ちくま新書

日中は同じ歴史を繰り返す

12月刊梶谷懐『日本と中国経済』の冒頭を公開いたします。一触即発、友好ブームなど、日本と中国の関係はこれまで似たパターンを繰り返してきたことがわかります

 二〇一五年の春節(旧正月)、「爆買い」というそれまでなじみのなかった言葉が日本のお茶の間(すでに死語かもしれませんが)をにぎわせたのは記憶に新しいところです。中国人観光客によって、日本製の炊飯器や水洗トイレ便座が飛ぶように売れていく様子をテレビのワイドショーがおもしろおかしく報道し、家電量販店やドラッグストア、ホームセンターには、中国語で書かれた説明が必ず掲げられるようになりました。
 この「爆買い」現象は、この本を執筆中の現在には大分下火になったとはいえ、個人消費が伸び悩む日本の景気を下支えするのに大いに役立ったと思われます。しかし、多くの日本人にとって、こういった「爆買い」やインバウンドを、諸手を挙げて歓迎する気分にはどうしてもなれなかった、というのが正直なところではないでしょうか。それは、何といってもほんの数年前に、やはりテレビで繰り返し流された、尖閣諸島問題に起因する過激な反日デモや日系スーパーに押し寄せた暴力的な群衆の様子が、まだ記憶に新しかったからでしょう。
 もちろん、数年前の反日デモに参加していた群衆と、日本に観光に訪れ、「爆買い」を
行っている人々とは直接重なっているわけではありません。むしろ、生活水準も社会階層
も考え方も、同じ中国人としてくくることができないほど、両者の間には大きな隔たりが
ある、といってよいでしょう。それでも、日本社会における一般的な中国人のイメージと
して、二つの映像がそれほど間をおかずにマスメディアで流された結果、「あの時はあれ
ほど日本人や日本製品を嫌っていたのに、なぜ今度は喜び勇んで日本製品を買いあさりに
来るのか?」という釈然としない思い、あるいは言いようのない不信感を感じた日本人の
方が多かったのではないでしょうか。
 反日デモと爆買い。今の日本で「日中間の経済交流」というと、真っ先にイメージされるのはこの二つの現象かもしれません。この二つの現象から、現在の日中経済交流が置かれている、一種のアンビバレンツな状況が浮かび上がってくるのではないでしょうか。すなわち、日中関係は「経済関係がうまくいっているようでも、必ずどこかで「政治」問題がその邪魔をする」という側面をもつ一方、「どんなに政治的に冷え込んでいるようでも、「経済」的なつながりを求める動きがやむことはない」という側面も持っています。これは、少し考えればわかるように、コインの裏と表のような関係にあります。本来なら、なんとか政治的にも経済的にも良好な関係を、と願いたいところですが、そういった関係を両国が築くことは、残念ながら近い将来には望み薄だ、と言わざるをえません。では、このややこしい両国の関係をどう考えていけばよいのか、少し歴史をさかのぼって考えてみよう、というのがこの本の直接のねらいとなります。
 ……と大見得を切ったものの、私は一次資料を自由に読みこなすことのできる歴史学の専門家ではありませんし、中国近現代史の専門家からみれば、本書に新しい知見といえるものはほとんどないといっていいでしょう。それでも、近代以降の日中間の経済交流の歴史を概観した本をこのような形でまとめておくことには、以下のような点で何らかの意義があると自分なりには思っています。
 一つには、中国近現代史の大まかな流れを押さえた上で、日中間の経済問題について考える、という視点で書かれた一般向きの書物がこれまでほとんど存在しなかったことがあげられます。例えば、二〇一二年の反日デモ・暴動について考える際に、一九二〇年代の在華紡に対するストライキやボイコットについて振り返ることは不可欠だと私は考えていますが、そういった視点から過去の歴史と現在の課題とを結びつけてくれる議論というものには、ほとんどお目にかかることができませんでした。これは歴史の専門家と現代中国の研究者との間にかっちりとした「分業関係」があるためですが、いつまでもそういうお行儀のいいことを言ってもいられないのではないか、という私なりの「危機意識」から、あえて蛮勇をふるってみた、という次第です。
 もう一つには、近代以降の日中間の経済交流がたどってきたある種の「パターン」を頭の中に入れておくことで、これから生じうるある種の誤謬を避けることができる、と考えるからです。すでに述べたように、現在の日中関係は、「経済関係がうまくいっているようでも、必ずどこかで「政治」問題がその邪魔をする」「どんなに政治的に冷え込んでいるようでも、「経済」的なつながりを求める動きがやむことはない」という、コインの裏と表のようなもどかしい動きで特徴づけられます。しかし、すこし歴史を振り返ってみれば、このようなジレンマはなにも最近になって生じたわけではなく、近代以降の両国の交渉において、何度となく繰り返されてきたパターンだということが分かります。私は、まずそのことを念頭に置いて今後の日中関係を考えていくべきだと思っています。
 この本では詳しく述べていませんが、近代以降の日中間がなかなか政治・経済の両面で良好な関係を築くことができないのは、基本的には日中の社会の成り立ちの仕組み、特にその「統治」に関する根本的な考え方が異なるからだ、と私は考えています。ですので、「政治的にもう少し歩み寄りさえすれば ――端的には「対米従属」路線を変更すれば――日中関係は基本的にうまくいくのだ」、といった楽観的な日中友好論に私は賛成できませんし、むしろこれから両国が新たな関係を築いていくためには障害になると考えています。こういった点については私の前著である『日本と中国、「脱近代」の誘惑――アジア的なものを再考する』(太田出版)あるいは『「壁と卵」の現代中国論――リスク社会化する超大国とどう向き合うか』(人文書院)で詳しく論じていますので、そちらを参照してほしいと思います。