ちくま学芸文庫

イスラーム世界再考
ちくま学芸文庫『増補 モスクが語るイスラム史』

12月刊行のちくま学芸文庫『増補 モスクが語るイスラム史』より、補章の一部を公開いたします。旧版刊行から22年。「新しい世界史」を構想する著者が、「イスラーム」理解の新たなステージへと誘います。

 中公新書の一冊として『モスクが語るイスラム史』(以後、原著)が出版されたのは、1994年3月のことである。それから22年の歳月が流れた。当時まだ40歳になったばかりだった私は、すでに齢60を超えた。本を書いた当時の知的興奮は、今日でも容易に思い出すことができる。しかし、あれはもう20年以上も前のことなのだ。歳月の流れの早さに、ただ驚嘆している。
 原著が出版された時期を挟み、1990年から5年の間、私は毎年夏になると南アジア、中東、北アフリカの各地に出かけ、1カ月から1カ月半程度の間、現地に滞在して、研究仲間とともに建物の調査を行なっていた。真夏の太陽が照り付ける中、地図やガイドブックを見ながら、重い一眼レフのカメラと替えのレンズなどを担いで町を歩き回った。デジタルカメラはまだなく、手持ちのスライド用フィルムの本数は限られていたので、構図や距離、露出などを慎重に検討してから、一枚一枚の写真を丁寧に撮影した。写真はもちろんその場で見ることはできず、日本へ帰ってから現像し、スライドとして大事に保存した。また、現地での調査によって生じた疑問点は、仲間とその場で議論し、そこで結論がでなければ、確認すべき点としてノートにメモした。日本に戻ってから、関連する書籍や論文を読んで、問題の解決や論点の深化に資するためである。
 それから20年あまり、インターネットとデジタルカメラの普及によって、現代における調査や研究の方法は、当時とはまったく異なるものとなった。いちいちガイドブックや地図を持ち歩かなくても、GPSを使えば、町中で道に迷うことはないだろう。各地の建物に関して膨大な数のビジュアルデータが、インターネット上にアップされている。建物の基本的な情報も、すぐにオンラインで確認できる。調査の現場では、軽くて扱いが簡単なデジタルカメラで好きなだけ写真を撮り、その場で出来具合を確認し、よく撮れたものだけを残せばよい。参考文献もオンラインで確認できることすらある。現地調査は20年前と比較すると格段に容易で効率がよくなっているはずだ。
 変化したのは、このように身近な研究環境だけではない。研究の対象となった現地の状況が大きく変化した。私が中東や北アフリカの町々を歩き回った1990年代前半には、まだ「自爆」という手段によって自らの敵を攻撃するという考え方は存在しなかった。アルカーイダやイスラーム国のように、過激な思想を背景に世界各地で想像を絶するような各種の攻撃をしかける集団の存在は、未だ目立ってはいなかった。一般的な日本人の間にイスラーム教やイスラーム教徒(ムスリム)に対する誤解や偏見はすでに存在したが、その多くは無知と無関心からくるもので、2001年9月11日の同時多発テロ以後に見られるようになった確信的な反感や嫌悪のゆえではなかった。
 もう一つ変わったものがある。それは、私自身が世界を見る眼である。本書をお読みいただけばすぐにお分かりになるように、原著を記した当時、私は「イスラーム世界」という空間概念についてまったく疑念を持っていなかった。この名前を持つ空間、あるいは人間の集団が地球上に存在していると考え、その歴史、すなわち「イスラーム世界」の歴史を正確に描くことが自分の仕事だと考えていた。また、誤解されがちな「イスラーム世界」認識を正し、その特徴を人々に分かりやすく語ることも重要な責務だと認識していた。そのためには、建築や美術のように、具体的に目に見えるモノを用いて説明することが効果的であると確信していた。それが原著を記そうとした理由の一つである。
 しかし、2001年9月11日の同時多発テロとそれ以後の世界情勢は、このような私の世界観や歴史観を根底から揺さぶり、突き崩した。テロに直面したアメリカや西側諸国だけではなく日本でも、世界で起こっている様々な出来事が「イスラーム世界」という言葉を使って説明された。その多くは、西側とは異なる価値観を持つイスラーム世界に問題があると主張し、イスラーム教やムスリムを全体として批判する論調を持っていた。これとは逆に、イスラーム教やムスリムを擁護し、ムスリム多数派によるイスラーム世界の理解は過激派のそれとは異なっているとする主張も見られたが、こちらの方もイスラーム世界の存在自体への疑いはなかった。要は、イスラーム世界が悪いか善いかのどちらかなのである。
 「悪」であれ「善」であれ、なぜ、「イスラーム世界」という単語によって、こうも簡単に世界情勢が説明されてしまうのだろう。これが9.11の後、イスラーム教やムスリム・バッシングが盛んに行なわれていた頃に私が抱いた単純な疑問だった。たしかに自分自身も、それまであまり深く考えずにイスラーム世界という語を用いてきた。それは自分自身が属する学術コミュニティーではこの語が重要なキーワードの一つとしてしばしば使用されており、その存在や概念に疑いを持つことなど思いもよらなかったからである。しかし、その一方で、各地で調査を重ねる過程で、イスラーム世界の国々がイスラーム教という単一の要素でひとくくりにはできない多様性を持っていること、同じムスリムといっても、イスラーム教との距離は人によって様々であることを、肌で感じていた。原著で何度もイスラーム世界の多様性に言及しているのは、そのためである。
