人はアンドロイドになるために

3. See No Evil... 前編

 散歩から帰宅し、一〇畳ほどのほとんど何もないリビングで一息つく。

 静けさの中で、彼は覚悟を決める。テレノイドを、試しに使ってみることにした。

 妻とのテレプレゼンスでのやり取りを思い出して、胸が痛む。トラウマが再来して、手が震える。

 しかしそれを振り切り、孫から教えてもらったモバイルアプリを立ち上げ、「今からテレノイドで話してもいいか?」とテキストで一報を入れる。

 すぐにむこうから、テレノイドに着信があった。あわててテレノイドを持ち上げ抱きかかえ、電話を取る要領で端末に備えられているボタンを押すと、通話が始まった。

「じいちゃんだ!」

 彼の目の前で、奇妙なかたちをしたテレノイドが音声に反応して動く。なんだこれは、と思う。それでもすぐに、孫との会話に集中したい気持ちのほうが上回り、テレノイドの奇妙さには気を払っていられなくなった。

 孫はうれしそうな声で話しかけてきてくれた。テレノイドごしだと、ユイはまったくどもらない。

 何から話したものかと考えたカズオは無難にまずは近況から聞く。するとプログラミングの塾に通っているという。プログラミングが義務教育に組み込まれるなんて、と初めてカズオが思ったのはずいぶん昔のことである。

「あとね、父さんに教えてもらって、自分が生まれたころの音楽聴いてる。デイヴ・ブラウンとかハル2とかMAScakとか。知ってる?」

「そうか。じいちゃん、そういうのは全然わからないんだ」

「そうなんだ。僕、自分のルーツみたいなのに興味があるから、じいちゃん、色々教えてよ。父さん、何も知らないからさ」

「ん? じいちゃんに話せることなんてあるかな……。学校は、楽しいか?」

「学校? ほとんど行ってない。時間のムダだから、自分で勉強してる。いちおう義務教育だから、家から授業は受けてるよ、遠隔で。つまんないけどね」

 最近はそういう子どもも増えているというが、まさか自分の孫がそうだとは、とカズオは眉をひそめる。

「ユイの父さんは、なんて言ってる?」

「父さん? これから世の中どうなっていくかなんてわからないから、お前の好きにしろって。自由に生きていい、ただ、三〇歳までには自立しろ、って。だからいろいろ勉強してる。いまは人工生命に興味があって――」

 その言葉を聞いて、カズオは自分がハザマの進路を狭めようとした過去を思い出す。それでユイには放任主義になっているのだろうか。いや、芸能を職にすること以外は、自分も息子に好きでやらせてきた、放っておいたのだった、とカズオは思い出す。そこだけが、彼にとっては踏まれたくない地雷だったのだ。

「テレノイド、どう?」

 ふと改めて言われ、カズオは我にかえる。言われてようやく、テレノイドの重みを改めて感じる。対話していたのが、能面のように無表情な半身のロボットであることを思い出す。見る者によっていかようにも感情を読み取ることができるテレノイドの顔面を見ながら、カズオは孫の笑顔を想像していたことに気づく。

「使う前は抵抗あったけど、思ったよりも、話しやすいな」

「僕も最初は『何これ?』って思ったよ。父さん、頭おかしいんじゃないの? って」

「父さんがお前に教えたのか?」

「うん。もっとかっこいい顔とかデザインのロボットフォンもいっぱいあるんだけど、父さんが、おじいちゃんと話すならきっとテレノイドのほうがいいよ、って。父さん、ロボットといっしょに演劇したりしてるからさ。くわしいんだよ。知ってるでしょ?」

「……いや、初めて聞いた」

「そうなの? まあ、もちろん、自分でも調べたけど」

 テレノイドはテレプレゼンスのトラウマをよみがえらせることはなさそうだ、とカズオは思いはじめていた。

「せっかくだから父さんと替わるね」

 ふいに孫が言い、断る間もなく保留音のメロディが流れる。しばらくすると気まずそうな声で「父さん?」と聞こえてきた。どきりとする。何を話せばいいかが、わからない。

 葬式のときはお互いのことを語るのを避けるように妻の話ばかりしていたから、息子そのものと向き合うのは、本当に久々のことだ。

「『父さん』……でいいですか? 昔みたいに。それともユイもいるし、『おじいちゃん』とかのほうが……」

「なんでもいい」

 こいつは小五以来、親に対しても敬語だったな、とカズオは思い出す。そうか、今のユイくらいのころか。それまでは今のユイ以上に乱暴な言葉づかいだったのに、あれからずっとだ。

