上田麻由子

第1回・神に捧げられるまぼろし

ミュージカル『刀剣乱舞』と舞台『刀剣乱舞』

嚴島神社で舞い踊る夢幻

 2016年11月12日、深秋のころ。夜の帳が下りた宮島・嚴島神社の平舞台に、真っ白な装束を身につけて歌い舞う、11人の男士たちが降り立った。「男子」ではなく「男士」。それは彼らの正体が人間ではなく、歴戦の勇士たちが愛用した「刀」であることを意味する。物に眠る思いや心を目覚めさせる審神者が生み出した、人の身体と心を持つ付喪神。ゲーム『刀剣乱舞』のキャラクターたちである。

 ゲームで描かれる色鮮やかな衣装ではなく、一夜限りの「世界遺産登録20周年記念奉納の儀」のために用意された白い衣装をまとって、鈴の音にあわせ本社祓殿からおごそかにあらわれ、平舞台を取り囲み、膝を折る11人の刀剣男士たちの姿は優美でまさに神々しいという形容がふさわしく、それでいて最初に歌い出した三日月宗近(嚴島神社と同じ平安時代に作られた「天下五剣」と称される名刀)の口からは、11月の夜らしく白い息がこぼれ、たしかに人であることをわたしたちに伝える。

 いつもならとっくに閉門しているはずの嚴島神社、国宝であり世界遺産にも登録されているその場所で、星空の下、二礼二拍一礼で捧げられたのはおそらく、そこに集まった審神者(ゲームのプレイヤーのこと)たちが、いまいちばん美しく、かけがえないと感じているものだろう。それでいて、この一夜限りの夢の時間のように儚く、得難いもの。「2・5次元」という言葉であらわされるものが、そこに「ある」という観客ひとりひとりの思いによってのみ立ち現れるまぼろしならば(その象徴のように、この夜の終わるころ彼らの装束は、あのおなじみの鮮やかな色に染まっている)、それはたしかに、神に捧げるにふさわしい。

 

二種類の舞台化

 思い返せば2015年6月、ゲーム『刀剣乱舞』の舞台化発表は大きな驚きとともに受け止められた。それは、同作がPC版ブラウザゲームとして運営開始されてから半年未満の非常に早い段階での発表であり、誰もが予測したアニメ化(翌年3月発表)に先立っていたからだ。これは、アニメと違って制作期間が短く、制作費も桁違いに安い舞台作品のフットワークの軽さを活かした、話題作の時宜を得たメディアミックスとして画期的な出来事だった。そのうえで、ネルケプランニングとマーベラスという、「ミュージカル『テニスの王子様』」以降、現在の形での2・5次元業界を牽引してきた二大制作会社によるミュージカルとストレートプレイ、二種類の舞台化は、単なる2・5次元化ではない挑戦を予感させた。

 先にお披露目されたのは、『ミュージカル「刀剣乱舞」〜阿津賀志山異聞〜』で、早くもゲームがリリースされた年の10~11月にトライアル公演が行われた。原作となるゲームには、特定の地域に決まった組み合わせの刀剣を出陣させたときに見られる「回想」という断片的なショートストーリーがあるくらいで、あとは「歴史修正主義者」が過去の歴史に干渉するのを防ぐという大義名分しかない。キャラクターについても、いくつかの決め台詞のほかは、止め絵のビジュアルと声があるのみ。この状況下でどう物語を構成するのか、注目が集まった。

 

 いざ蓋を開けてみると――これはのちに上演される舞台版(「舞台『刀剣乱舞』~虚伝 燃ゆる本能寺~」でも踏襲されるのだが――誰もが知っている歴史上の大事件(「阿津賀志山異聞」なら源義経・頼朝兄弟の確執、舞台版は副題のとおり本能寺の変、そしてミュージカル版二作目「幕末天狼傳」は新撰組の池田屋事件)を「表」の物語とし、そこに介入し歴史を変えようとする「歴史修正主義者」を刀剣男士たちが阻止する「裏」の物語が絡み合う、いわばタイムパトロールものとして構成されていた。

 皮肉なのは、源義経や織田信長、沖田総司といった歴史上の人物たちの最期を見守り、史実どおりきちんと死なせる役目を負った刀剣男士たちが、時に誰よりもその死を防ぎたいと思っていることだ。自分たち刀剣を愛用してくれた主人たちなのだから、当然だろう(ぞんざいに扱われた刀剣は、より複雑な心情を抱えている)。つまり「歴史修正主義者」は刀剣たちが抱える暗い欲望のあらわれでもある。刀というものは本来、主を守ることもできれば、その命を絶つこともできる。そんな、文字どおり諸刃の剣である「もの」としての存在の業を抱えつつ、「歴史改変を止める」という使命を負いはしていても決してそこには作用できない、ある種、幽霊のような受け身で儚い存在が、刀剣男士たちなのだ(あるいは「幕末天狼傳」で沖田総司を守るため新撰組に潜入するも話すことを禁じられた大和守安定の姿は、人魚姫とも重なる)。そんな過去への執着を断ち切り、自己のあり方を見つけていくというのが、いまのところ舞台版、ミュージカル版共通して描かれているテーマである。

 

