妄想古典教室

第二回 そのエロは誰のものか
現存最古のエロティカ

斎宮と尼寺と

 大胆に好色な斎宮のイメージが、女だけの空間に閉ざされて男関係のないせいで出てくるものだとするならば、男のいないことにかけては尼寺も同じことである。というわけで、好色な尼の物語が当然のように出てくる。面白いことに『伊勢物語』一〇二段、一〇四段にも斎宮と尼を混同するような話がでてくる。一〇四段は次の話である。

 

むかし、ことなることなくて尼になれる人ありけり。かたちをやつしたれど、ものやゆかしかりけむ、賀茂の祭見にいでたりけるを、男、歌よみてやる。

世をうみのあまとし人を見るからにめくはせよとも頼まるるかな

これは、斎宮の、もの見たまひける車に、かく聞えたりければ見さしかへりたまひにけりとなむ。(『伊勢物語』一〇四段「賀茂の祭」)

 

 たいした信心もなく尼になった人があり、俗世の楽しみを捨てきれず、祭見物にも来てしまう。ならば男との関係も諦めてはないのだろうと思った男は誘うような歌を詠みかける。ところが、この話の末尾はなぜか、その歌は実は斎宮の物見車に送られたものであって、そのせいで斎宮は途中で帰って行ったと明かしているのである。尼と斎宮は、どちらも俗世を捨てられず、したがって実は悶々と男との関係を待ち望んでいるのだとするイメージがすでに形成されていたことがわかる。

 鎌倉時代成立と目されている「袋法師絵詞」は、女たちばかりで暮らす尼御前の邸に、法師を連れ込んで、さんざんに使い倒す物語である。

 物詣でに出かけた女房三人は、とある河原を渡る術がなくて立ち往生している。そこへ法師がやってきて、舟で渡してくれると思いきや、途中の小島に降ろして、袈裟、衣を脱ぎ捨てて女たちに肉体関係を要求する。若い順に三人ともに順番がまわってくるのだが、最後の一人になると、待ってましたと、「うちはだけてけり」と自ら衣を脱ぎ、「女はもとより待ちわびたることなりければ」勢いもよく応じている。その後、太秦の邸まで送り届けてくれた法師に、女たちはなにかあったら訪ねてくるようにと言うのである。

 数日後、法師は訪ねてくるが、女たちは男出入りがあると噂されては困るので、法師を大きな袋に入れて隠まった。それで「袋法師」というのである。

 女房達は、尼御前たる女主人に事情を説明する。女主人は喜んで「これへ参らせよ」とおっしゃる。女主人は大胆である。「女、足を屈め、腿をひろげて、腹、腰がほどを、わななかしつつ、「これよや、これよや」というけしき、いと耐えがたげなり」といった具合い。ここでも法師のイチモツは「七寸ばかりなる黒々としたるもの」とあって、なぜか「七寸」なのである(ちなみに一寸は3.03センチであるから、21センチ強ということになる)。

 しかして女房たちは毎晩、女主人のよがり声を聞かされるはめとなり、羨ましさのあまり「もと、われらが恋なるうえは、御秘蔵の袋、御返しあれ」と要求するのである。かくして、三人の女房と女主人とで法師を使いまわすことになる。

 ここまでの絵は詞書の説明に完全に一致した、それでいてどれも似たりよったりの春画らしい男女の性交場面であるが、一転、様相を変えるのは女主人の従妹の尼前(あまぜ)という人が出てきたあとである。女主人のほうは、尼御前といっても、出家姿ではなくて、剃髪し完全に尼姿なのは従妹のほうなのである。尼前は、尼姿であることを恥じらって、法師を袋に入れたままで「むくむくと蠢(うごめ)ける袋の口より例のものを差し出」させて関係する。袋入りの法師とのからんでいる絵が二図続いたあと、袋から出て来た法師と尼が坊主頭を二つ並べて交わっている図はなかなかに珍奇である。

 さて方々引っ張りだこの法師は疲労困憊している。

 

