人はアンドロイドになるために

4. See No Evil... 後編

     *

 ユイとハザマがカズオの誕生日祝いとして家に招いてくれ、車椅子に載せられ、ハザマたちの地元のショッピングモール・高田屋などでいっしょに買い物したときは最高に楽しかった。しかし、それが生身での最後の旅行になった。

 カズオは「自分は鍛えている」というおごりがたたって、施設で無理な動きをして転倒、足を骨折してしまった。以来、遠くへ移動することは難しくなった。

 といって、息子や孫がホームまで来ることも、多くはなかった。遠方に住んでいたせいもあり、そしてそもそもユイは対面での会話を好まないこともあり、息子も孫も、なかなかカズオの元を訪れることはなかった。中学に入るとユイは「ゲームで人工生命をつくる」などというカズオには理解不能な活動を始め、ぱたりと来訪が絶えてしまった。

 息子はユイの画像をカズオに送ってくれたし、一時期よりも回数はだいぶ減ったが、ときどきはテレノイドで話してもくれた。「ネットで拾ったんだけど、じいちゃんが昔やってた音楽聴いたよ」などと言われたこともあった。気恥ずかしい思いはしたが、今ではいい思い出だと認められる。

 ユイは中学生活も後半にさしかかると「やっぱ学校ってちゃんと行ったほうがいいのかな? ゲームクリエイターの人に聞くとけっこうみんな『それも経験だよ』って言うんだよね。行きたくないけど」と漏らすようになった。カズオに言えるのは「自分のときはこうだった、お前はお前らしく生きろ」ということだけだった。「また父さんとおんなじこと言ってる」と苦笑された。

 ふしぎなもので、息子のときも小学校くらいまでは、たまらなくかわいく思えたものだ。中学に入り、ひとりであれこれできるようになり、自我を確立していくと、むしろ生意気さに苛立つことが増えた。あげくの衝突だ。まさか、孫とはそうなりたくないものだ、とカズオは不安に思う。このごろユイは元気がないのか、あまり話したくないのかわからないことも増えてきた。テレノイドを通じての会話すらうまくいかないことがあるのか。カズオにとっては未知の体験だった。

 死ぬ前に最後にもう一度だけ、リアルで会っておきたい気がした。おそらくそれで気が済む。とはいえ、いよいよ足腰がおとろえ、介助なしでは風呂に入ることもできなくなったカズオにとっては、自分から会いに行くのは困難に思われた。なんとか、来てもらえないものか。

 息子にその意思を伝えると、返事を濁される。しかし孫に嫌われるようなことをした覚えはない。思春期になり、気むずかしい年頃にさしかかったからか。尋ねてみても、要領をえない。しつこく食い下がると「理由は言えないが、会いたくない理由がある」と言われた。

「テレノイドを使うくらいが、ちょうどいい距離なのか」

 ため息をつくと、「そうかもしれないです。今は」と息子は言う。

 少し前まで息子が自分にコンタクトを取りたがっていても拒絶していた人間が、孫に会いたいと言うと断られ、ショックを受けている。なんたる皮肉か、とカズオは思う。

 しかしテレノイドがなければ孫とも、息子とも、ここまで距離を詰められることもなかった。「ロボットが人間の仕事を奪う」といつからかやかましく言われてきたが、これは人間にはできない、テレノイドにしかできない役割だと思った。

 彼はそんなことを音声入力でつぶやき、メッセンジャーで孫に送った。

 返事がこなくてもよい。

 そう思っていたが、しばらくして返事が来る。孫もテキストで送って来た。午前四時台に着信があり、その電子音と光で、彼はめざめた。外はまだ薄暗く、ホームの自室は静かだった。

「違うんだよ」と孫は始めていた。

 なんでも、先日起こった震災で建物の倒壊に遭い、足を悪くしていて動けないのだという。それを心配させたくなかったから、と。心配させたくはないからくわしいことは書かないけれど、今の自分の姿をおじいちゃんに見せたくない、おじいちゃんには自分が元気でいるというイメージでいてほしいから、だから、会いたくない、と。

