ちくま新書

江戸の繁栄の秘密
地形と経済で見る

11月刊、鈴木浩三『江戸の都市力』の「はじめに」を公開いたします。本書は、家康が造った町の繁栄の秘密に「地形」と「経済」の視点で迫ります。


†「江戸」の意味
 この本の主なテーマは、徳川家康が入府してからの「江戸づくり」である。ハードとソ
フトのインフラが有機的に結びつきながら整っていく様子、まち造りがもたらした経済の
急拡大、出来上がった都市を管理する仕組みなど「江戸の都市力」と、その源について話
を進めていく。
 まず、本論に入る前に「江戸」という地名の意味を確認することから始めたい。
「江戸」の「江」には〝水が陸地に入りこんだところ〞、「戸」には〝モノの出入口〞といった意味がある。「江戸」と呼ぶようになった理由や、呼び始めた時期は定かではないが、江戸時代の〝都市改造〞以前は、江戸湾(東京湾)の最奥部にあった半島状の江戸前島の西側には、旧平川の河口部と日比谷入江、東側には旧石神井川の河口部があって、「江」や「戸」という語の意味通りの地理的条件を備えた場所であった。
 さらに東側をみると、東京下町低地と呼ばれる沖積地が武蔵野台地から下総台地まで広
がっている。そこには、現在も隅田川(旧入間川)、荒川、中川(旧利根川)、江戸川(旧太日川)が流れているが、旧利根川水系が作る大きな「江」を形成していたのであった。
 つまり「江戸」は、旧利根川水系の大河が流れ込む江戸湾最奥部の「江」に隣接するの
と同時に、中小河川の河口部を東西の付け根部分に持った場所であった。このような地理
的条件ゆえに、有史以来、水陸の交通を利用してヒトやモノなどが集まって、品物の交換
や売買がなされる場、すなわち湊や市場として機能してきた。大河川に面する場所は、洪
水など自然災害を受けやすいが、「江戸」の場合は、地名が付けられた頃の人々にとって
は、「入江の戸」として管理可能であり、舟を着岸させて荷役をしたり、商取引などの社
会的活動を安全に行うことのできる場所だったからである。


†繁栄のポイント
 家康以前、源頼朝や太田道灌の時代の江戸も、関東や甲信、東北地方の経済圏が重なる
水運・商業の拠点であり、海運によって関西・西国のほか、大陸との交易も行われていた。
 しかし、江戸が空間的にも都市の諸機能の面としても、急激に拡大・発展したのは、天
正一八年(一五九〇)に家康が江戸に入ってからの約七〇年の間であった。国中からヒト・モノ・カネ・情報が輻輳する都市に変貌し、さまざまな価値が生み出されるようにな
った。この発展の起点になったのが、江戸前島と江戸湊であり、埋め立てや水路築造、道
路整備を交えながら大城下町の建設が進められ、水運網も整えられていった。江戸前島の
東西二つの河口部は埋め立てられ、江戸の姿は大きく変わっていったのである(海面に進
出して都市を造成することは、明治以降も続き、現在に至っている)。
 江戸の城と都市づくりでは、自然地形を最大限に活かすとともに、徳川幕府が武家政権
であったが故、城と市街の防御・防衛という観点が底流にあった。また、国内の支配体制
を強化するなかで、天下普請により、大名たちの負担による江戸城や江戸市街の土木工事
が繰り返し命じられ、江戸の防衛体制も強化されていった。
 普請工事の集中とともに、参勤交代制度の確立は、全国の富が江戸に集中するメカニズ
ムを定着させた。しかも、通貨発行権を掌握した家康の下で統一通貨が発行され、天下普
請の資材・労働力などの購入に多用されたこともあって貨幣経済が急速に浸透した。家康
が「お金の時代」の幕を開けたのであった。
 徳川氏の江戸づくりを契機に、江戸は巨大な消費市場になり、それに伴うビジネスも成
長して、資本主義的な社会が定着していった。金・銀・銭の三貨幣が変動相場で取引・交
換され、遠隔地間の決済のための為替も発達し、労働市場さえ出現する時代が到来した。
「軍事」と結びついた〝大建築事業〞が、江戸のダイナミズムに火を付けたのであった。
 とはいえ、そのダイナミズムを継続させたのは、ハードとソフトのインフラの相互作用
と、それぞれの進化であった。城や都市の建設はハードとしてのインフラであるが、天下
普請や参勤交代などの制度はソフト面のインフラだと言える。市街の造成はハード系であ
るが、そこで活動する商家の取引ルールをはじめ、通貨制度や、出来上がりつつあった都
市の維持管理の仕組みはソフト系である。
 ところが、多くの大名は大名貸といって商人から多額の借金をして、江戸屋敷の運営や
参勤交代の経費に注ぎ込むようになっていった。しかし、時代が進むにつれて、農地拡大
による年貢増収も困難になり、返済は難しくなった。貨幣経済や商品流通が発達する一方
で、経済面での「武士と町人の力関係の逆転」という皮肉な現象を招いたのであった。ま
た、江戸への集中が続いたため、都市問題や貧困問題が深刻化し、幕府も対応に追われる
ことになり、現代の福祉政策に相当する政策の展開もみられるようになっていった。
 とはいえ、資本主義的な社会が訪れて、そのノウハウが約二六〇年間の江戸時代を通じ
て日本人に蓄積されたことは、明治以降の日本の近代化の重要な基盤になっている。


