだ、という説にも本書は異を唱える。〈2012年にロンドンを訪れたスポーツファンは、劇場にも、コンサートホールにも、大英博物館にも、バッキンガム宮殿にも、ハイド・パークにも行かなかった〉。逆に混雑や厳しいセキュリティと高い物価を嫌ってロンドンを避けたツーリストもいたはずで、一二年七月八月の観光客数は、前年の同期と比べて六・一パーセント減少したというのだから何をかいわんや。
 オリンピックが儲かるという幻想は、どうやら一九八四年のロサンゼルス大会からはじまったらしい。
 六八年のメキシコシティ大会は政治的抗議の舞台となり、七二年のミュンヘン大会は武装ゲリラによるテロ事件が起き、七六年のモントリオール大会は多額の負債を抱えた。こうして五輪の立候補地が激減する中、八四年の開催地に決定したのがロサンゼルスだった。この大会から、IOCはプロ選手の参加を認め、五輪の商業化は加速していく。商業化路線を進めたのはサマランチ会長だった。
 しかし、もともとのオリンピックは商業主義とは無縁だったのだ。小川勝『東京オリンピック』は、だからこそ東京五輪は、オリンピック憲章の精神に立ち戻るべきだと主張する。
〈五輪は都市の再生のためにやるわけではない。経済成長のためでもない。招致活動において繰り返された文言を用いて表現するなら「今、ニッポンにはこの夢の力が必要」だからでもない。あるいは、国民に観客の立場での「感動と記憶を残す」ためでもない。/五輪の開催目的とは、オリンピズムへの奉仕である〉。
 実際、この本を読むと、五輪に対して私たちがいかに誤った認識を持っていたかを思い知らされる。五輪は国家間の競争ではなく、個人参加が基本だと五輪憲章には明記されていること。五輪が国別対抗戦的になったのは一九〇八年の第四回ロンドン大会からで、ブランデージら、七〇年代までのIOC会長は五輪がナショナリズム高揚の場となることを懸念していたこと。したがって今日、国ごとのメダルの数を比較したり、まして日本のように〈政府が自国のメダル獲得数の目標を掲げる〉など言語道断であること。
 東京五輪に向けた日本政府の指針を批判しつつ、小川は〈東京五輪を、政治家や官僚や大企業が利権の内部調整に終始するだけの巨大イベントにしてはならない〉と訴える。
 それはそれで理解できる。しかし、東京五輪の開催そのものに反対する、という立場があってもいいはずなのだ。

フクシマを隠蔽し、フクシマを利用する
 東京五輪そのものに反対する。『反東京オリンピック宣言』はそのような視点から編集された論考集である。
 東京五輪を前にした日本の現状について、塚原東吾は二つの特徴があるという(「災害資本主義の只中での忘却への圧力」)。
 第一に〈オリンピックが三・一一を強制的に忘却させる機能を持たされていること〉。首相の「アンダー・コントロール」発言に反して、危機は悪化している。〈それを隠蔽することが、オリンピックに課せられた最大の使命であるかのようである〉。
 第二に〈オリンピックが、三・一一を契機にした「エマージェンシー・ポリティクス(非常事態政治)」のなかでの、典型的な「災害資本主義」の発動であること〉。災害資本主義とは「惨事利用型資本主義」ともいう。災害を経済活動に利用する。〈東京オリンピックは、非常事態を利用し、資本主義的な収奪システムを再編し、格差の構造を強化するための、格好の事業である〉。
 フクシマを隠蔽しつつ、フクシマを利用する。それは三年前の東京五輪招致のプログラムをみて私も感じたことだった。
 この本の「あとがき」で、編者の小笠原博毅が述べていることが示唆的だ。結果的に、東京五輪を「成功」に導くのは、手放しの礼賛派ではなく「どうせやるなら」派だろうというのだ。
 この人たちは〈初期設定においては批判的であり、できるならやるべきではないと思っている。しかし、招致活動が終わり、税金が捨てられ、インフラ整備を含む準備が始められ、開催権の返上や中止が逆に莫大なコストを必要としてしまうということを理由に、事実上後戻りできないと結論づけて、むしろそれまでかかった投資をどのようにすれば「資本貴族」たちの手から奪うことができるのかを提案する〉。
〈オリンピックを「機会」ととらえ、統治側の計画を逆手にとって、本当に市民のためになると考えられる、都市の再開発も含めた「オルタナティヴ」を求めようというのである〉。
 たくさんいそうでしょ、こういう人。
 私がここから想起するのは、端的に「戦争」である。戦争には反対だったけど、どうせやるなら勝たなくちゃ。そのためには……とアイディアを出す人が一番役に立つのよ、戦争には。
 五輪をめぐる状況は、すでに言論統制を生んでもいる。くだんの「あとがき」で、一三年の夏、全国紙に五輪開催反対論を書いたところ、定期的に仕事をしていた媒体から原稿依頼が一切来なくなった、という裏話を小笠原は明かしている。当時はまさか四大全国紙(朝日、読売、毎日、日経)すべてが五輪の協賛企業になるとは思っていなかった、と。そうなのだ。いまやこの国のメジャーなメディアはみんな東京五輪の応援団。やり方を批判しても、やるなとはいわない。これを大政翼賛といわずして。

【この記事で紹介された本】

『オリンピック経済幻想論――2020年東京五輪で日本が失うもの』

アンドリュー・ジンバリスト/田端優訳、ブックマン社、2016年、1600円+税

 

 

〈オリンピックの開催は経済発展を後押しするという毎年繰り返される主張には、実証的な裏付けはほとんどない〉(カバーより)。著者はアメリカのスポーツ経済学者。バルセロナ、ソチ、ロンドンなど、過去の五輪に遡り、開催都市にもたらされたメリットとデメリットを検証。招致活動、施設建設、インフラ整備などにかかる莫大なコストの回収は短期的にも長期的にも難しいと結論する。

『東京オリンピック――「問題」の核心は何か』

小川勝、集英社新書、2016年、700円+税

 

 

〈政府が示す「基本方針」は、日本選手に金メダルのノルマを課し、不透明な経済効果を強調し、日本の国力を世界に誇示することに固執する、あまりに身勝手な内容〉(カバーより)。著者はスポーツライター。五輪は開催国のための大会ではない、国同士の争いではない、経済効果を求めてはいけないなど、オリンピック憲章を紐解きつつ、自国の利益のみを追求する東京五輪の方針を批判。望ましい五輪の姿を模索する。
 

 
『反東京オリンピック宣言』

 

小笠原博毅+山本敦久編、航思社、2016年、2200円+税

 

 

〈東京で開催されることになっている夏季オリンピック/パラリンピックの開催権を返上し、開催を中止しよう〉。東京五輪に反対する立場で書かれた16本の論考集。科学論、大会後の「遺産(レガシー)」、生活環境への影響、排除されたアスリートなど、多角的な視点から五輪を考察。単なるスポーツイベントという枠を越え、五輪がときに住民の生活を破壊し、ときに国民を総動員する装置であることが暴かれる。
 

 

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