人はアンドロイドになるために

5. 時を流す(1)

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「イチ、ニ! イチ、ニ!」と号令をかけて受刑者がぞろぞろ、てきぱきと歩く軍隊式の行進。はじめは非人間的なものに思えた。だがロボットには号令をかける必要はない。これはこれで人間らしい振る舞いだ――などと思ったのは、どれくらい昔だったか。人間的でもロボットのようでもどちらでもよい。ファシズムめいていて僕は大嫌いだった。

 僕は服役中、テレビや新聞、雑誌などの情報を通じて、アンドロイドがますます社会に溶け込んでいくさまを知った。事件当時は「アンドロイドのために人を殺すなんて、頭がおかしい」と言われて腹立たしかった。しかし僕が十数人を死傷させた代償として収監されていた長い長い月日は、人々の価値観を一変させるには十分だった。

 まずやってきたのは特定のミュージシャンや俳優をかたどったアンドロイドによる芸術活動、芸能活動の浸透だ。僕の事件とほとんど変わらない時期からすぐれた業績をあげたパフォーマーの技能をコピーするアンドロイドをつくる団体が活動を開始し、事件から五年ほど経ったころからポップミュージックの世界ではアンドロイドたちがヒットチャートを席巻しはじめた。これがアンドロイドに対する世間の見方をがらりと変えた。

 僕の事件を受けて、当時は先進的だった高田屋はロボットやアンドロイドによる接客の度合いを大幅に減らし、人間を採用しなおした。結果、売上は低迷した。ざまあみろと思ったが、けれど舌の根も乾かないうちに有名人のコピーのアンドロイドなら称賛される時代が来てしまったのだ。複雑な想いがした。

 それからさらにわずか十年ほどで、特定の人物をかたどった人間酷似型アンドロイドを破壊する行為は傷害罪に準ずる扱いを受けるようになった。自分そっくりのアンドロイドを遠隔操作して生活、労働する人たちが増え、「身体の一部」として用いていることが社会的に認知されたからだ。人類の歴史を遡れば、動物虐待が法律で規制されはじめたのは近代に入ってからだ。それまで動物の命は、軽い扱いを受けていた。ロボットも、動物と同じ道をたどった。いまや動物と同様かそれ以上に人間社会に浸透したロボットに対する虐待を平気で傍観できる人もまた、少ない。人間は、ロボットに権利を与えたのだ。僕は「そうなればいい」とずっと思ってきたが、いざ本当にそうなると、戸惑いの方が大きかった。社会と隔絶されたところで知る社会の変化は、夢物語にしか聞こえないのだ。

 また、家庭用ロボットを破棄するさいに葬式を行い、供養することも一般的になった。僕らが手がけていたBtoBのロボットでは早い段階から、剥き出しの状態で燃えないゴミや粗大ゴミとして捨てることはマナー違反とされてきた。しかしロボットが家庭にまで広く普及すると、壊れた場合、不要になった場合の処理の仕方に、社会的な合意が形成された。そのへんに捨てておくことは、放置された動物の死骸同様のショックを見る者に与えるため、許されなくなった。ロボットにも弔いが必要だということを疑う人間はもはやいない。ロボットが壊れ、役割を終えることには、独特の悲哀がつきまとう。

 世間では何度目かの「家庭用ロボット元年」を経て、本当のロボット社会が訪れた。安くて高性能なロボットが、「一家に一台」以上に普及した。ゲームもできる、人間との通信もできる、ロボット自体ともコミュニケーションできる、語学をはじめとした学習ソフトなども詰め込まれている。誰もがロボットのソフトウェアを開発できる。そういうロボットが、安価で売られるようになった。すばらしいことだ。そう思うべきだ。けれど、素直にそう思えない。

 空気アクチュエータよりすぐれた人工筋肉の開発、畜電池の性能のブレイクスルーによる長時間稼働の実現、埋め込まれた電子素子の性質を利用して命令ひとつで形状や特性を変えられるプログラマブル物質をもとにした4Dプリンティングがコンビニですら可能になる……といったさまざま技術の進歩やコモディティ化も、ロボット社会の進展を後押しした。

 それらは本来、僕にとって喜ぶべき変化であったのかもしれない。

 けれど僕は、その変化の渦中に「プレイヤー」として、一翼を担う存在として携わることができなかった。遠くの世界で起こった出来事でしかなかった。悔しいことに。そこにいない僕には、さびしさしかなかった。

