ハーン・ザ・ラストハンター

『ハーン・ザ・ラストハンター アメリカン・オタク小説集』刊行記念
ブラッドレー・ボンド・インタビュー  後篇

『ハーン・ザ・ラストハンター:アメリカン・オタク小説集』の編者ブラッドレー・ボンド氏へのインタビュー後篇。収録作品の読みどころ紹介に加え、ボンド氏自身の創作観がうかがえる貴重な記録となった。

(承前)

ショック! 日本の奥地に食人族!

――次はブルース・J・ウォレス著の「ジゴク・プリフェクチュア」なのですが、最初にお断りがありまして、本文に入る前に人体損壊などの残酷描写に関する警告を1ページ入れさせていただきました。
ボンド:いまSkypeで送られたファイルを見ました。これは原作にはない演出です。
――演出というか、一応、注意書きとして入れさせていただきました。ゴアもありますし、ジャンル的にはこれが一番苦手な人がいるでしょうから。
ボンド:なるほど、問題ないでしょう。
――では、ストーリーの紹介をお願いいたします。
ボンド:精神的な修復を求めて恋人と日本旅行に来た男が、日本の奥地にある篠山県で食人族による襲撃を受けます。ツアーバスが岩と槍で襲撃されるのです。ひょんなことから主人公と親交を深めることとなる日本人キャラクター、ヒロも魅力的です。ジャンルとしては、ソリッドなゴアホラー(スプラッター)、サバイバルホラーものです。殺さないと生き残れないという極限状況の中に放り込まれた登場人物たちの心の動きを観察するものですね。
――まさに息詰まる展開です。ハラハラしっぱなしでした。なお篠山県は日本には実在しません。
ボンド:そうですか、ほっとしました。ちなみに私はホラーを読みなれているので、このくらいならば全く残酷描写の警告はいらないと思いますが。スティーヴン・キング、ジョー・ランズデール、ジャック・ケッチャムなどのモダンホラーを読める人なら、おとなしい方だと思いますよ。
――私も個人的にはそう思いますが、まあ、念には念を入れてみました。最初からホラー小説を求めて買う人には嬉しい作品ですが、面喰らう人もいるでしょうから。
ボンド:映画やゲームのPG警告みたいでこれはこれで味がありますよ。ブルースも気にいると思います。
――そう言っていただけますと幸いです。

少年マンガ風味のバスケ対決

――続いては少年マンガ風のバスケ小説「流鏑馬な! 海原ダンク!」です。あらすじの解説をお願いいたします。
ボンド:アメリカ人の主人公ジェイソンが、日本の高校にホームステイでやってきます。彼は体格にも恵まれ、バスケが得意なのですが、日本のライバル高校生はニンジャのような動きを誇り、主人公のプライドと自信を粉々に打ち砕いてしまうのです。ジェイソンは腕に「海原」という神秘的な漢字のイレズミを刻み、そこから神秘的なパワーを生み出して対抗します。
――スポーツマンらしい爽快さがありますね。ホームステイ先の智香子との関係性も興味深いです。読んでいて気になったのですが、これは彼の実際のホームステイ体験に基づいているのでしょうか?
ボンド:いいえ、著者のアジッコ・デイヴィスは、日本の80年代から90年代のアニメ・プログラムに影響を受けています。少年時代からバスケットボールに打ち込む中、一方で日本のアニメ/ヘンタイ・カルチャーにひそかに傾倒し、二重生活めいた青春時代を過ごしていました。
――二重生活? なぜでしょう?
ボンド:米国のスクールには厳格なカースト制度が敷かれているためです。オタク・ビデオを愛好していると知られたら、彼はスポーツ系のカーストから弾き出され、自分の地位を維持できなかったからです。この作品はデイヴィスにとって、過去の自らの魂を救済する意味を持っているのかもしれません。

ミステリアスなゲイシャ2部作

――次は「隅田川オレンジライト」と「隅田川ゲイシャナイト」の2部作です。解説をお願いいたします。
ボンド:これは非常に説明するのが難しい、コンセプチュアルな作品です。「パロマー」(イタロ・カルヴィーノ)のような多層構造の、言葉によって構築されたインスタレーションのようにも見えますし、全くそうでないようにも見えます。まずは読んでみてください、としか言えません。サラリマンの料亭における飲み会について、極めて緻密な描写が行われるのですが、特筆すべきは「特筆すべき事件が何ひとつ起こらない」ことです。古い日本映画に似た趣もあります。
――一体どこにルーツがあるのでしょうか?
ボンド:デイヴィッドは日本文化に親しみ、昭和の日本映画を片っ端から視聴しているといいます。彼は特に伊丹十三作品を好み、日本映画に傾倒したきっかけも伊丹十三の映画『タンポポ』だそうです。とにかく独特のアトモスフィアがあり、絶対にこのアンソロジーに入れたいと思った、ミステリアスな読み味の作品です。


NPCが米国産MMOから日本産MMOへ転移したら!?

