人はアンドロイドになるために

2. アイデンティティ、アーカイヴ、アンドロイド 後編

 ユキは、ハル2と追悼公演を行った。

 かつてハルのアンドロイド化を知った日にも立ったホールは、今日も満員だ。

 マスコミにもファンにも、ハルのアンドロイド化をユキがイヤがったせいでハルノユキが解散したことは知られていたから、ユキの決断にどよめく声も少なくなかった。

 ハルの死によって、ユニットを休止したとき同様にいくつもの感情がうずまき、ユキは「ハルノユキ」再始動を決断する。解散から三年目の出来事だった。

 あれだけ言っておいてなぜアンドロイドと組むのか、という声は当然あった。それはユキ自身、考えた。そもそもユキは、ハルのアンドロイドに本能的な嫌悪感を抱いたから、遠ざかったのだ。

 ――ハルノユキでは自分はいつも二番手扱いをされてきた。ハルばかり注目されて腹が立つ。前世では私のほうがハルより上だったのに。それに、自分がハルを独占したかったのに。横から入ってくるやつは許せない。ハルは女をとっかえひっかえする人間だから、恋愛で彼の気を惹くことはできない。音楽上のパートナーになれば関係が途切れることはない。そう考えて人生を捧げてきたのに、アンドロイドに浮気するなんて。父を苦しめた、アーカイヴ・アンドロイドがまた自分の前に立ちふさがるなんて。老いないハルのアンドロイドが近くにいたら、老いて歌も動きも劣化していく私の心は耐えられない。

……どれもユキにとっては本心だった。それらが多層的に絡み合い、ハルのアンドロイドの登場を拒絶した。ハル2が爆発的な人気を呼んだあとも、ユキの心は嫉妬と闘争心にまみれていた。「アンドロイドと共演の予定は?」などと無神経に訊いてくる人間に、腹立たしい思いもした。

 ――ハルは私を「音楽で一番にしてやる」と言っていたくせに、私より先にアンドロイドを一番にしてしまった。くやしい。

 だがハルの死という非常時が発生した今、感情の砦は崩れ去った。「論理的に考えて」、ハルノユキ再結成という選択が正しかったかどうかは、やってみればわかるだろう、とユキは思う。ファンはいま「ハルノユキ」の曲を聴きたがっている。いや、ユキ自身がもう一度、歌いたかった。その衝動に身をゆだねたまでだ。

 ハル2は、ハルがユキと組んでいたころの動きを完璧に再現できた。ユキが驚くほどに。

 その歌、そのダンスは、ハルとステージですごした幸福な日々を思い起こさせてくれた。

 アンドロイドは、ハルとの思い出そのものだった。ほんの三年前まで存在していた時空が閉じ込められた、記憶の箱。あれほど拒絶していたアンドロイドは、しかし、ただのマシーンではなかった。「この子を大事にしよう」とユキは思う。

 ハル2には考えを一変させる力があった。その音楽が、パフォーマンスが、受け手の胸に響くものであれば、それでいい、とユキには思えた。

 ユキは自分の活動を人々に認めてもらいたいという、ごく当たり前の感性を持っていた。ハル2と共演するまでは「そんなものはない」とずっと自分にウソをつき、フタをして胸の内側にしまい込んでいた。だが本人の死によって、その封印は解かれた。やはりハルの曲は、歌は、いいものだった。小さいころからいっしょにやってきたハルの音楽もまた、人々に認められてほしいと、改めて思う。

 ――自分が生きているあいだは、ハルの音楽が後世に残るように尽くそう。そのためにこそ、このアンドロイドにいてもらわなければ。

 ハル2の歌は毎回同じはずなのに、会場が違い、ユキの体調やテンションが違うごとに、違って聞こえた。もちろんそれは、会場の広さ、反響、温度や湿度に応じて歌がもっともよく響くよう自動調整するという技術の産物でもあったが、ユキにはハル2がシーンに合わせて感情を込めて歌っているようにしか思えなかった。