二人の三日月宗近――それぞれの魅力

 運動神経の良い若手俳優たちによる、重い衣装をつけているとは思えない小気味良い殺陣や、ゲームの決め台詞とともにかっこよく見栄を張る出陣シーンなどを見せ場として、古典的ともいえる物語を手堅く見せる演劇作品『刀剣乱舞』が、時代のムードを何より代弁しているのは、ゲームやその後に放映開始した、ゆるふわななかに各所への行き届いた配慮で審神者たちを毎週とろけさせている日常系アニメ(『刀剣乱舞-花丸-』)とあわせて、同じ世界観とキャラクターを持った幾つものパラレルワールドを、同時進行で展開し、総体としての『刀剣乱舞』を作り出しているところにある。『刀剣乱舞-花丸-』の冒頭に付される「このアニメは、とある本丸のとある刀剣男士たちによる花丸な日々の物語です」という但し書きに象徴されるような、いくつもの「とある本丸」が――各プレイヤーが「主」として君臨する無数の本丸とともに――いずれも特権化されることなく、同時に存在し、育っていく。

 もちろん、それぞれを比べる楽しみもある。ミュージカル版の刀剣男士たちは、後述する二部でのアイドル活動で実際にふれあえることもあってか、生身のあたたかさや熱を迸らせるいっぽう、舞台版は付喪神らしく、どこか浮世離れした儚げな存在感が際立つ。舞台版とミュージカル版、両方に登場する刀剣男士はいまのところ三日月宗近だけであるが、2・5次元界の象徴ともキングともいうべき鈴木拡樹による、同じ歴史を何万回と繰り返してきたような達観を感じさせる、老成した舞台版・三日月宗近、そして新世代スターのひとり黒羽麻璃央による、男子の身体を持ったことをめいっぱい楽しんでいるような、どこか若さの残るミュージカル版・三日月宗近と、二人が同じ役でしのぎを削るところを見られるのは、大きな愉しみだ。もちろんこれは、両作ともに他の作品を寄せ付けないキャラクターの再現度を誇っているからこそ生まれるものである。

 

熱と清め

 冒頭で触れた嚴島神社・奉納の儀という神聖な空間から、わずかにこぼれ落ちたものがあったとすれば、それは「漢道」という楽曲に代表されるような、ミュージカル版第二部での破天荒な「アイドル活動」がはらむ熱だろう。「これがこの時代の俺たちの戦い方だ」(加州清光)という大義名分のもと、スポーティにアレンジされた衣装に着替えた刀剣男子たちが、劇中歌にくわえ、作品タイトルをサビで連呼するベタさが心地よい「刀剣乱舞」(「刀剣男士 team三条 with加州清光」というユニット名で歌番組への出演も果たした)、加州清光が甘い言葉を囁き、夢女子たちを狙い撃つ「解けない魔法」など、作品の世界観を大きく拡張する楽曲を歌い踊り、審神者たちを喜ばせる。これは制作会社のネルケプランニングが、ここ数年『プレゼント5』などオリジナルの「ドルステ」ことアイドルステージ作品で培ってきた、(舞台上にしか存在しない架空の)アイドルものの客席を巻き込むノウハウと、それらの作品でファンサービス含めアイドルとしてのあり方を学んだキャストたちがいたからこそ、実現できたことだろう。そのなかでもクライマックスの「漢道」は、パワフルな和太鼓が鳴り響くなか、ぎりぎりの露出度で魅せる衣装、組紐を使った汗きらめく激しいダンスなどによる、会場のテンションが最高潮になるお祭りのような一曲だ。うちわやペンライトOKのショーとはいえ、刀剣男士たちの名前だけでなく「弁慶さまー!」「義経さまー!」というかけ声が上がるところにも、ミュージカル版ならではのなんでもありな懐の広さが感じられた。

 もしかするとあのクライマックスは、閉ざされた劇場空間において刀剣男士と審神者とのあいだで交わされた密約のようなもので、神に捧げるにはあまりにも艶っぽすぎたのかもしれない(今回は刀剣男士と審神者たちが一緒に歌い踊り、ほっこりする「えおえおあ」のほうが選ばれた)。あるいはそんなものはチケット戦争に敗れ、嚴島神社という「現場」に行くことがかなわず、ネット中継でその様子を垣間見ることしかできなかった者の僻みでしかないのかもしれない。きっとあの寒空のもと、配布された白いマフラーを巻き(参拝のための小忌衣の代わりだと言われている)、刀剣男士たちと同じ空気を吸って、同じ白い息を吐いた審神者たちだけが味わえた熱が、生の迫力があったのだろう。その澄み切った空気にじかに触れられなかったことで、祓い清められることなくすぶり続ける熱に薪をくべるため、この先も劇場に足を運ぶしかない。

次回は12月21日(水)更新です。

2016年11月16日更新

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上田 麻由子(うえだ まゆこ)

上田 麻由子

大学講師。専門はアメリカ文学、アニメ批評など。「ボーイズ・ミュージカル、手にとって触れられるガラスのなかの「青春」」『ユリイカ』2012年12月号(青土社)、「あの日の幻――小越勇輝という二・五次元」『ユリイカ』2015年4月臨時増刊号(青土社)、「2.5次元、僕らの新しいスポーツ――ハイパープロジェクション演劇『ハイキュー!!』」『美術手帖』2016年7月号(美術出版社)、訳書にシリ・ハストヴェット『震えのある女――私の神経の物語』(白水社)、ウィンザー・マッケイ『眠りの国のリトル・ニモ』(創元社)、ヘミングウェイほか『病短編小説集』(平凡社、共訳)など。

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