――最後の作品はマイケル・スヴェンソン著作の「ようこそ、ウィルヘルム!」です。解説をお願いいたします。
ボンド:一言で言えば、これはMMOファンタジーRPGものです。日本だと、MMOファンタジーRPGの中にプレイヤーが取り残されてしまう小説が人気だと聞きましたが、この作品の主役たちはNPCです。つまり主人公のウィルヘルムは、思いがけない電子的アクシデントにより、全く異なるMMORPGの世界へと転送されてきてしまうのです。
――プレイヤーは知らないけれど、彼らは実は自我を持っているわけですね。
ボンド:そうです。『トイ・ストーリー』のようなものですね。プレイヤーたちは知らないけれど、オモチャやNPCたちは秘密の社会を持っていて、勝手におしゃべりを楽しんでいる。その世界がゲーム空間であり、自分はプログラミングされたキャラクターで、自分たちとは別にプレイヤーがいる……ということに気づいているNPCもいれば、そうでないNPCもいる、という世界です。
――とても生き生きと世界が描かれていますね。
ボンド:この辺りはマイケルの非常に絶妙なストーリーテリングとなっており、終始NPC側の視点で世界を描いていますから、躍動感が生まれるのでしょう。そしてそこに、ギャップも生じるのです。
――なるほど。ギャップといえば、扉イラストが端的な対比になっていて面白いですね。(※ウィルヘルムの表紙イラストを添付)

 


ボンド:とてもいいイラストです。右が米国産のハードコアMMORPGから飛ばされてきた不運なNPC、魔女狩師(ウィッチハンター)ウィルヘルム。そして左が、ウィルヘルムを歓迎することになる、日本産MMORPGの案内役NPC、明るく快活なマリカです。
――マリカちゃんかわいいですね。
ボンド:永遠の流血と戦争が続いているウィルヘルムの世界には、ひとつの伝説がありました……どこかには、争いごとのない、調和に満ちた平和な世界、理想郷が存在するのだと。
――それが、マリカのいるMMORPG世界「ロード・オブ・イグゼシオ」だったと。
ボンド:その通りです。異世界へとやってきたウィルヘルムはいわゆる文化ギャップに驚き、喜び、しかしやがて落胆し、打開策を探し求めるのです。
――純粋に異文化ギャップを楽しむファンタジー小説としても読めます。なんというか、温かい気持ちになれますね。
ボンド:はい、これは作者のマイケル・スヴェンソンが、様々なネットゲームを、さまざまな地域のサーバーでプレイしてきた経験に基づくものでしょう。ゲームが大好きな彼は、日本と欧米のゲーマーの特性や振る舞いについて、いくつもの驚くべき体験をしてきたといいます。そうした実体験をもとに、彼は「ウィルヘルム」シリーズを書いているのですから、細部にリアリティがあるのでしょうし、フィクションの部分もとてもうまく描かれています。コンセプトも斬新ですが、それにとどまらず、小説としてとても面白いものになっています。決して、どちらか片方の文化を貶めるようなものではありません。互いの違いを認め、その先に進もうというとても純粋で前向きなパワーが、彼の小説にはあります。私はその明快さがとても好きです。

本書全体のコンセプト

――収録エピソードについての紹介、ありがとうございました。ここで改めて、本書全体のコンセプトについて少しお聞きしたいと思います。これはもしかすると、今回のアンソロジーだけでなく、ボンド=サンの創作物自体についても含まれる、いくらか突っ込んだ質問になるかもしれませんが……。
ボンド:構いません、良い機会だと思います。何でも聞いてください。
――ありがとうございます。では……例えば『ニンジャスレイヤー』のアニメなども、一部のアメリカ人視聴者から「あれはウィーアブーや、日本文化を誤解した日本かぶれのアメリカ人を皮肉ったものではないか」などと言われたことがありましたが、その点はどうなのでしょう?