 ユキは「あの日、社長室でハルが言ったとおりだった」と思う。曲の聞こえ方や解釈が、毎回少しずつ変わる。作曲したときにハルが考えていた以上のことが、彼が作った曲には眠っていたのかもしれない、とユキは思う。名曲とはそういうものだ。さまざまな解釈を引き出し、聴く者がその都度の自分の人生に引きつけて感じ入ることができる。やっぱりハルはすごかったんだ。

 ハルと離れてからのユキは、なかなか手ごたえを得る活動ができていなかった。「ハルノユキ」時代以上に話題になることはなかった。自分の能力の限界を低く見積もりがちな彼女には、力を引き出す優秀なプロデューサーが必要だったが、メンタルが複雑な彼女の機微を見据えて提案できる人間は、現れなかった。セルフプロデュースも考えた。しかし、ユキは歌うことはできても、作詞や作曲などクリエイティブな行為は、人並み以上のことはできなかった。「師匠のコピーでしかない」と揶揄された落語家の父を持つユキは、オリジナリティやクリエイティビティなるものに、こだわりがあったのに、である。だからハルにそれを求めた。だがユキ自身にはそれがない。ハルの与えた音楽的な課題には答えられても、自分で何かをうみだす力がなかった。いくら訓練したところで、才能の壁を破れる気はしなかった。

 ハルはシャーロック・ホームズであり、自分は助手のワトソンにすぎない。ユキはハルから離れてから、いや、ハルが亡くなってからやっと、それを認めることができた。ワトソンにはワトソンの役割がある。そしてホームズがワトソンの役割を果たすことはできない。ワトソンはホームズのよき理解者であり、世間との仲介者でもある。ワトソンという媒介者がいなければ、ホームズの才能は、時に空転してしまう。ふたりがともに歩むことからこそ、事件は解決に向かう。ホームズは亡くなったが、そのコピーはいてくれる。コピーを通じてホームズのすごさを知らしめる、ホームズといつまでも伴走することが、自分の役割なのだろう。「コピーにはコピーの意味がある」。ユキの父はそう言っていた。おそらくは父が考えていたものと一致はしていないのだろうが、ユキにもその言葉の意味がわかった気がした。

 ユキは、ハルの音楽が好きだった。彼女は「ハルの歌をもっと多くのひとに聴いて欲しいし、広めたい」という欲望に忠実に生きることにした。

 彼女は公演の前後に、ハル2を何度も力強く抱きしめた。ハルとは、音楽賞を獲ったときに数回しただけである。ハグの感じは、本物とは違う。それでもユキは嬉しかった。ハルとは、もっとこういうことをしたかった。いっしょにいるんだという感覚を、密着する腕や、胸の感触で、分かち合いたかった。

 生前のハルを嫉妬させ、ユキに対抗心を燃やさせたアンドロイド・ハル2は、ハルが死ぬ前も死んだ後も、姿かたちを変えたわけではない。だが、ハルに近い者たちに呼び起こす感情を根本的に変えてしまった。

 追悼公演のMCには、あの島で体験した惨事から奇跡的に生還したサクラが、ハル2に“入った”。ハル2には、人間が日常的に会話するような機能、いわゆる自然言語処理を行う人工知能は搭載されていない。したがって、しゃべらせるには、遠隔操作によって誰かが入らなければならない。サクラが話した言葉は、すぐさまハル2の口から出ていく。サクラは必死でハルになりきり、ハルとして人々に話しかけた。

 在りし日を思わせるその姿に、往年のファンは感動を覚えた。

 それは、サクラも同じだった。ぶち壊せばいい、消えろ、とあれほど呪っていたアンドロイドだが、ハルの死後に間近で見たときには、父親が甦った気さえして、涙を流した。ハルをもういちど見たいと願う人のために、この公演でハル2を使ってハルになることを、サクラはユキに申し出た。