 不意を突かれた。

 震災はカズオが住むところとも、息子や孫が住むところとも離れた土地で起こったことだった。だから彼は文字通り遠い場所での出来事だと、他人事のように思っていた。人並みに痛ましいとは感じたが、当事者の苦しみを理解はできなかった。息子にも孫にも「大変な出来事だった」という話はしても「大丈夫か」とは訊かなかった。ユイは位置情報ゲームのイベントでたまたまその場所を訪れているときに、被災したのだ。

 この国にかぎらずアジアではどの地域でも、少なくとも数十年に一度、多ければ数年に一度、大災害が起こっている。それ以外の地域で紛争やテロ、難民問題が頻発するのと同様に。平穏無事だと思って暮らしている人間の大半は、人類はつねに非常時にさらされてきたのであり、落ち着いた時間とは、非常時と非常時のあいだの凪にすぎないということを忘れている。何が起こってもおかしくなく、似たようなことが続くことも、そう珍しくはない。だが「自分ごと」にならなければ、そのことには気づかない。

 孫は書いていた。

「動けないってこんなにつらいんだ、って初めてわかった。おじいちゃんが車椅子じゃないと動けないって聞いて『大変そうだな』って思っていたけど、自分がそうなってみて、やっと本当にわかったよ」

 彼は、たまたま旅行中に被災したのだという。なぜ言ってくれなかったのか。いや、その答えも、孫がもう書いていたか。

 カズオは妻とテレプレゼンスを使ってコミュニケーションを取ろうとしたときと同じ失敗をくりかえしたことを恥じた。見られたくない姿を見られることで、人は傷つく。だが見る側は、人を傷つけてしまうことに無自覚なことが多い。そのまなざしが暴力をはらんでいることを、自分は知っていたはずなのに、またやってしまった。「直接会って話す」ことにこだわることが、相手を傷つける可能性に思い足らなかった。

 ややこしいことに、見られたくないと思っている側には、といってまったく気を払われなければさびしく思う、という面もある。見たいと思っている側の人間も、見られたくないと思っている人間と話ができなければ、さびしいと思う。人間とはわがままなものである。そのわがままさに、テレノイドは応える。もっとも、テレノイドだけですべてのコミュニケーション問題を解決することはできない。接する相手によって、時と場合によって、ちょうどいい距離感は変わるからだ。だからカズオはテキストメッセンジャーを使った。「ちょうどよさ」に合わせて、ひとは用いるメディアを変える。数多あるコミュニケーションツールは、ロボットは、その用途に合わせて使い分けをされる。

 カズオは気づく。自分は筋肉で、息子は敬語で、孫はさまざまなデバイスで自分を守り、自分にちょうどいい距離をつくってきたことに。「生身のふれあいに勝るものはない」と最近までは思ってきたが、生身であっても人間は言葉や視覚に媒介されてしか、他者と触れあうことはできない。ユイはハザマが自分に対して敬語であることに「心を開いてくれていないんじゃないか」「感情がないんじゃないか」などと思っているようだが、そうではないのだ。――ああ、そのことも、今のうちに伝えておかなければ。

 孫はテキストの最後に「お願いがあるんだけど」と書いていた。

「おじいちゃんのアンドロイドをつくってほしい」と。

 ある人間の特徴をコピーした人間酷似型アンドロイド「ジェミノイド」を、カズオの孫は望んでいた。ハザマくらいに稼いでいる層においては「生ける墓標」として、生前に遺影代わりにアンドロイドをつくることが世界中で流行りはじめていた。ヨーロッパの名家では墓が屋敷のようなたたずまいをしており、代々の人間をかたどったアンドロイドがずらりと並ぶ。そのなかで現役世代の人間は、自らの血が連綿と続いていること、歴史を担う存在であることを自覚していく。カズオは、そのことを知る由もなかったが。

「ろくに直接会ってもいないのになんでアンドロイドをほしがるんだと言われても自分でもよくわかんないけど、じいちゃんを残しておきたいと思う。話したいときに話せるようにしておきたいと思う。これは、父さんも同じ考え」