†本書の構成
 本書の構成は、次の通りである。
 第1章では、徳川家康が入府する前の江戸に関して、地理的条件や、歴史の流れを通し
て、もともとの江戸の「土地がら」を描く。
 第2章では、まず、家康が入府した直後の江戸の姿を紹介する。そして、城と城下町の
建設では、防衛の発想を根底に置きながら、自然地形を最大限に活かしたこと、家康が大
名を動員する天下普請の手法によって江戸を整備していくプロセスなどを具体的に述べて
いく。
 第3章では、新たな城下町への商人の誘致や、天下普請や参勤交代によって、江戸をは
じめとする全国の経済が大いに刺激され、江戸や大坂、全国の繁栄の基礎になったことに
触れる。そして、江戸の都市づくりが貨幣経済の浸透とリンクしていた様子を、大名屋敷
の築造のケースにより紹介する。
 第4章では、江戸の発展を支えたソフト面のインフラに焦点をあてる。日本列島を一周
する海運網や、大名や公家、寺社に対する支配システムの完成していくプロセスなどを紹
介するとともに、明暦大火が契機となって百万都市・江戸の骨格が定まっていったことに
も触れる。
 第5章では、江戸という都市を管理し、機能させていくための仕組みについて触れる。
町奉行所と江戸の自治システムのほか、貨幣経済の浸透によって社会の構造変化が進み、
武力ではなくて、「お金」を制する者が天下を制する時代になっていく様子を描く。
 第6章では、江戸の繁栄の「陰の部分」として出現した都市問題に焦点をあてる。身分
制の時代であり、人々に大きな経済的な格差があったが、社会の活力は増して文化も花開
いている。ここでは貧窮者の実態のほか、江戸のセーフティネットや経済全体の底上げ、
火事による景気刺激、各層の消費活動が活力を生んでいたことを描く。
 なお、第1章から第3章などで扱う江戸の都市形成に関しては、主に鈴木理生による一
連の著作を参考にした。


 リオデジャネイロのオリンピック・パラリンピック大会が終り、次に東京で開かれるま
で四年を切った。二〇二〇年大会の多くの競技予定地の過去をたどると、江戸の最も江戸
らしい場所と重なる。となれば、現在は、五輪の舞台となる東京の原点や発展の背景を考
える好機といえるだろう。それ故、東京の前身である江戸を振り返り、将来の「都市の発
展」や「持続可能な東京」「安全な東京」への視点を定めていく上で、この本が少しでも
役に立つとすれば、筆者として、これほど嬉しいことはない。

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