世の中ラボ

【第79回】田中角栄本ブームの背後にあるものは何?

ただいま話題のあのニュースや流行の出来事を、毎月3冊の関連本を選んで論じます。書評として読んでもよし、時評として読んでもよし。「本を読まないと分からないことがある」ことがよく分かる、目から鱗がはらはら落ちます。PR誌「ちくま」11月号より転載。

 田中角栄が逝って二三年。ロッキード事件で彼が逮捕された一九七六年から数えれば四〇年。それなのに(それだからか?)、田中角栄本がブームである。ざっと検索してみたところ、二〇一六年に発売された関連書籍だけで四〇冊を超えていた。
〈今の時代に田中角栄ブームが起きたのは、オヤジが「決断と実行」をキャッチフレーズにした政治家だったからだと思う〉と語っているのは小沢一郎(「週刊朝日」四月一五日号)。〈いま田中角栄がウケるのは、少なからぬ国民がなんとかしてハト派の手がかりをつかみたいと願っているのではないか〉と分析するのは田原総一朗である(「週刊朝日」六月三日号)。
「タカ派で小粒」な現在の政治家たちに比べると、たしかに田中は「ハト派の大物政治家」の印象である……。かもしれないが、私にとっての田中はむしろ「郷土の恥」だったからなあ。
 田中角栄が首相になった一九七二年、私は新潟市内の高校一年生だったが、忘れもしない、その日教師が教室に入ってくるや否や、とっておきのニュースだといわんばかりに「田中角栄さんが総理大臣になった」といったのだ。「だから何なの」という私の気分をよそに、その途端、教室中で拍手が湧き起こった。
 え、ええーっ! こ、こいつらって……。
 高校生ながらに、違和感バリバリだったですよ。