「わかりました。では『父さん』と呼びますね」

 しかし互いに、黙ってしまう。それでも向こうも何か言いたいことは、伝わってきた。

「ユイとも敬語なのか」

「そうですけど……何か?」

「自分の子どもに敬語は変じゃないか?」

「どうでしょう? うちではそれが当たり前だし、私にとっては、これがラクなんです」

「……そうか」

 ハザマは幼少期にはそのガタイのよさから、周囲にこわがられる存在だった。そのことをカズオは相談され、「やさしく話しかければ、誤解もされないんじゃないか」と軽い気持ちで言ってみたらば、以降はずっと、なのである。カズオにとっては筋肉こそが他者を寄せ付けにくくし、心の安寧を保つための鎧だった。だがカズオ以上に体つきが大きく、威圧感を与えがちなハザマにとっては、筋肉は他者とのあいだの壁であった。だから、言葉づかいをソフトにすることが、他者との距離感の調整弁となった。

 そのあとふたりはまた「元気か」「はい」程度の、他愛のないやり取りをしばらくつづける。

 敵意はない。情を感じる。それで十分だった。何か踏みこんだことを言えば、過去の自分の行動を、言動を、蒸し返すことになる。それよりは曖昧に黙って、親子の間柄において「察する」ことを選んだ。

「よく考えたら、いっしょに住んでいるときだって、とくに何か話したわけでもなかったな」

「ああ、まあ、そうですね。父さん、家で何もしゃべらなかったですから。いいとも悪いとも言わなかった。だから……いや、それはいいです」

 言いよどんだのは、勘当の一件のことだろうか。カズオは、今ならわかる、と思った。自分がそういう態度であったからこそ、息子は、芸能界入りに猛反対されたことに戸惑っていたのだと。ふだんから何を考え、何を信条としているのかを家族で共有していれば、息子も自分の理屈に納得してくれたかもしれない、と。

 カズオが激烈に反対したのは、彼自身が一〇代のころにダンスミュージックの世界で注目され、メジャーレーベルと契約するも、彼らのやっていた音楽ジャンルのブーム全体が沈滞化するのにともない、ほんの数年でレコード会社からの契約を切られたという苦い経験があったからだ。ジャズマン出身だというその会社の社長は、セールスに厳しかった。

 そしてカズオは、時流を見て売れ線に切り替えられるほど、器用ではなかった。アルバイトと音楽活動を掛け持ちしてやっていたが、多忙のあまりストレスで突発性難聴になり、しばらく放置してしまった彼の耳にはダメージが残った。「自分は音楽に選ばれなかったのだ」と思う。だから音楽をすっぱりやめた。専門学校に通い直して就職をし、結婚し、子どもをつくった。彼は音楽をやめてから、世俗の情報をシャットダウンするようになった。聴力はその後、人工内耳手術により多少は回復した。だが音楽や芸能に積極的に触れようとは、彼は二度と思わなかった。

 そのことを彼は、一度も息子に話したことがない。恥だと思っていた。だから息子が自分と同じように浮ついた気持ちで、業界の、そしてマーケットの残酷さなど何も知らないままに飛び込もうとしている姿に苛立った。それももはや、遠い過去のことだ。

 テレノイドのむこうにいる息子はすでに中年。五〇歳。役者としてもベテランの域である。そうだと頭ではわかっていても、対話しながらカズオに浮かんでくるのは離別する前の、まだ小中学生だったころの息子の姿だ。目が大きく、まゆ毛が太く、たらこくちびるで、真っ黒な髪の毛が人並み以上のボリュームで、がっちりした体格をしていた少年時代のハザマ。カズオにとっての息子は、あそこから時が止まっている。

 自分は幼きころの息子の幻影を孫のユイに見ているのだし、テレノイドを通じて見てもいる、と彼は気づく。もっともユイは写真や動画を観るかぎり、顔つきはハザマと似ていても、からだはひょろひょろだ。だぼだぼのパーカーに短パンとスニーカーを合わせるファッションを好んでおり、外見はそれほど似ていなかった。ただカズオはテレノイドを使っていたから、ユイの姿は見えていない。