 そんなに簡単に「イスラーム世界」という語ですべてが説明できるはずはない。この言葉を用いて世界を理解しようとする世界観や歴史観そのものに問題があるのではないか。9.11後このように考えるようになった私は、そもそも「イスラーム世界」という語は、いつ、どこで、どのような意味で使用されるようになったのか、原点に戻って確認しようと思いたった。そして、西洋諸語とアラビア語やペルシア語、それに日本語の関連資料を調べてみた。その結果、2005年に出版したのが、『イスラーム世界の創造』(東京大学出版会)という題名の著作である。この本で私は、日本語のイスラーム世界は多義的できわめて曖昧な概念であること、イスラーム世界という概念は、世界を二項対立的に理解しようとする19世紀の西ヨーロッパで、プラスの価値を持つ「自」としての「ヨーロッパ」に対してマイナスの価値を持つ「他」として創造されたこと、この概念が19世紀後半にムスリム知識人の間に持ち込まれ、正負が逆転して用いられる場合が出てきたこと、日本には、ムスリム知識人経由でこの概念が紹介され、日中戦争が激しくなる1930年代後半になると、大日本帝国の中国大陸や東南アジアへの拡張に合わせて急速に知られるようになったことなどを論じた。刊行後10年あまり経ったが、今読んでも、この本の論旨に大幅な修正や変更の必要はないと思う。
 この本ではそこまで議論を拡大してはいないが、「イスラーム世界」は、特に、アメリカ合衆国と西ヨーロッパ、すなわち「西洋」と、ムスリムの知識人が、世界を「自」と「他」の二項対立として理解しようとする際に用いると便利な概念である。互いに自分が正しく相手が間違っていると容易に非難しあえるからである。9.11後のアメリカや西ヨーロッパ、それに日本などでの「イスラーム世界」バッシングは、19世紀以来の二項対立的な世界観の上に立って行なわれたと言えるだろう。
 かつて、そして現在もそのように考える人たちがいるのだから、イスラーム世界という概念の存在自体を否定することはできない。ただし、少なくとも日本語では、しっかりとした定義をした上でこの語を用いるべきである。曖昧な意味のままで用いても、結果として、そこから建設的で意味のある意見は生まれてこないだろう。
 「イスラーム世界」という語を用いて世界とそこで生じる出来事を理解しようとするなら、それは、自と他を峻別しようとする19世紀から20世紀にかけての時期のアメリカ合衆国と西ヨーロッパ、それにムスリムの知識人の世界観を受け入れたことを意味する。しかし、グローバル化が進み世界の各部分が密接かつ複雑に結びついていることが明らかな21世紀に生きる私たちが、世界史、あるいは人類史を構想する際に、はじめからそこに「ヨーロッパ」と「イスラーム世界」という対立する異なった空間の存在を想定し、それぞれが別の歴史を持って今日に至ったと考える必要はないはずだ。そのように考える人々がいることと、実際にそのようであったこととは別である。
 現在の私は、「イスラーム世界」という空間を設定しその歴史を考えることはあってもよいが、それを世界史に組み入れよう、あるいは、一定の時間の長さと空間の広さを持った「筒」のようなイスラーム世界を内包する世界史を構想しようとする考え方には賛同しないという立場をとっている。いずれにせよ、イスラーム世界という語を使うなら、まずそれがどのような意味であるのかをはっきりと定義する必要があるだろう。
 原著は、モスクという建物とムスリムの政治権力者の関係を軸にイスラーム世界の過去を時に沿って振り返ってみようという趣旨で記されている。世界史全体を扱っているわけではなく、あくまでもイスラーム世界の歴史が叙述の対象である。そこでいうイスラーム世界は、ムスリムの政治権力者が統治する領域である。このような空間を想定してその歴史を体系的に語ることが妥当であるかどうかは別として、少なくとも、論理の一貫性と整合性はとれている。とするなら、この作品は、「イスラーム世界」という概念の曖昧さを問題だと考える現在の私であっても、かろうじて許容できる範囲の内にあると言えるだろう。
 しかし、世界史の描き方そのものに関心を持ち、誤解を招きがちなイスラーム世界という語を使うことはできるだけ避けている現在の私なら、モスクやイスラーム建築に注目したイスラーム世界の時系列史(縦の歴史)よりは、宗教建築(と厳密に呼べるものがあるのかどうかは慎重に検討されねばならないが)に注目してある時期の世界全体の構造や特徴を明らかにする横の歴史の執筆を目指すはずだろう。
 原著刊行後20年以上が経つと、このように世界の状況も自分自身の考え方も、共に大きく変化している。過去を振り返って自らの立ち位置を確認し未来へ向かう手がかりを得るために必要な歴史は、常に刷新され、それぞれの時代にふさわしいものが構想され、提示されるべきだとあらためて思う。