ロッキード事件はCIAの陰謀だった?
 まあ、いいや。まずおさらいからはじめよう。
 田中角栄は一九一八(大正七)年、新潟県刈羽郡二田村(現在の柏崎市)に生まれた。成績は優秀だったが、高等小学校を卒業後は土方仕事を経験し、一五歳で上京。土建会社で住み込みの小僧をしながら、私立の中央工学校土木科を卒業した。
 一九三九(昭和一四)年から二年半、軍隊生活を経験した後、東京で建築の個人事務所を設立。事業は拡大し、田中土建工業株式会社の社長として朝鮮半島に進出、ソウルで敗戦を迎えた。
 そんな田中が、民主党の衆議院議員として初当選したのは一九四七年。戦後の二度目の総選挙の際である。当時、田中は二八歳。同期の衆議院議員には中曽根康弘や鈴木善幸がいた。
 五五年の保守合同以降は、めきめき頭角をあらわし、三九歳で郵政大臣として初入閣(五七年)、池田勇人内閣、佐藤栄作内閣の大蔵大臣、通産大臣などを歴任した後、七二年、福田赳夫を破って自民党総裁選に勝利、五四歳で総理大臣となった。
 コンピュータつきブルドーザー、今太閤、闇将軍……。さまざまなニックネームで呼ばれた田中だが、首相就任後の重要なトピックは、新幹線や高速道路網を軸に日本のグランドデザインを描いてみせた『日本列島改造論』(七二年)、日中国交正常化(七二年)、金権政治批判による内閣総辞職(七四年)、そして退陣後に発覚し、後に有罪判決が出たロッキード事件(七六年に逮捕)だろう。首相在任期間はわずか二年。退陣の二年後には逮捕される。なんという急転直下の展開! あれはたった四年間の話だったのか。
 田中角栄本で、もっか売上げナンバーワンなのが石原慎太郎『天才』である。帯には「90万部突破!」「2016年上半期ベストセラー総合第1位」の文字。石原慎太郎がなんでまた田中角栄? だけれど、読んでみると、はたしてこれは〈俺はいつか必ず故郷から出てこの身を立てるつもりでいた〉という一文からはじまる、田中角栄を語り手にした一人称小説だった。
 だがこれは、何の興趣もない本である。メリハリもない。構成の工夫もない。一人称小説らしい「内面」すらもない。
 日本列島改造論については〈多くの国民はどこに住んでいようとこれでそれぞれの夢を持てたはずだ〉。首相に就任した際は〈総理大臣に指名されたことでのことさらな達成感はあまりなかった〉。日中国交正常化に関しては〈俺の発言の要旨は……〉〈大平の発言要旨は……〉〈周総理の回答は……〉と、どこぞの資料を丸写し(引用ともいう)しているだけだし、金権政治を告発するレポートが載っても〈これには往生させられた〉。ロッキード事件が発覚し、事情聴取のために収監された際は〈どうにも納得のいかぬことばかりだった〉。
 資料から事実関係と会話部分を拾い出し、「俺」のちょっとした感想を付け加えて一丁上がり、そんな印象。この程度だったら、べつに一人称小説にする必要もないんじゃねーの?
 その点、石井一『冤罪――田中角栄とロッキード事件の真相』は拾いものだった。著者は田中派の政治家としてロッキード事件を間近に見た元衆議院議員。一貫して田中に同情的な本ではあるが、事件の真相を追う手つきはむしろジャーナリストのそれに近い。
〈ロッキード事件は米国のある筋の確かな意図のもとに、日本政府、最高裁、そして東京地検特捜部が一体となって、推し進めてしまった壮大なる「冤罪事件」だとの疑念を、私は今も払拭することができません〉と石井はいう。〈おそらくその背後には、キッシンジャーとCIA、米国政府関係者がいたと思います。/田中が電撃的に成し遂げた日中国交回復、そして独自に進めようとした資源外交が、あくまでも日本を自らの隷属下に置こうとする米国の神経を逆なでし、大きな危機感を抱かせたことは間違いありません〉。
 取るに足りない陰謀論として片づけるのは簡単だ。しかし、事件の詳細を見ていくと、たしかに事件には疑問が多い。
 ロッキード社は、民間機トライスターと対潜哨戒機P3Cを日本に売りつけることに成功した。これにからんで、ロッキード社から日本側に収賄があったというのが事件の骨子だが、田中は一貫して金銭の授受はなかったと主張した。石井もまた、ロッキード社から五億円の授受はなかっただろうという。仮にあっても、それは軍用機P3Cに対してのもので、トライスターは無関係だった。トライスターの機種選定は田中が首相に就任した時点で決着しており、田中にとっては受託収賄にあたる案件ではなかったからだと。