 サクラがサクラとして観客に語るのは、公演のラスト十分ほどだけだった。

「この日のために、ハル2の操作を、何度も練習しました。こうやって、父さんのからだに入って、父さんとして話をしていると、しゃべっているのが自分なのか、父さんなのか、ときどきわからなくなりました。俺以上に……ユキさんが」

 会場とユキが笑う。

「あんまり似ているから」

 それはユキの本心だった。「なりきり」がうまければうまいほど、対話相手を錯覚してしまう。死んだ人間が、あたかも生きて目の前にいるような気持ちになる。

「俺は今日、父さんになりかわって、天国にいる父さんがみなさんに言うだろうな、と思うことを言わせてもらいました」

 特定の人間そっくりのアンドロイドは、死者の代弁めいたことにもよく使われた。もちろん、死者が本当に語ることはない。残された者たちが「こんなことを言ってほしい」「こうあってほしい」と願っていることを、勝手に吐露するだけだ。ハルの本心がどうであったかなど誰も知らない。知りようもない。

「俺と弟は、本格的な反抗期になる前に父親を亡くしてしまったから、親離れできずにいます。もちろん、物理的には遠く離れてしまったけど、離れたくない、という思いのほうが強くあって。それにハル2をじっと眺めていると、父さんの心はこのハル2の体の中にある気がしてくるんです」

 遠隔操作されたハル2が、胸に手を当てる。

「父さんと、もっといっしょにすごしたかったし、いろんな言葉をかけてほしかった。だから俺たち兄弟は、父さんに言ってほしいことを、このアンドロイドにときどき言わせています。自分で言ったことがハル2の口から出ていくわけだから、バカバカしい光景です。でも、父さんの声は、とても説得力があって、勇気をくれるんです」

 特定の人間に似せたアンドロイドが家庭に導入できるくらいに安価なものになるのは、だいぶ先のことだ。だから彼らのような使い方は、まだ一般的ではなかった。のちには、遠隔操作型アンドロイドに言葉をオウム返しにさせるというセルフセラピー、あるいは親を早くに亡くした子どものために親の似姿をしたアンドロイドを与えることの効用が、学術的にも認められるようになっていくのだが。

「では最後の曲です。おいで、サクラ」

 ステージ上にユキ、ハル2、そして姿を現したサクラが並ぶ。ユキが口上をつづける。

「ハル2と私たちで作った、新曲です」

 サプライズに、会場がざわめく。

 生前のハルが、ハルノユキ用に書いていた未発表曲だった。

 のちにこの曲は「ハルノユキ」がリリースした楽曲のなかで、最大のヒット作となる。

 その日、ハル2のライブに涙を流したファンは少なくなかった一方で、会場にいた誰も、死ぬ直前のハルの気持ちに想いを馳せることはなかった。

 

   *

 

 ユキが亡くなるまでの約四〇年間、ユキとハル2、サクラによる、ハル追悼と被災者支援チャリティを兼ねたコンサートは年に一度、継続的に行われた。ハルの次男ジュンは技術者となり、ハル2のサポートに携わった。晩年のユキは、ハル2との共演は「青春が甦る、幸福な時間だ」と語っていた。彼がいつまでも若くいてくれることは、最高に嬉しい、と言っていた。サクラは「あなたは父親によく似ている」と言われるのが嬉しかった。父のアンドロイドの方が、自分よりも自分らしいと思うことすらあった。

 アーカイヴ・アンドロイドをつくって半世紀経つと、その管理を行うUA財団は本人や遺族からアンドロイドを回収する。ハル2はいまもUAのミュージアムに展示されている。UAミュージアムは、現在に至るまでの観測史上最大級のハリケーンと、反アンドロイド主義者の襲撃によって、二度にわたり壊滅的な被害に遭った。だが、バックアップデータからすべてのアンドロイドが完全な復元を果たした。

 ユキやサクラは、アンドロイド化されることはなかった。作品が歴史に名を遺したアーティストはハルだけである。

 

 

(次回は11月18日更新予定です。お楽しみに)

 

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