「演技の仕事は、他人になりきって、自分にはない『ものの見方』を手に入れられるから好きなんです。それを活かして、他の人ならどう感じるだろうってシミュレーションしてみたりもします。だけどユイのすることとか考えていることは、親の自分の理解や想像を超えてきていて、ああ、子育てってこういうものか、って、改めて悩んでいます」

ハザマは言う。カズオは黙ってうなずき、その言葉を噛みしめる。

「『好きに生きろ』って言いながらも、やっぱり、自分の手の届くところにいてほしいんでしょうね」

 ハザマの姿は、対話相手のカズオには見えない。だが、テレノイドを抱きかかえることで、あたかも近くで触れあいながら相談されているような感触を受けている。実際に老人と中年が抱き合っていたら、それこそ当事者にすら気味も悪かろう。だがテレノイドなら使用者は相手の姿は見えないし、においも伝わらない。ほどよく都合のいい想像がふくらむ。

「ユイはなんで俺と話したいと思ったのか、おまえ、聞いてる?」

 カズオが息子に問う。

「ユイにはずっと言ってきたんです。『人間と人間のふれあいが大切だ、こじれたら面と向かって対話しろ』って。だけどあいつ、それがいちばん苦手ですから……納得がいかないんだそうです。『世の中には他にいくらでもコミュニケーションの手段があるのに、なんで直じゃなきゃダメなんだ』『なんでそれがいちばんいいと思うの?』と。それで父さんはなんでそういうこと考えるようになったのか教えてほしい、と言われて――」

「『面と向かって話せ』は、俺の口癖だったもんな」

 ハザマはカズオに会いに行くことで、実践してみせたのだ。

「……ええ。それと、去年だったかな。学校の課題か何かで『自分のルーツ、歴史についてレポートを書きなさい』というものがあって、それからずっと自分がどんな出自なのか、どんな親、祖父、先祖から生まれてきたのかが知りたいみたいなんです」

「だけどお前は何も知らない、語らない、と」

「そうです。なんでわかったんですか?」

 さっきユイから聞いたのだと伝える。

「それで父さんのことも知りたいらしいんですけど、私は父さんのこと、よく知らないですから。勝手に語るわけにいかないですし」

 カズオは黙る。

「ユイも、自分が何者なのか知りたい年頃になったんでしょうね。自分は何がしたいのか、何ができるのか、すごく考えてるみたいです。将来のことで悩むなんて、少し、早すぎる気がしますけど」

「……ユイに替わってくれ。俺から話すよ」

「いや、もう、どっか行っちゃいました。また今度、お願いします」

 苦笑いする。

 息子と話すうちに、カズオは十代のころ深夜ラジオが好きだったことを思い出す。勉強をしたり、本を読みながら、なんとなくだが、しかし毎週欠かさず聴いている番組があった。もっぱらラジオでしかその人間のことは認識しておらず、そのパーソナリティの顔がどんなものかを知ったのは、ずいぶんあとのことだった。イメージしていたような顔とは、まったく違っていた。想像のなかで、人物像をつくりあげていたのだ。テレノイドでの対話は、あの感じに似ていた。

 そういえば学生のとき、恋人と何度も長電話したこともあった。あのときもやはり、会話自体はぽつりぽつりという日もあったのだ。何か話す目的があって電話をしているのではなく、気持ちが通じ合っていることを感じるために、つながっているという快楽を得るために、電話をしていた。あのときの沈黙は、きもちがいいものだった。むりに話さなくてもいいということ自体が、とくべつな関係であることを証明していたからだ。

「これなら、母さんともテレノイドで話せばよかった」

 カズオがそう漏らすと、「どういうことですか?」と返される。彼は自分の妻の晩年がどうだったのかを改めて息子に伝えた。妻はテレプレゼンスでの通信をいやがり、今思えば、直接会うことも好ましくは思っていなかった。生きているあいだは認めたくなかったが、冷静に振り返ってみれば、節々にそういう態度は見られた。残酷なことをしてしまって、反省している。カズオは嘆く。息子も父に、母のことを話す。

 ハザマは長いあいだ妻と細々と連絡を取り合っていたが、ある時期から言動がおかしくなっていることに気がついた。息子は息子で、妻をどうすべきか、カズオに意を決して相談すべきか悩んでいたが、仕事や自分の子育てに時間を取られているあいだに、フミコは施設に入ってしまった。フミコは「話したいけど、会いたくない」と息子にも言っていた。だからハザマは一度しか会いには行かなかった。その一度の訪問は、後悔しかなかった。その後ユイが「会ってみたい」と言ったから、ホームの近くまでは付いていき、ホームへはひとりで会いに行かせたこともあった。妻はユイのことを幼き日のハザマだと思い込み、ずっと泣いていたそうだ。