「悲劇の政治家」という新イメージ
 興味深いのは、『日本列島改造論』、日中国交正常化、そしてロッキード事件を、石井がひとつの流れでとらえていることだ。
〈吉田茂総理から安倍晋三総理の今日に至るまで三十名もの総理にわたって、日本の政治は、日米安保条約とも相まって、米国の傘の下で、米国の意向にまさに盲従するように行われてきた〉が、その中で〈日米両国の政治の枠組みから、ただ一人、臆することなく「逸脱」したのが田中角栄でした〉。
『日本列島改造論』の構想を実現するために、田中は〈米国だけに依存しない日本独自の資源の確保〉を目指して日中国交正常化に奔走し、「資源外交」を積極的に展開。欧州、ソ連、東南アジア各国、北米、中南米、オセアニアなどを精力的に訪問する。だがそれがCIAとキッシンジャーの逆鱗にふれた。
〈これはずばり、日本政府のP3C調達に絡んだ、田中以外の日米両国関係者の巨大な利権スキャンダルだったのではないか。この巨大で醜悪な謀略に、田中を危険視したキッシンジャーと三木との思惑が重なって、田中とトライスターだけに焦点を絞り、P3Cからトライスターに、十三名の灰色高官から田中一人に、ターゲットをすり替えて立件したのが、「田中ロッキード裁判」ではなかったか〉と、石井は推測するのである。
 この冤罪さえなければ〈日本という国の「改造」はさらに大きく進んでいたはずです〉。そのメリットを考えると〈ロッキード事件がわが国の発展にどれほどのブレーキをかけ、どれほどの損害を与えたかを痛感せざるを得ません〉と書く石井。
 こうした発想とは対極にあるのが、服部龍二『田中角栄――昭和の光と闇』だろう。〈田中角栄は、日本人が最も愛する政治家である。それとともに最も嫌悪され、最も批判された政治家でもある〉と書きつつ、田中に対する服部の評価は厳しい。
 田中は前半生と後半生で大きく明暗を分けたが、〈その転換点は石油危機や金脈問題ではなく、超大型予算という失政である〉と服部はいう。〈田中には列島改造論のように、地方再生につながる構想があったのも事実である。だとしても田中は高度成長期に適合的な政治家であり、今日のような財政難の低成長時代には不向きか、よくいって未知数ではなかろうか〉。
 ロッキード事件についても、服部は〈田中は五億円を受け取っており、裁判では嘘をつき通そうとして破綻した〉という解釈を取る。検察や裁判所にも問題の多い裁判ではあったが、〈田中と弁護団の側からすれば、作戦ミスである〉。仮に田中が〈五億円の授受は認めつつもその性質が収賄ではないことで争っていたら、裁判は有利に展開したのではなかろうか〉。〈秘書の配置を含めて、危機管理が甘かったといわねばなるまい。田中の生涯について、最も疑問を覚えるのはこの油断である〉。
 はたして、ロッキード事件の真相は、石井がいうような陰謀だったのか。それとも服部がいうように作戦ミスなのか(論証の緻密さでは、石井説が勝っているように私は思うけど)。
 しかし、評価はちがっても、二冊の本から浮かび上がるのは、田中角栄という政治家の特異な姿である。対米従属路線からの逸脱という田中の路線が仮に誰かに継承されていたら、日本の政治は変わっていたかもしれない。ああいう政治家がいまいたら、もうちょっと景気もよくなるんちゃうかという願望が、田中角栄本ブームの背景にはあるのだろう。もっともこのブームで田中に付け加わったのは「悲劇の政治家」のイメージだ。それは、右を見ても左を見ても希望が見えない「悲劇の日本列島」に重なる気がしないでもない。

【この記事で紹介された本】

『天才』石原慎太郎
石原慎太郎、幻冬舎、2016年、1400円+税

 
















〈ロッキード裁判という日本の司法を歪めた虚構を知りつつ、それに荷担した当時の三木総理や、トライスターなどという事例よりもはるかに大きな事件の山だった対潜哨戒機P3C問題を無視して逆指揮権を発動し、それになびいた司法関係の責任者たちこそが売名の汚名のもとに非難糾弾されるべきだったに違いない〉という認識は悪くないが、それにしては雑な本。一人称小説の体裁をとりつつ、資料をコピペしただけなんじゃないかと思わせる。

『冤罪――田中角栄とロッキード事件の真相』
石井一、産経新聞出版、2016年、1400円+税

 
 

 

〈わが国の歴代総理は皆、こぞって「ワシントン詣で」をし、日米同盟を基軸として政権運営をした〉が、田中角栄は〈米国の目を気にせず中国との国交を回復し、また資源小国の国益優先の観点から(略)日本独自の資源外交を展開しました〉。だから田中はハメられたのだ、という視点から事件の真相を探った本。一貫して無罪を主張していた田中の無念さを背景に、米国や司法の「陰謀」を立証して突く手つきは迫力満点。

 
『田中角栄――昭和の光と闇』
服部龍二、講談社現代新書、2016年、920円+税




 

 
 

 

評伝に近い田中角栄論。〈超大型予算によって老人医療費は無料となり、一九七三年は「福祉元年」と呼ばれた。小中学校の教員給与も大幅に改善された。しかし、この予算はインフレを加速させ、のちには「狂乱物価」という福田発言が流行語になる。高度成長はピークを過ぎており、むしろ緊縮財政で安定成長に移行すべき時期だった〉などの視点は新自由主義的? 派閥抗争の話などが多く全体像が見えにくいのが難。

 

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