根(こん)強き法師も、対(たい)にまかりてしぼられ、今、珍かなる尼前に強く用いられ、金石(きんせき)ならぬ身なりければ、しだいに弱りくろみ、時々目もくらみ、物だにさのみ食わで、うつらうつらとして侍るほどに、新参の時とは違い、つわもの弱々となるままに、尼前も心よからずや思しけむ。物語りせし直居(とのい)の女に「裾分け」とて賜りけり。(福田和彦編著『艶色浮世絵全集第一巻 肉筆絵巻撰【壱】』河出書房新社、1995年)

 

 女主人にしぼられ、尼前に強いられ、次第に体も、「つわもの」も弱っていく。尼前は満足できず、宿直の女房に「裾分け」といって賜った。女房は喜ぶが、法師は眠ったきり起きない。まったくもって使い物にならなくなってしまったのである。

 命あっての物種と思った法師は、「空死に」してみせる。ここで死なれては困るとあわてた女たちは、法衣、笠枕を賜って法師を追い出し、ようやく古寺に戻っていったという語りおさめである。

 どれ一つとして、ここに挿図を入れることができないので、「袋法師絵詞」の絵については別冊太陽『肉筆春画』(平凡社、2009年)で確認いただくとして、筋からみて、この物語は明らかに女のために作られていると思えるのである。春画をポルノグラフィと言い換えると、70年代後半から80年代のフェミニズムのアンチ・ポルノ運動的発想に絡めとられてしまいそうだから控えたい。アンチ・ポルノ運動は、ポルノグラフィは、男性の性欲を満足させるために作られ、男性の暴力的な性を肯定し、男性に間違った性のイメージを与えるものであるから、この世から葬り去らねばならないという主張である。

 フェミニズムは一方で、女性が性的であってはならないという桎梏をようやく逃れて、女性も積極的に性愛を志向し、相手を自分で選んでよいのだし、バースコントロールを自分で行うのが当たり前であるという価値観を手に入れたところであったから、この段において展開されたアンチ・ポルノ運動は、またしても息苦しい性のアンダーグラウンド化を進めるものでしかなかった。90年代後半には女性監督による女性のためのポルノグラフィ映画がつくられ、それらは、「エロティカ」と呼び分けられた。マヤ・ガルス『エロティカ』(1997年)、カトリーヌ・ブレイヤ『ロマンスX』(1999年)、そして1998年には『セックス・アンド・ザ・シティ』が放映されて、奔放に性生活を楽しむ女たちを主人公とする物語がテレビドラマとして放映されはじめた。エロティックな欲望を肯定する響きにあやかって、ここでは「袋法師絵詞」と「小柴垣草紙」を現存最古のエロティカと呼ぶことにしよう。現存最古のエロティカは、どちらも底抜けに明るくて、下品だけれども、笑ってしまう。春画が「笑い絵」といわれたゆえんがよくわかる。

 ちなみに、斎宮も尼も男性関係がないから、男性に執着しているのであって、女性同士の関係は禁じられているわけではないのは、僧坊における僧侶と稚児の関係と同様である。古典文学の世界では、ヘテロセクシュアルを否定はしないが、それだけしかないとは考えていない。たとえば同じく鎌倉時代の作品の『我が身にたどる姫君』(1271年以降)という物語では、斎宮がお付きの女房ととっかえひっかえ性関係を結び、ひいきの女房を次々に替えていることが描かれている。斎宮でも尼でも、あるいは法師でもヘテロセクシュアルの性愛は禁じられているが、ホモセクシュアルな性愛はその限りではないのであって、つまり性愛そのものが禁忌であるわけではないのである。性欲そのものを抑え込むような無体な要請はない代わりに、欲望を否定されないところではいつでも禁忌を踏み越えてしまえる態勢が整いすぎているともいえる。説話集は、禁忌の恋をイケナイこととして書いているようでいて、逆にエロティックな妄想を次々に生み出すことに寄与している。そういうわけだから、斎宮や尼の男関係は、禁忌の恋の物語にしては、少しも悲愴感がなく、あっけらかんとしたおかしみがあるのだろう。