人はアンドロイドになるために

3. See No Evil... 前編

 春先の山は、まだ肌寒い。とくに朝は。だが気持ちのいい空気で満たされている。風に木々がそよぎ、ざざざざと音を立てる。草や花の香りも心地よい。何より、高いところに住む利点のひとつは、見晴らしのよいところから景色を一望できることだ。

 ここで彼は、何度も決断してきた。近所を歩き、山のふもとを見下ろせる休憩所で一服するのは、覚悟を決めるための儀式だった。

「こんな歳だ。いまさら何が起こってもかまうまい」

「こんな年齢になって、後悔して死ぬのはいやだ」

「ここで孫との関係が途絶えたら、孤独死か」

 誰もいない休憩所で腕立て伏せをするカズオに、さまざまな思いがよぎる。

 ここしばらくの人生を振り返る。

 彼は仕事に生きてきた。趣味らしい趣味は、身体を鍛えること以外なかった。読書はもっぱら仕事に関わるものばかりで、テレビもネットも、ほとんどニュースしか観ない生活だった。世俗の情報は、なるべく入れずに生きてきたのだ。

 仕事で成果はあげてきた。手ごたえも、満足もあった。定年を迎えても再雇用され続け、七四歳まで、働く場所を与えてもらっていた。

 だが年上の妻が認知症になった。「私のものを盗ったでしょう」とくりかえし言いはじめたのだ。何のことかと思ったが、これはアルツハイマー型認知症患者に見られる典型的な症状だと、すぐに知ることになる。

 妻に疑われ、攻撃されるのは生涯でもっともつらい経験のひとつとなった。妻は妻で「どうして長年連れ添った夫が自分の大切なものを奪うのか」と本気で信じていたわけだから、いま思えば苦しかったのだろう。傷つけ合わずに済むなら、そうできればよかった。

 カズオは、筋肉に負担をますますかけるようになった。

 そして職を離れ、妻との残された時間をたいせつにしようと決めた。だが自分ひとりの手で、家で介護できなくなるほどまで認知症が進行する。彼はなけなしの貯金を使い果たす覚悟で、妻を老人ホームに入れる。カズオは極力「人間的なふれあいを重視する」というホームを選んだ。なるべく機械に頼らない主義を貫いているところだ。妻の意向ではなく、彼の考えだった。

 夫婦いっしょに入る資金は、用意できなかった。在宅介護は終わる。妻がホームへ入所する冬の日の朝、正直に言えば解放されたような気持ちがなかったわけではない。だが当然、さびしさもあった。敗北感と罪悪感がのしかかってもきた。

 妻は年寄り扱いされること、自分の意に沿わないことを強制されるのを何より不愉快に感じる人間であった。施設に入ると、そうした扱いは避けられなくなった。施設の職員にも事前に伝えていたし、注意を払って接してもらったが、それでも――どうやっても妻はそう「感じて」しまったのだ。

 心で認識している自分のイメージと、実際の頭やからだの動きがまったく一致しない。思っているよりも、できない。年を取るとこれがつらい。今までできていたことに途方もなく労力がかかり、疲れやすくなる。認知症であればなおさら、新規のこと、複雑なことをこなすのはむずかしい。カズオは妻の生活の多くのことをルーチンにすることで、なんとか安定させようとしてきた。家でも、ホームでも。

 しかし、妻は亡くなる。最期のころの混乱した記憶や胃ろうのつらそうな姿については、思い出したくはない。だが、忘れることもできない。とはいえ、施設の人間に恨みはない。死は遅かれ早かれ訪れる。せいいっぱいの扱いはしてくれた。

 気づけば彼は七九歳になっていた。こんな老人を雇い入れてくれるところはなく、伴侶もいない。

 目的さえあれば、それに向けて努力してきた。

 仕事で結果を出す。妻を支える。そのために必死だった。

 だが今は、生きがいと呼べるものをほとんど失った。

 社会とのよすがになりうるものは、孫だけだった。一人息子の、一人息子。それが孫のユイだ。

 ユイと会ったのは、妻フミコの葬儀のときが初めてだった。

「四〇になって、ようやくできた子供なんです」

 と息子のハザマは言った。ハザマは父以上に筋肉質で巨体なうえ、寡黙な男である。そんな人間が、緊張したオーラをまとって葬儀会場に喪服を着てサングラスをかけてやってくる。そして遠くまでよく通る声で名乗り出たから、会場は少しざわついた。もちろん、カズオには息子を久々にこの目で見た驚きのほうが大きかった。

 その横にちょこんと立っていたのが、まだ小学校五年生のユイだ。カズオはこの少年を見た瞬間、目が見開き、全身の血流が活性化するような驚きと喜びがあった。「血のつながり」を感じた。

 勘当されていたハザマは、どこからか聞きつけて母親の葬式にやって来たのだ。サングラスをかけていたのは「なんで芸能の仕事をしている人間がこんなところに」などと思われないためのハザマなりの配慮だった。だが眉間にしわを寄せ、神妙な面持ちをしたマッチョが現れたことにより、別の意味で目立ってしまった。

「母さんとは、こっそり連絡取っていましたから。いろいろ聞いています」

 カズオはフミコの死後にそれを知った。この山間の家に引っ越したことも伝えていなかったが、妻からか、あるいは共通の知人をたどっていけば、近況を得ることもできたのだろう。やってきた息子を、追い返しはしなかった。できるはずもなかった。久方ぶりに、長く話す機会を得た。とはいえ互いに寡黙である。緊張するとよけいに無口になる。ハザマは修羅場を何度もくぐり抜けてきたような顔つきになっていたが、彼に何があったのかを、カズオは尋ねることができなかった。

 だからまだ、しこりは残っている。

 人生の残りは長くはない。このまま決裂した状態で、息子と死に別れたくはない。

 頭ではわかっている。だが、かつて息子がいくらコンタクトを取ってきても突っぱねてきた過去の行動と、整合性がつけられない。ちっぽけなプライドが邪魔をする。

 人間と人間のふれあいが大切だ、こじれたら面と向かって対話しろと、仕事ではつねに周囲に説いてきた。息子との関係については、そうしなかった矛盾を見つめないままに、ここまで来た。

 カズオには、孫を通じて息子とも近づきたい、という思いもないではなかった。

「テレノイド……か」

 カズオは「テレなんちゃら」という名前のものには、いやな思い出しかなかった。このころには、遠く離れていても通信相手がその場にいるように感じられる“テレプレゼンス”技術はそれなりに普及していた。よく使われていたのは、めがねやコンタクトレンズ型のウェアラブルデバイスを通じて、話し相手のイメージや音声が再現されるタイプのものである。単なる音声通信や、ディスプレイ上に対話相手が表示されるテレビ電話(テレビ会議)よりも、三次元の情報量のあるテレプレゼンスは、ビジネスの世界では重宝されていた。彼は、施設に入った妻との通信にテレプレゼンスを使ってみてはとすすめられて試してみたのだ。だが妻は老い衰えた姿を見られたくない、感じられたくないようで、だめだった。

 あの苦味を、くりかえすことはしたくない。それが、彼がテレノイドに対して消極的な、最大の理由だった。

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