荒内佑

第一回
ブラジルの手話教室(を想起するまで)

今、注目のバンドceroのメンバーとして多くの楽曲で作曲、作詞を手がける荒内佑が、<日常>とそこに流れる音楽の話を綴る初めての連載が「webちくま」にてスタート。毎月1回、第4水曜日の更新です。

 

 手話ニュースが好きだ。特に深い意味はない。BGMがなく、キャスターの私見もなく、余計な編集が施されていないので分かりやすいから、というシンプルな理由だ。それに手話をほとんどポルトガル語程度しか解さない自分は(「こんにちは」と「ありがとう」のみ)ニュースの内容に照らし合わせ気合いで解読してみる。あの手の動きに言語が埋め込まれている、という魔法めいた感慨を抱くのは、手話を操る人にとって心外なことだろうか。それはジャズメンのソロ演奏に感情的な賞賛しか送らない批評家の態度に似ている気がする。


 そんな折り、手話ニュースを見ていたらこんなトピックがあった。<○○機関のアンケートによれば、昨今、若者はメールやLINEのやり取りにおいて「オッケー」を「おけ」と省略していると答えた人数が全体の50%を上回った。これを受けて専門家は「現代の若者が常に社会の中で焦りを感じていることの表れではないか」と指摘した>この牧歌的なニュースに思わず「ほんまかいな」と関西人に一番嫌われる関東人による似非関西弁をテレビに向かって言ってしまった(ぼくはテレビに向かって話しかけてしまうタイプだ)。


 真偽を確かめてみよう。まず手話による「オッケー」と「おけ」の差異はどう表現されるのか、注視してみたが判別できず。次は口に出してみる。「オッケー…おけ…オッケー…おけ…」少なくとも自分にとって発音における労力の差はない。むしろ「おけ」の方がネイティブの発音に近いかも知れない。最後に、携帯を取り出しフリックする。「オッケー…おけ…オッケー…おけ…」これは確かに「おけ」の方が楽である。だが、自分よりずっと若い十代の子は生まれながらのフリッカーなはずで、この些細な動作の違いに労を感じるのだろうか。
 しかし、実を言えば、ここで書きたいのは言語の欠損についてではない。言葉は壊れるものだ。32歳の自分を一応若者に入れて良いなら(ダメか)昼間っからテレビに向かってちょっとおかしくなったローラのように「オッケー…おけ…オッケー…おけ」と繰り返し発音し、スマホをフリックし、手話を解読せんとしている自分は果たして社会の中で焦りを感じている者だろうか。


 「専門家」が件のアンケート結果を受けて、「若者は焦りを感じている」という診断を下す場面を想像してみる。真剣な面持ちで答えたのか、「とりあえず何か言わなきゃ」という使命感から苦し紛れに答えたのかは分からない。どちらにせよ彼/彼女の中には「現代はハードで生きづらい」という時代認識が横たわっているのは確かだ。もし彼/彼女の認識が「現代はハッピーで最っ高に楽しい」あるいは「現代は平常運行中。ふつうの状態」だったら、あの牧歌的なアンケートから、かような指摘をしたとは思えない。
 無論、こうして軽々しく書くのも気が引けるほどにハードな世の中だ。だが、微笑ましいと言っても良い「オッケーとおけ」の違いから「若者の焦燥感」を導き出すほどに、我々の世界はシビア一辺倒だとも思えない。何が言いたいのか。恐ろしく単純だ。どんな時代でも良いこともあれば悪いこともある。必要以上の悲観も、楽観も、物事の判断を歪ませる。


 いま、あなたが自宅で、電車で、学校で、会社で、ベッドの中で、幸か不幸かこのエッセイのリンクを踏み、この一文を読んでいるこの瞬間。とある批評家は自身の才能に絶望しきって今まさにビルから飛び降りようとしている。同じこの瞬間。ブラジルの手話教室ではポルトガル語による「オッケー」の手ほどきがなされている。生徒たちは初めて覚えた手話に喜びを抱いている……いや、こんな凡庸なことはやめよう。だが想像し得る以上のことが世界中でたった今起きている。そこから何を導きだせるだろう? 再び、僕には、どんな時代でも良いこともあれば悪いこともある、としか言えない。


 今年の9月にぼくが所属するバンドceroと、シンガーソングライターの前野健太とでライブをした。前野さんと知り合って6、7年になるだろうか。所謂「対バン」したのはこれで確か3回目だ。
 彼のライブの最中、その1回目についてMCで触れられた。「ceroと初めて対バンしたのは高円寺の円盤というCDショップで客は5人くらいだった。そんな二組が今日はリキッドルームでやっている」僕は内心焦った。まさかミュージシャンのあるあるサクセスストーリーとしてこのMCにオチをつけるのではないか。もしくは「俺らはあの頃と変わらないスタンスでやり続けてここまできた」というクリシェに陥ってしまうのか。どちらになっても、キツい。そしたら後でさんざんイジってやろう、先輩だけど。そんな風に一瞬で思いを巡らせた。しかし、前野さんはその後の言葉を継がずに、また演奏を始めた。「今の時代がいちばんいいよ」という曲だ。これは日和見でも、皮肉でもないはずだ。残酷で、愛おしい事実。良いことも悪いこともある今の時代がいちばんいい。それは1000年前の今も、たった今も、1000年後の今も変わらない。

次回の更新は11月23日(水)です

2016年10月26日更新

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荒内 佑(あらうち ゆう)

荒内 佑

音楽家。様々な感情、情景を広く『エキゾチカ』と捉え、ポップミュージックへと昇華させるバンド「cero」のKey担当。多くの楽曲で作曲、作詞も手がける。その他、楽曲提供、Remixなども行う。ceroでは海外アーティストの来日サポートやクラブシーンでのライブなどジャンルレスに活動の場を広げている。

11月からは全国10都市を回るcero待望の全国ワンマンツアー「MODERN STEPS TOUR」がスタート!
12月7日には3枚目となるシングル作品「街の報せ」が発売決定。同時に今年行われたcero初の日比谷野外大音楽堂でのワンマンライブ”Outdoors”がDVD&初のBlu-ray作品として発売。新宿ピカデリーでプレミアム上映会も開催!
オフィシャルホームページ http://cero-web.jp/