 と孫は言う。以前ならばそんな申し出は断っただろうが、今ではロボットやアンドロイドへの抵抗はない。「死んだあとでアンドロイドにするでもいいよ」などと冗談めかしてユイは言う。「俺、じいちゃんのアンドロイドとは直接話せるのかな。やってみないとわかんないけどね」

 この時代になると、特定の人間に酷似した外見をもつアンドロイドを本人以外が遠隔操作することは大きく規制されていた。なりすましその他により、無数のトラブルが発生したからである。指紋と光彩による本人認証がなければコピーしたアンドロイドの遠隔操作は基本的にできない。本人が操作しない場合は、当人の死後も含め、自律型で運用することとなっていた。カズオのアンドロイドが生きているあいだに完成すれば、それはユイの家に置かれ、カズオが遠隔操作してユイたちと対話することになる。

 孫がアンドロイドを通じてであれ、自分のことを知りたいと言ってくれることは嬉しい、とカズオは思う。孫からすれば、本当は直接会いたいが、自分の姿は見せたくない。だからこそアンドロイドを通じて、カズオの姿を近くに感じたいのだろう。孫の足の具合が治るものなのか、多くを語ってはくれないのでわからない。

 いずれにしろ自分がもうじきこの世を去ることを、カズオは理解していた。実際に会う機会は、もうないかもしれない。ホームでも、昨日まで元気であったのに突然ぽっくり逝く人間もいる。それならばその前に、自分をなんらかのかたちとして遺しておこう。ロボットやアンドロイドは自分の分身だ。彼はそう思った。

 この時代になると、特定の人間を元につくるアンドロイドの「型どり」作業はそれ以前ほど苦しいものではなくなっていた。脳波を測るMRIの装置のようなカプセル状の装置に数十分入れば生体スキャンが完了し、アンドロイド制作に必要な3Dデータが手に入った。型を取られる人間が石膏で顔を覆われて息ができなくなるようなことはなくなった。

 カズオのコピーである「墓としてのアンドロイド」はコミュニケーション用アンドロイドだ。カズオに関する音声データや動画をひたすら取り込みその特徴を抽出し、彼の動作や口癖を再現。それなりに自然な対話が可能になっていた。また、彼がくりかえし語っていたこと、遺言などが登録された。

 カズオは自分が知っているかぎり、カズオの両親や祖父母、親族についてのエピソードも遺すことにした。それは彼の息子も知らない、家族の情報だった。自分がこの世から消えれば、自分が体験してきた豊かな記憶も消えてしまう。もはや自分の記憶の中でしか生きていない、先に逝った人たちが消えてしまう。カズオは、自分はアンドロイドとして残るという機会を得られたのだから、記憶のかぎりを、アンドロイドに記録し、保存しておこうと思った。こうしておけば、仮に息子や孫の記憶が消えたとしても、残りつづけるはずだ。自分の来歴を知りたがっていたユイのために、カズオは覚えているかぎりのことを伝えたかった。ハザマにも、気が向いたらでかまわないから、自分や自分の親族の歴史を知ってもらいたかった。

 ジェミノイドが完成すると、カズオは遠隔操作でときどき入り、ユイやハザマと触れあうようになる。対話をしたり、食卓を囲んだりした。息子と孫が食事をしている様子を見ているだけで、自分が食べていなくても味が感じられる気すらした。アンドロイドを車椅子に乗せて、かつていっしょに行ったショッピングモール・高田屋に再び出かけたりもした(家庭用の比較的安価なアンドロイドには、段差を乗り越えられるような高度な歩行機能はついていない)。

 このころになると、カズオはガンの発症にくわえ、認知症が進行して思い出せないことも増えていく。しかしジェミノイドにときどき入ることが、死の恐怖をやわらげてくれた。自分が死んでもこいつは残る。息子や孫と離れることはない。永遠の命を得たようなものだ、と。

 ユイはボケてきたカズオと「話すのに骨が折れるな」と思うことも少なくなかった。ただカズオは昔話をするときは饒舌になり、ユイはそれを聞きながら、過去の人間のものの観方は新鮮だな、と感じていた。何より、自分を好いてくれているのだという気持ちが伝わってきたから、いっしょにいることは苦ではなかった。

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