資本主義の〈その先〉に

第14回 資本主義的主体 part3

2 いつの間にかに大分岐

1980年の地図と1560年の地図

 では、資本主義の源泉となった宗教的要因とは何か。それは、たとえばキリスト教と中国的な宗教(たとえば儒教)との対比といったような大まかな図式からは説明できないことが、今回のここまでの議論からもただちにわかるだろう。15世紀の段階では、まだ中国の方が、キリスト教圏である西ヨーロッパよりもずっと経済的に勝っていたからである。仮にキリスト教に関係しているとしても、それは、15世紀から19世紀までの期間に生じた変化に関係しているはずだ。
 同じことは、イスラーム教とキリスト教を比較した前章の考察からも示唆される。われわれは、イスラーム文明とルネサンス期の西洋では、「利子」に対する態度がずいぶんと異なっていた、ということを確認した。と、同時に、ルネサンス期の「利子」は、まだ資本主義以前のものである、ということも確認した。資本主義の誕生の直接の原因(のひとつ)となった宗教的要因は、ルネサンス初期よりも後のものでなくてはならない。
 それこそが、プロテスタンティズムである。プロテスタンティズムの始まりは、マルティン・ルターがヴィッテンベルクで、ローマ教会を批判する「95か条の提題」を発表したときに求めるのが常識である。1517年のことだ。ルター以前にも、ジョン・ウィクリフやヤン・フス等、同じようなことを唱えた先駆者はいたが、後の世代にまで絶えることのない多くの信者を獲得したという意味で成功した宗教改革者は、ルターを嚆矢とする。
 こうして、われわれはもう一度、マックス・ヴェーバーの著名な研究と合流することができる。後に述べるように、ヴェーバーが重視したのは、ルター派よりも、その後で出て来たカルヴァン派である。いずれにせよ、ヴェーバーは、宗教改革によってキリスト教にもたらされた変容を決定的なものと見なした。
 ところで、プロテスタンティズム──とりわけカルヴァン派──と、資本主義や経済的成功との間に、強い相関関係があるということ、このことは、ヴェーバーでなくても、誰でもすぐに気づくことである。早くから資本主義化した地域、経済成長が順調な地域は、プロテスタントが有力な地域、とりわけカルヴァン派が優勢な地域である。このことは、少し地図を眺めているだけで、すぐに見てとることができる。
 たとえば、歴史学者のピエール・ショーニュは、実に率直に、次のように言いきっている。

1980年の地図と1560年の地図を広げてみよう。それはほとんどぴたりと重ね合わせることができる。起きたことは起きなかったことには決してならない。1520年から1550年までのあいだにあらゆることが起きた。ひとたび確定された改革勢力と対抗改革勢力の境界はそこから先ではもう揺らぐことはない。16世紀半ばの地図と20世紀半ばの地図は95%の割合で重なるのだ。では、所得の多い順に、また研究・開発投資額の多い順に、これらの国や地方を並べてみよう。いまでは古典となったウォルト・ロストウの分類にしたがってテイクオフと持続的成長が始まった国を日付の順に並べてみよう。80%以上の割合で上位を占めるのは、プロテスタントが多数派で、文化的にもプロテスタンティズムが優位な国々であり、さらにその先頭に立つのはカルヴァン主義の伝統に拠って立つ国々だ(10)

 冒頭の言葉が示すように、ショーニュがこのように書いたのは、1980年代の初頭のことで、現在のEUはまだ存在せず、また冷戦も終結していないが、こうしたことは、ここで述べていることには関係がない。2016年の地図は、1560年の地図と—ショーニュが述べているような意味で−−−「ほとんどぴたりと重ね合わせることができる」。ロストウの「テイクオフ」の議論が、古典となっているかどうかには異論があるだろうが、事態をおおざっぱに捉えるための第一次近似としては、問題がないだろう。
 このように、プロテスタントやカルヴァン派と資本主義的な成功との間に相関関係があるらしい、ということは、わりと簡単に気づくことではある。ヴェーバー自身も、『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』の冒頭で、この相関関係の事実を指摘している。ヴェーバーの偉大さは、こうした事実の指摘にあったわけではない。ヴェーバーの洞察の最も重要な点は、プロテスタンティズムと資本主義の精神がどのような論理でつながっているのかを説明したことにある。プロテスタンティズムの倫理が資本主義の精神に転化したのは、もちろん、意図せざる結果である。どのようなメカニズムで、そのような結果がもたらされたのか。
 この点についてのヴェーバーの説明は、しかし、難解である。とりわけ、カルヴァン派の予定説と資本主義の精神との関係についてのヴェーバーの説明は難しい。ヴェーバー自身も、自らの直観を明晰に概念化できているとは言いがたい。私の考えでは、ヴェーバーが述べたことを読み抜くこと、ヴェーバーが暗示的に述べていることを、ヴェーバーを越えて読み進めること、そのことによって、資本主義を資本主義たらしめた精髄を明らかにすることができる。

