ちくま文庫

自分ができること

ちくま文庫『難民高校生 絶望社会を生き抜く「私たち」のリアル』解説

12月のちくま文庫新刊、仁藤夢乃さんの『難民高校生』収録の小島慶子さんによる解説を公開します。

 この本の「はじめに」にお名前の出てくる社会活動家の湯浅誠さんと時々ご一緒するのですが、彼はよく「橋をかける」という表現を使います。分断されているものにどうやって橋をかけるか。繋がるべきだ、と言うのは簡単だけれど、実際に橋をかける、つまり仕組みを作り、相互理解を促すのにはどれほどの苦労があるでしょう。私はその言葉を聞くたびに、実際に支援の現場に関わる人びとに敬服し、では自分には何ができるのだろう、と自責の念に駆られます。私の友人や知人には、自らNPOを立ち上げ、社会活動に携わっている人が何人もいます。彼らはそんな時、こう言ってくれるのです。「それぞれに自分がいる場所で、できることをやればいいんだよ。あなたにはできて、私たちにできないことがあるはずだから」

 メディアに出たりものを書いたりする仕事はいわば空気に映ったり、良くても少しかき混ぜたりするぐらいのことで、汗をかき、生活をかけて誰かの手をとり、走り回って制度を変える仕事ではありません。その虚しさを感じつつも、しかし無力であっても無駄ではないと信じて、自分にできることをするしかないというのが、今の私の心情です。

 そんな中、『AERA』という雑誌の取材で仁藤さんと出会いました。その取材で、居場所をなくした10代の女の子たちが性的に搾取されていることや、機能不全に陥った家族がそうした子どもたちへの支援を阻む壁になること、「家族は仲良く、おうちが一番」という幻想が、家庭から逃げるしか生き延びる手立てのない人々を「見えなく」しているのだということを知りました。「子どもは学校に通い、家族と暮らすのが一番いい」という思い込みは、社会が支援の努力をするための言葉ではなく、学校や家庭など、子どもたちが生きる現場で実際に何が起きているのかを「見たくない」という本音を覆い隠すための謳い文句になっていないでしょうか。

 私自身も母の過干渉や父の激務による不在、姉との不和から家庭に居場所をなくしました。第一志望で合格した私立の中学校でも反抗的な態度を取り続け、中1の2学期にブラックリスト入りを宣告され、あまりに暗黒だったのでほとんど記憶がありません。中高6年間、毎朝片道2時間近くも満員のバスと電車に揺られ、痴漢と闘い、大人を呪い、憎み、同時にその大人たちのやり場のない怒りを吸って大人になりました。大学に入ってからは無断外泊を繰り返し、過食で20キロ近く太り、その後、過食嘔吐に。当時の私には、髪を染めて街に出るという世界はあまりにも遠かったため、行き着いた先が摂食障害でした。どこにも居場所を見つけることができない自分をいじめて半殺しにすることで、10代から30歳までを生き延びたのです。

 そんな日々の中で救いになったものは、深夜放送のラジオや、テレビのバラエティ番組やドキュメンタリー、そして本でした。そうか、いま私の周りは真っ暗だけど、手で触れることのできない遠いところに、しかし確かに私と同じことで笑ったり泣いたり、同じやるせなさを抱えた人がいるようだ。いつかそんな世界に出会えるのかもしれない、と思いました。「死にたい」が口癖で、33歳で不安障害を発症してからは強い希死念慮にも苛まれた私をこの世界につなぎとめたのは、そうしたありふれたものだったのです。私たちと世界の間には、細い細い糸が何本もかかっています。なんでもない言葉やなんでもない出会いが、人を救うことは、確かにあります。言った当人も気付かぬうちに。仁藤さんと同じように、私も通りすがりの人の言葉に涙したことがありました。

 この本にあるように、仁藤さんの現在に至るまでの道のりには様々な人との出会いがあり、あてもなく溜め込んできた思いがありました。仁藤さんと友人たちの関係と同様に、誰の人生にもきっと、ドラマに出てくるような完全無欠の友情物語や、ハッピーエンドで終わる出会いはそうそうありません。ほとんどのつながりが、あっけなく途切れてしまったり、後味の悪い終わり方をしたり、恩知らずなことに忘れてしまったりします。私にも、今でも大切にしている言葉をくれた親友が、人が変わったようになり、離れるしかなくなった経験があります。でも、終わり方が酷かったからといって、あの時彼女が私に与えてくれたものは帳消しになるわけではない、とも思っています。味気ないけど、みんなそんなちぎれた糸をふわふわと身にまとって、ジタバタ生きているのです。

 仁藤さんはそうした出会いの中から、言葉を見つけました。阿蘇さんが問いかけてくれた「どうして?」が、仁藤さんに、言葉にするのをためらっていたモヤモヤを語る機会を与えたのです。仁藤さんのしんどさは居場所がないことに加えて、どこかでその自分を俯瞰してしまうところにもあったと思います。夢にゃんを演じることで楽になれたのは、それがキャラであると知っている自分がいたから。けれど、キャラの仮面の向こうで、のたうつ自分の気配を彼女は常に感じていたのではないかと思います。それはどれほどやり場のない、不安に満ちた日々だったことでしょう。

 もしこの本を手にしているあなたが、やはり同じようにモヤモヤしているのなら、仁藤さんと同じことをしなくてもいいのです。仁藤さんには、仁藤さんにしかない出会いがあり、仁藤さんの脳みそにしか思いつけないことがあった。ということは、やはりあなたにも、あなたにしかない出会いがあり、あなたの脳みそだから思いつくことがあるのです。それが傍目にどれほど平凡で、ちっぽけな思いつきだろうと、そんなことは関係ない。世界中であなたの人生を体験した人はあなたしかおらず、それを事実として語れるのは、あなたしかいないのですから。どんな権力者にも偉い学者にも大金持ちにも奪えないのは、個人の体験です。あなたが泣き、苦しみ、笑ったことの価値は、誰にも値踏みできないのです。

 人間は値札を付けられて商品棚に並べられるものではありません。野菜の選別のように、規格外だからと捨てられることがあってはならないのです。けれどそのような視線は日々私たちに注がれています。それに対して「NO」ということ。ベルトコンベアから振り落とすのではなく「あなたのことを知りたい」「あなたは誰? もっと教えて」と手をとって尋ねること。それが、どれほどの人々の救いになるか。そしてそれは、私たち自身への労わりでもあるのです。そう改めて信じさせてくれた仁藤さんとの出会いに、心から感謝します。

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