 ――知らなかった。自分は息子や妻から気を遣われていたのか。

 カズオは、妻の認知症が進んだあとでも「お前のことは最期まで忘れていなかったよ」と息子に対して嘘をついた。本当は、誰のことも覚えていなかった。息子は長い溜めをつくり、うなずくだけだった。

 テレノイドの顔を見ながら、妻の顔を想像する。

 人間には、これから過ごす時間と今まで生きてきた時間がある。未来と、過去だ。未来よりも過去のほうが長くなった人間は、未来に対する希望や期待よりも、過去の思い出に包まれて生きている。カズオは、自分にとってテレノイドはそういうものだと直感した。記憶を想像させる装置だ、と。

 カズオは息子に、そんなことを話す。

「でもね、ユイにとっては全然違うんです。話している相手がどんなひとなのか、どんどん想像がふくらむ、って」

 そこでカズオは初めて、孫のユイ側も、そして今話している息子もテレノイドを使っていたことを知る。ということは、こちらの姿はモニタリングしていないのか。自分の表情や格好が見えていないとわかると、肩の力が少し抜ける。

「テレノイド同士の会話はあんまり推奨されていないんですけどね。日常的なコミュニケーションに使うなら、片方は相手の姿を見ていたほうがいいっていう意見が大半です。でもテレノイド同士でも、こちらのテレノイドに付いているカメラが相手にこちら側の動きや表情を送って、そちら側のテレノイドで再現しますから、それでいいんじゃないという人もいます。ユイはそのほうが話しやすいみたいです。あいつ、変わっていますから」

 お互いに通信用ロボット、または遠隔操作ロボットを使っての対話には不自然さがつきものだった。というのも、ひとつにはロボットやアンドロイドと、人間のからだの構造が違うためだ。遠隔でロボットを自然に動かすには、人間にとって不自然な動きをしなければならない。操作者が正しく振舞っているつもりでも、ロボットに触れている遠隔地の人間の側にとっては、そうとは限らない。また、何か音がしたら振り向くといった反射的な動作は、当時のロボットには難しいものだった。さらに言えば、人間が持っている情報量や伝えられる情報量と、ロボットが持っている情報量や伝えられる情報量の落差も、不自然さを増幅させた。だからテレノイド同士の対話は推奨されていなかった。

 ただ、この時代を前後してすぐに、ロボットがアイコンタクトや、相手のうなずきにしたがって、端末のロボットもうなずく、といったことまで、自動で判断し、勝手にやってくれる機能が格段によくなった。自動車にも、レーンコントロールやブレーキアシストシステムのような「半自律」のしくみがある。そのロボット版だ。すべてを人間が操作するよりも、ロボットが多少は自律的に人間同士の会話に介入して動いたほうが客観的に見れば『自然な動作』になる。うなずいたり、視線を動かしたり、対話先の空間で物音がしたらそちらを向いたりといったことまで遠隔操作ですべて人間がやることは難しく、ロボットが勝手にやってくれたほうがいい。しかし勝手に動くことによって、当事者たちが主体的に対話している感じが阻害されてしまっては、意味がない。実はロボットに介入されているのだが、しかし、さも対話者自身が自発的にやっているように思ってもらえる加減、ズレ幅が重要だった。人間は、自分がした動作とマシンの動作の誤差が二〇〇ミリセク以内なら「自分の行動」だと認識する。また、自律的な動作が本人の予測の範囲かどうか、自分でもそうするだろうという予想の範疇であることなども重要である。

 

 カズオにとっては、片方だけがテレノイドでも、両方がテレノイドでも、初めて使うものであり、新鮮な感覚を覚えるものだった。ユイのようにまだ見ぬ姿を妄想することも、カズオのようにかつての豊かな記憶にアクセスすることも、イメージを産みだしていることには違いない。

 通話を終え、カズオは妻の生前から冷蔵庫に入れっぱなしだった白ワインを開け、一口だけ呑んだ。本当に、久々に。唇から舌へ、そして胃へと酒が流れる。胸がぎゅっと熱くなり、顔が火照る。いい、気持ちだ。

 

(「See No Evil...(後編)」につづく〔11月25日更新予定〕。)

 

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