遠い地平、低い視点

【第29回】祭の継承

PR誌「ちくま」11月号より橋本治さんの連載を掲載します。

 九月になって(東京の)アチコチで秋の祭が行われていた。夏ではなくて秋の祭なのだから「収穫の秋」と関係があるのだろうが、東京の都市部は、ずっと以前から「収穫」なんか関係がない。東京の住宅街で生まれ育った私は、小学生の頃まで「夏の暑さが終わったからお祭になるんだろう」などと、漠然と思っていたけれども、稲の刈り入れをする農家が家の近くにまだあって、でもその農家が祭の中心にいるわけでもないから、祭と「秋の収穫」があまり一つにはならなかった。
 御輿や山車を置いておく町内の神酒所の仮祭壇には、ブドウや梨の秋の果物が捧げ物として上げられていたから、そこに「秋」があったのは間違いないが、「お祭というのはなんのためにあるのだろうか?」というのは謎だった。でもそんなことを考えたこともなく、「お祭が来る」と思うだけでドキドキした。家から少し離れたところにある神社が、普段は静かな森のようなところなのに、年に一度だけ露店が一杯に並んで、不夜城のようになる。そのことに一番興奮していたのだから、娯楽の少ない時代ではあったことよと思う。
 中学生になったら、そのドキドキがなくなった。中学校は、その神社の森とは目と鼻の先にあって、年に一度非日常空間となるものを日常的に眺めていると、興奮のしようもなくなるらしい。青春ドラマにありそうな「みんなでお祭行こうよ」という声がクラスの中で上がることもなかった。時期も悪かったのかもしれない。私が中学生になったのは一九六〇年のことで、もうテレビは十分に普及していた。スイッチを入れれば、テレビの向こうには「非日常的な祝祭」のようなものが、当たり前にある。更に、電車に乗れば十分か二十分で「盛り場」というところへ行けてしまう地の利だから、ワクワクしたい中学生はそっちの方でワクワクしてしまう。
 私の勝手な判断によれば、東京にいくつもあった「名があるんだかないんだか分からない程度の住宅地の祭礼」は、町に賑やかさが宿ってしまった一九六〇年代になって寂れ始めてしまう。この間、町を歩いていたら御輿の列と出会して、うっかりそんなことを思い出した。
 いつの間にか、祭は寂しくなっていた。私鉄の駅前の人出の多いところなのに――近隣住民はいくらでもいるはずなのに、誰も祭の御輿に関心を持たない。担ぎ手の方も、ようやく定員を満たした程度の数で、昔の御輿なら担ぎ手の脚に隠れてろくに地面は見えなかったものだが、現代のそれは地面が丸見えのようなスカスカさで、賑やかな町の無関心の中を進む御輿を見ている内に、「この担いでいる人達は、本当にこの町の住人なんだろうか?」という気がしてしまった。
 御輿を担ぎたくていくつもの祭を渡り歩くマニアのような人達がいて、一方では町内の御輿の担ぎ手不足が嘆かれて、希望者がいれば外部の人間にも御輿を担がせるところはいくらでもある。地域とは無縁のような様子で進む御輿を見ていて、そんな気になった。町内の祭にならどこにでもあったはずの子供御輿の姿がそこになかったこともあって、「これはセミプロの御輿かな」という気になった。
 御輿の進む先に、法被姿の老人がいた。明らかに「町に住む町内の世話役」で、昔はそんな老人が御輿の周りに何人もいたのが、今や一人しかいなかった。私はそこで「オヤジ社会の終焉」を思った。
 今となっては、神酒所のなんたるかを知らない人が多いだろうが、町内に設けられる御輿や山車を出すための前線基地で、祭壇の前では「世話役」であるような町内のオヤジ――というかジーさん達が集まって酒を飲んでいる。「来るな」と言っているわけではないが、限られたメンバーしかいない。女の姿は、差し入れの食い物を持って来るバーさんだけで、「ある種のジーさん専用の酒飲み場」になっているから、それ以外の人間はあまり近寄らない。私の家のガレージが一時町内の神酒所になっていたから、そのことはよく知っている。志願者が減った御輿の担ぎ手の中には女もまじっていたが、神酒所で酒を飲んでいる女は、きっとまだいないだろう。「日本社会のあり方ってこれか――」と、突然思った。
 神酒所に来るジーさんの中では、世代交替が起こっている。どういう段取りでかは知らないが、ジーさん達のグループ内に入れ替えは起こって、しかし町の変化と共にジーさん達は孤立して行く。ジーさん達のグループは外に向かって開かれていないから、「みんなで祭やろうぜ」のアピールが起こらない。そんなアピールの仕方を知らないから、必然的に孤立して、排他的なグループになってしまう。
 自民党員であるはずの都知事・小池百合子と自民党都議団の間に対立があるというのは、「女は上げない」という慣例のある神酒所の中に女が上がり込んでしまった結果の「世話人ジーさんの不満」なのかもしれない。

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