(1)Schuldという語の両義性を巧みに活用したのが、前回引いたニーチェやハイデガーである。
(2)20世紀の末期から中国経済は急速に成長してきた。現在のグローバルな資本主義を、中国経済が牽引している、と言ってもよい くらいだ。中国が、ものすごい勢いで、西ヨーロッパや日本をキャッチアップしてきたからだ。しかし、中国の経済成長が、まさに「キャッチアップ」として見えるのは、言うまでもなく、20世紀のほとんど全期間において、中国が貧しい国だったからだ。歴史を──世紀単位で──大きく捉えたとき、もともと先頭に立っていた中国が、いつの間にか、下位グループに入ってしまった、という謎は、消えない。
(3)ニーアル・ファーガソン『文明』、仙名紀訳、勁草書房、55-64頁。
(4)北京の紫禁城について、宮崎市定がかつて述べたことが実に印象的である。グーグル・アースなどが出てくるよりもずっと前、つまり紙の地図しかなかった時期に、宮崎は、こう述べている。少し詳し目の世界地図帳を開いてみなさい、と。それが縮尺30万分の1程度だったとしよう(つまり、1キロが約3ミリに対応するとしよう)。ヨーロッパの王宮は、最も大きいものでも、そのような地図の中では点にしかならない。しかし、紫禁城は、はっきりと拡がりをもった領域として指示されているはずだ。「およそ一センチ四方の皇城と、その中に一まわり小さな紫禁城とが、市の中央を占めてこれ見よがしに厳として拡がっているのが明瞭に観取されるだろう」(宮崎市定『雍正帝』中公文庫、1996年、7頁)。
(5)Bishnupriya Gupta & Debin Ma, “Europe in an Asian Mirroe: the Great Divergence,” Stephen Broadberry & Kevin H. O’Rourke eds. The Cambridge Economic History of Modern Europe, Volume 1: 1700-1870, Cambridege, UK, 2010, pp.264-285.
(6)ウルリケ・ヘルマン、『資本の世界史』猪俣和夫訳、太田出版、2015年、31-32頁。
(7)乾隆帝のジョージ三世への手紙の英訳を以下のサイトで読むことができる。
http://acc6.its.brooklyn.cuny.edu/~phalsall/texts/qianlong.html
(8)すぐに気づくように、このとき中国側は、「朝貢」のフォーマットで、イングランドの贈り物を見ようとしている。皇帝=天子に服属する周辺の諸王の使者は、皇帝に、貢物をもってくる。それに対して、皇帝は、「回賜」という形式で、何かを返す。回賜の反対贈与は、常に、皇帝への贈与よりも価値が大きく、そのことが、皇帝の威信の表現になっている。ところが、このケースでは、イングランド側の贈り物は、皇帝が返しうるものよりも価値が高い。これは、皇帝への最大の侮辱になる。
(9)ここで、専門家だけが興味をもつような少しばかりテクニカルなことについてコメントしておく。アンドレ・グンダー・フランクが大著『リオリエント』(山下範久訳、2000年、藤原書店)で述べていることへの批判である。フランクが述べたことは、一口で言えば、ヨーロッパの経済的な優位などというものはなかった、ということである。中国は、かつても、現在もずっと優位を保っていた、というのだ。グローバル・エコノミーの中心は、恒常的に中国にあった、というわけだ。そのことを論証するためにフランクがとりわけ重視している事実は、地域間交易の決済通貨として機能していた「銀」の流れである。1400年から1800年にかけて、銀は、常に、ヨーロッパから、東アジア、つまり中国へと吸い込まれるように流れている、というのだ。このことを、フランクは、ヨーロッパとアジアとの交易において、ヨーロッパが欲しているものがアジアにたくさんあったのに、アジアの方は、ヨーロッパから輸入したいものがあまりなかったからだ、と説明する。しかし、ここに紹介したエピソードは、銀の流れは、経済的な優位性の証拠にはならない、ということである。ここで中国は、銀以外のものを受けとることを拒否している。それは、前注で述べたことが示唆するように、イングランドの方が経済的に優位にあって、中国では生産できないような物を提供することができたからである。つまり、イングランドが、皇帝が有していないものを提供したからだ。中国の官僚は、イングランドから持ってこられた贈り物の価値を認識したがゆえに、それを拒否しているのである。フランクが中国の優位性の証拠としている銀の流れこそ、逆に、ヨーロッパの優位性が確立されてきた過程を示している可能性が高い。
(10)Pierre Chaunu, Église, culture et société. Essai sur Réforme et Contre-Réforme(1517-1620), SEDES, 1981, p.46.

 

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