 原著のあとがきには、本書で「触れることができなかった問題」として主要なテーマが3つ挙げられている。(1)19世紀以後の各地のモスク建築の流れ、(2)大モスクと一般のモスクとの建築様式や機能の共通点、(3)東南アジアや中国、西アフリカなどにおけるモスク建築をも視野に入れた議論の3点である。特に(1)と(3)は、イスラーム世界史という歴史理解の枠組みが当たり前だと考えていた当時の私には、執筆が難しかった項目である。なぜなら、イスラーム世界史の解釈と叙述は、空間軸においてはしばしば西アジア・中東と中央アジアに限定されるし、時間軸の場合はこの枠組み自体が19世紀以後の説明にはあまり使用されなくなるからである。19世紀以後の同じ地理空間に関してかわりに用いられるのは、「中東」や「西アジア」という名称である。既存のイスラーム世界史という歴史叙述の方法を使うなら、原著以上に時間と空間を広げてその歴史を秩序・系統立てて語ることは難しい。
 一方、原著出版の後、モスクだけではなく、広くイスラーム建築の歴史を分析と叙述の対象とする書物が、日本語で数多く出版されている。深見奈緒子『世界のイスラーム建築』(講談社現代新書、2005年)、同『イスラーム建築の世界史』(岩波書店、2013年)、桝屋友子『すぐわかるイスラームの美術 ―― 建築・写本芸術・工芸』(東京美術、2009年)などがその代表作品である。また、店田廣文『日本のモスク ―― 滞日ムスリムの社会的活動』(山川出版社、2015年)のように、西アジア・中東だけではなく、それ以外の地域のモスクについて取り上げた本も刊行されるようになった。これらの書物を繙けば、モスクをはじめとするイスラーム建築について、原著以上に詳しく新しい情報がまとまって得られるはずである。
 その意味では、原著はすでに古くなった。もし今回これを再版するなら、その価値がどこにあるのかと問われるに違いない。これに対して私は、原著が次の2点を繰り返し強調しているという点を挙げたい。(1)ムスリム政治権力の盛衰が巨大で特徴的なモスクの建設と強い相関関係を持っていること、(2)イスラーム世界という時空間は多様であり、その各所に特徴的なモスク建築を生み出す文化的なまとまりが存在したこと、この2点である。(1)は政治史や建築史という個別の研究分野だけにこもっているなら発見できない事実である。(2)は例えばアラブ史、イラン史などという地域史だけに注目していると見逃しがちな点である。いずれも、狭い研究分野を越えて過去を総合的に検証することによってはじめて明らかとなる点である。歴史を広い視野を持って全体として理解するという点で、原著にはなおなにがしかの価値があると信じたい。
 とはいえ、むろん、これは前近代のイスラーム世界という限定された時空間における総合性でしかない。世界全体をカヴァーする世界史を、全体として把握し理解しようとするなら、イスラーム世界を越え、あるいはそのような既存の枠組みを一旦取り払い、さらに広大な時空間を視野に入れて史資料を検討して行かねばならないだろう。それは今後の課題であり、原著はその出発点となりうる材料を提供している。


 以下、22年後の増補として、上で挙げた原著の2点の価値に関連して、いくつかの補足的な情報を追加しておくことにする。これらは既存のイスラーム世界史の叙述や理解とは必ずしもリンクしない。しかし、政治権力と大モスクの近接性・相関性とモスク建築の多様性という原著の強調する2つのポイントとは大いに関連し、その主張を補強するものとなるだろう。どれも原著刊行以後の22年の間に私が行なった調査をもとにした情報である。論述の進め方の都合で、先にモスク建築の多様性から話を始めたい。

 ⇒つづきは本書でお楽しみください

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