人はアンドロイドになるために

5. 時を流す(1)

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 くそったれな事件が起こった例のモールで、僕は技術者として複数のアンドロイドの調整に携わっていた。僕が開発の根幹に関わったアンドロイドではないが、運用にはかなりの裁量が認められていた。もちろん、モールや店舗の担当者の意向を聞きながらの調整だ。アンドロイドやモール内に張り巡らされたセンサが記録している、来店者の会話や移動のトラフィックを分析しながら「こうするともっと売上が伸びるのでは」などと提案するのも僕らのチームの仕事だった。自分で言うのもなんだが、僕はこういう仕事は大得意だった。

 たとえばミナミという接客用アンドロイド。これはアンドロイド自身もそのショップの服に身を包み、モデルのような美しさと商品説明の巧みさを兼ね備えた存在として日々、店頭を彩るものだ。基本的にはお客さんと音声認識での対話を用い、補助的にタブレットコンピュータを使って対話する。服は丈の調整だとか細かい仕様を決める必要があるから、そういう質問はタブレットで行うのだ。あるいは、言葉でやりとりするよりも図で示したほうがわかりやすいものなどもディスプレイで示したりする。

 人目に触れるところでアンドロイドと話すのは恥ずかしいと思う人などは、最初からタブレットでの対話を選ぶこともある。タブレットを使う場合はこうだ。アンドロイドの前に座り、タブレットのディスプレイに示される質問を選び、タッチパネル上に表示されたボタンを押す。すると男のお客さんの場合には男の声で、女性のお客さんの場合には女性の声で、その質問を読む。そしてアンドロイドが声を出し、身振り手振りや微笑みを交えながら質問に答える。音声認識なしでも、意外に対話は進む。もちろん、腕がない技術者にはそういうアンドロイドはつくれないが。

 音声認識をする場合でも、デパートでは「自由にアンドロイドに話してください」とするより、アンドロイド側から客に対してストーリー、コンテキストをリードし、制限したほうがいい。技術的に自由会話をさせるのが難しいということもある。なにより、自由に話してもらっても、ビジネスには結びつかない。「お名前は何ですか?」「男性? 女性?」「何をしにいらっしゃいましたか?」といった、普通に聞きそうなことをあらかじめ準備しておき、その後はいくつかのシナリオをベースに対話を進めるのだ。

 アンドロイドは熟練した人間のスタッフよりも、成績が優れている。そして、生身の人間の二倍の数の接客ができる。すばらしい! 人間のスタッフに声をかける客は、あるていど買うことを決めている人だけだ。迷っている人間は、声をかけたがらない。「声をかけると何か買わないといけないんじゃないか」というプレッシャーを感じるからだ。でもアンドロイド相手なら気後れしない。

 ほかには、ショーウィンドウ用のアンドロイドも手がけていた。そのむかし、ショーウィンドはデフォルメされたマネキンではなく、人間そっくりの人形が使われていたという。だが人間そっくりのタイプはすたれ、抽象的な姿形のマネキンが使われるようになった。しかしショーウィンドウの本来の目的は「売場にあるものを身に付ければすてきになれる」という想像をさせ、美しさやステイタスであることを実感させることだ。だからときどき、人間をウィンドウの中に入れてみせるというイベントが行われる。ショーウィンドウ用アンドロイドは、マネキン本来の姿に立ち返ったものだ。生身の人間を長いあいだウィンドウの中に入れ、ステージの上に立たせることは難しい。アンドロイドならいくらでも微笑みながら、多くの人に幸せな時間を連想させられる。ショーウィンドウを見る人には、期待がある。ガラスの中の人間が疲れ果てた姿など見たくない。ショーウィンドウの中で人間らしく振る舞えるのは、アンドロイドであって人間ではない。アンドロイドであって人間ではない!

 高価格帯の商品ほど、アンドロイドを使ったディスプレイは効果があった。高級品は、単に機能が優れているから買われるわけではない。たとえば映画スターが着ている服や時計を見て「自分も身に着けたい」と思うように、憧れやステイタスを買う側面もある。誰が身に着けるか、どんな存在のイメージと重ね合わせるかで、商品の価値は変わる。アンドロイドは、そうした神秘性の演出に向いていた。

 アンドロイドは無数の行動モデルを組み合わせることで、多様な感情、表情を表現できる。口角を少し持ち上げて微笑み加減な表情にすれば幸福そうに見える。覚醒度合いが高いと目を少し大きく開け、まばたきの回数を少し増やす。そういった具合に表情を変え、感情を表現する。アンドロイドに備えた感情パラメータをあるていどランダムに変化させることで、「この子はいったい何を考えているんだろう?」と観る者に想像させられる。

 ガラスで顧客とは隔てられた空間に置き、対話どころか発話もさせない、音声に反応しないようにすることで、その神秘性はますます深まる。このあたりは空間デザイナーからイメージやコンセプトを聞きながら、照明などとも連動させて調整する。

 細かい工夫が、成績に結びついていった。やりがいのある仕事だった。あの最悪すぎる事件が起こるまでは。

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