Weeaboo(ウィーアブー)
ウィーアブーとは簡単に言うと「日本のサブカル文化(主にアニメと漫画)が大好きすぎて、崇拝レベルまでイっちゃってる外国人」のこと。元はアメリカの4chanで生まれた「White-Japanese」略して「Wapanese」が語源のネットスラングである。ウィーアビーとかウィーアボーなどと崩れたり、ウィーブと略されることもある。何故「Wapanese」が「Weeaboo」になったかというと、4chanでは差別的な用語として使用禁止のため、書き込まれると「Weeaboo」に自動変換されたためだ。このように、かつては否定的なネットスラングとして、超コアでヤバいアニメオタクに対する攻撃に使われることが多かったが、最近はマイルドで一般的な言葉になりつつあり、単なる「日本のアニメ好き」「原宿とかのカワイイ文化好き」「コスプレとか好きなので日本に行ってみたい人」くらいまで広がっている(当然、その場合は否定的なニュアンスなしで使われることもある)。これはアメリカにおけるオタク層というのが、どんどんカジュアル化してきている事、日本という国がSNSやインバウンド政策などで精神的、物理的に近くなっていることなども関係しているのかもしれない。

ボンド:それは大きな誤解です。確かに私の作品や、アンソロジーの収録作品の中には、多くの読者にとって馴染みの薄い日本語がたくさん含まれているでしょう。新たに作り出したものもあります。本来の意味から離れているものもあるでしょう。しかし私も翻訳チームも、ウィーアブー的な作品や、日本に関して何かを誤解した作品をただ笑い物にするなどという浅はかな考えは持っていません。そう信じています。それは非常に下品だし、何よりエンタテイメントやアートとして質の低い、つまらない行為です。仮に「些細な間違い」があるとしましょう(私のストーリーにもあるでしょう)、しかし「間違いを含めて物語を楽しむ」のと「間違いを嘲笑ったり取り締まる」のは根本的に違います。そして、私たちは警官になどなりたくありません。私たちはただ、これらが本気でクールだと思っているだけなのです。これらのものに対して、本気で価値を見出しており、それを共有したいだけなのです。
――なるほど、それを直接おうかがいできて、安心しました。そのような美学に基づいていると。
ボンド:すべては美しさのためです。サイバーパンクの猥雑な近未来都市の情景や、クラブシーンで流れるあやしいマッシュアップ音楽などもそうですが、本来「そこにあってはいけないとされているもの」が平然と混ざり合い、混沌とした様相を呈していることの面白さ、そこにしかない美しさがあるのです。
――逆に言うと、リアリスティックな作品に対して、価値を見出していないということですか?
ボンド:そういう意味ではありません。それらの作品も大好きですが、新たな価値観を提示するには、それと対極に位置するような、サイバーパンク都市のどぎついネオンカンバンのような、象徴的なイコンが必要なのです。私たちの作品は、主流的な売れ筋のエンタテイメントの文脈に則れば、本来5倍近いページ数が必要なプロット濃度です。そのような作品も書けるかもしれません。しかし、そのような作品だけに価値観が集中しすぎると、つまらない。繰り返しますが、私たちが提示したいのは、価値観なのです。
――ある種のカウンター精神ということですか。意図的な。
ボンド:カウンター、まさにその通りです。それはニンジャの繰り出すカラテ・アッパーカットのように鮮烈です。本当に素晴らしいカウンターカルチャーの多くは、それがカウンターであると最初は社会には気づかせません。ニンジャの殺し合いを想像してみてください。カラテ・アッパーカットが顎先に叩き込まれるその瞬間まで、相手に気づかせてはいけないのです。そうでないと、見切られてチョップを叩きこまれ、自分が先に死んでしまう。わかりますか?
――わかります。よくわかります。
ボンド:そのような作品を、ニンジャが当然のごとくカラテを繰り出すように、ごく自然な所作として紡ぎ出せるようになるのが、私の目標です。今回のアンソロジーの収録作品の中には、それを意図的ではなく、無意識的に行っている作者もいるでしょう。私の目標は、再びそこへと帰ることでもあるのです。
――どこまでを意図的に行っているのですか?
ボンド:私は自覚的です。間違いのないものだけを追い求めてもいずれ限界がやってきます。もちろん、文化的なタブーなどが含まれていれば問題ですし、対処されるべきだとは思いますが、基本的には自由な発想とミームの交雑、そこから生まれる新たな多様性について完全に肯定しています。そしてその奥底にある、物事の本質を見ることの重要さを描きたいのです。私たちが文章を通して常にやろうとしているのは、「ウィアード・テールズ」に代表されるパルプ・マガジン的な怖いもの知らずのフロンティアスピリッツ、そしてパンク・カルチャーとも結びついたロウブロウ・アート的な精神です。しかし何よりも重要なのは、それが小難しい文学作品や論文ではなく、れっきとしたエンタテイメントの形になっている事なのです。
――今回のアンソロジーは、ボンド=サンのそうした長年のテーマを読み解くための一端とも言えるのでしょうか。
ボンド:いえ、そこまで肩肘はるようなものではありません! 今回のアンソロジーに収録されているのは、ただどれも最高にクールで面白い小説ばかりです。ぜひ、読んでみてください。そしてブルース・リーが説いたように、考えるのではなく、感じてみてください。それだけで十分です!

(終わり)