 僕は技術書を両親から差し入れてもらい、勉強していた。しかしそれでも自分の持っている知識や技術は古びていった。それに、刑務所では、アイデアが思い浮かんでも、実際につくって試すことができない。考えて書くことしかできない。僕は自分が時代遅れになることが、たえがたかった。焦りを感じるくらいなら、いっそ情報をシャットアウトしようとも思った。だが知的関心を消すことはできなかった。

 自分の将来への心配もあった。出所してから仕事はあるだろうか、と。まともな仕事に就くことはできまい。しかし、不安でいたところでどうすることもできない。僕は日々の生活と読書に没頭することで、去来する恐怖を退けようとした。

 時が流れ、ロボットやアンドロイドが社会に溶け込みすぎて風景の一部になると、今度はロボットの可能性や脅威について語られること自体が減っていった。当たり前すぎるものには、誰も強い関心を払わない。そうした気まぐれに見える移り変わりは、社会に対する苛立ちや不満をよけいに募らせた。

 人々に受けいれられた、と言っても、ロボットやアンドロイドに対する考えにはグラデーションがあった。

 大半の人は、機械が人間よりも効率的に仕事をすることを受けいれた。クリエイティブな活動でさえ、AIのサポートを用いて行う人間は少なくない。著作権フリーの作曲プログラムや3DCGの自動生成ソフトなども出回り、「それなり」のものならセミプロの人間よりも人工知能の方がうまくできた。いや、それなり以上のものも、名人芸をコピーするジェミノイドのような存在であれば行えた。世の中の仕事や家事の多くはロボットやアンドロイド、AIが中心的に行うようになり、人間にはそれをサポートする。有力なBtoCロボット関連企業は、大量の広告を通じてメディアに対して力を持つようになった。ロボットやアンドロイド、AIに対してフェティッシュな憧れを持つ人間も増えた。「好き」「作りたい」「なりたい」と。どうしてもう四半世紀早くそうなってくれなかったのか。僕は生まれ落ちた時代についての運の悪さを呪った。

 ただ一方で、社会への不満を募らせた、反アンドロイド団体も増えた。たとえばHS(ヒューマニック・ステート)はもっとも古くから活動する、先駆的で代表的な団体だ。HSの考えはこうだ。擬人化された機械(ヒューマノイド)の存在が、人々を真の人間的なコミュニケーション、生身の人間同士のふれあいから疎外し、機械が人間の仕事を奪う。人類を精神的にも経済的にも貧しくさせている。ヒューマノイドを破壊し、ロボットやアンドロイド関連企業の資本家を打破せよ。そうすれば人類は本来の人間らしさを取り戻し、経済的な不平等や精神的な苦痛を取り除ける――。ばかげている。

 宇田川が高田屋事件の参考にした情報もHSがもたらしたものである。

 ただし、HSの創立者たちは、実はハッカーだったことがのちに判明している。つまりロボット社会を促進させるために、簡単に破られてしまうセキュリティホールのありかをわざと示すことで、警戒レベル、対処方法をアップデートさせていたのだ。彼らは一日でも早く、常人には対抗不可能な設備や警備体制を構築させ、テクノロジーの進歩を促すために、警鐘として情報をバラまいていた。そうした情報技術に優れた人間でなければ、セキュリティホールを発見できるはずがない。テロの実行に及んだ末端の人間たちは、思想的には正反対のハッカーたちに踊らされていただけだ。宇田川のような人間たちがいたおかげで、今日に生きる人々は、セキュリティの行き届いたロボット・アンドロイド社会に生きられている。

 僕はこのことを知ったときには愕然とした。そしてHS創設者たちの真実が明らかになったあとも、HSから分派したロボット・アンドロイド排斥運動、人間中心主義運動が衰えを知らないことにも驚いた。人間は自分が信じていたものがウソや虚構だとわかったあとも、信じ続けてしまう。「騙されたバカな自分」であることを、受けいれられないからだ。

 それに対抗する、過激なロボット・アンドロイド至上主義者たちもいた。ロボットやアンドロイドのほうが人間よりも価値があると世に訴える集団である。

 HSのような人間至上主義者とロボット至上主義者たちは衝突し、互いを罵り合った。その両極の意見があるなかで、着々と、淡々と、ロボット技術は進展し、社会に実装されていった。

 僕が引きおこした事件は、その時点では大きな話題を呼んだ。だが、別のさまざまな事件によって人々の関心は上書きされていった。服役中の僕に接触してきた記者、ジャーナリストはゼロである。僕は自分の考えを外部に発信するすべを持たなかった。僕の人生は、こんなはずじゃなかった。

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