上田麻由子

第2回・傾く盆のうえで旋回するまぼろし

ハイパープロジェクション演劇『ハイキュー!!』"烏野、復活!"

頂の景色

 躍動する身体、彼らが「彼ら」に対して抱く掛け値なしの信頼、見るものを否応なしに引き込んでいく、祝祭のような興奮と熱――。「ハイパープロジェクション演劇『ハイキュー!!』」初演は、その再演サブタイトルにもあるとおり2・5次元の「頂の景色」を見せてくれた。そして、第二作となる「ハイパープロジェクション演劇『ハイキュー!!』"烏野、復活!"」は、その革新性を持ったまま、主人公のいる烏野高校、「好敵手」たる音駒、そして常波、伊達工と合わせて四つの学校(ゲスト校の青葉城西も入れれば五校)の個性をバレーボールの試合で表現しつつ、勝者と敗者をはっきりと峻別する勝負の世界のまぶしさとせつなさを、ひとしくわたしたちの心に残した。

僕らの新しいスポーツ

 現在言われるような形の2・5次元舞台の歴史は、「テニミュ」こと「ミュージカル『テニスの王子様』」(2003年〜)に始まる(もちろん、演出家のウォーリー木下が「僕らの新しいスポーツ」と呼ぶこの作品では『リボンの騎士』から『聖闘士星矢』までの長い前史がある)ことからもわかるとおり、2・5次元舞台というジャンルを更新してきたのは、常にスポーツものだ。ボールをスポットライトの光の軌跡で表し、剣舞のようなダンスでテニスの試合を表現した『テニスの王子様』。競技用自転車をサドルひとつにまで還元し、選手たちが走るコースを「パズルライドシステム」と呼ばれる坂道セットの絶え間ない移動で表現した『弱虫ペダル』。文字で書かれた説明を読んだり、写真を見たりしただけでは陳腐に思えるかもしれないその演出方法が、生身の役者の身体を借り、酸欠直前の必死さと若手俳優ならではのひたむきさで演じられ、そこに観客が2次元のキャラクターの息遣いを感じるとき、じわじわと真実味を帯びていく。

 では、演劇「ハイキュー!!」(以下「ハイステ」)は、どのように2・5次元を更新したのか。そこには、舞台装置の果たした役割が大きい。「ハイステ」が始まった瞬間として、今でも思い出すのは、初演において、2人の主人公、日向翔陽と影山飛雄が再会したシーンだ。中学のバレーボール公式戦で敵味方として戦い、高校でリベンジを誓ったはずの2人が、烏野高校でまさかの再会を果たす。体育館のコートに影山の姿を見つけた日向が「なんでいる!?」という驚きの台詞を発するのを合図に、それまで2人が立っていた舞台が丸く切り抜かれ、心沸き立つような音楽とともに、斜めに傾きながらゆっくりと回り始める。

 見ているものの意表を突く、このダイナミックなセットの展開は、文字どおり運命の輪が回り始めた瞬間を表している。そのうえでこの演出は、リニアーな時間のなかのある瞬間を切り抜いて、くるくる回してみせることで、漫画という平面のメディアに描かれたシーンを、あらゆる角度から立体的に眺めてみたいという欲求に応える。まるで、手のひらのなかに収まるサイズのフィギュアをいろんな角度から飽きることなく眺めているかのように。今この瞬間を、日向だけでなく、影山の視点から見るとどうなるのか(ちなみに初演と再演では日向と影山の位置が入れ替わっている)。体育館のドア越しに見たら? 天井のライト越しなら? 床を這うアリの目線で見たら?

2・5次元という瞬間の、儚さがきらめくオープニング

 続くシークエンスは、さまざまな2・5次元作品が一番力を入れるポイントであるオープニング(これはアニメやゲームのオープニングの重要性を考えれば当然のことである)のなかでも、群を抜いてワクワクするものになっている。舞台上に次々と登場するキャラクターたちが、黒子ならぬ「白子」(登場していないキャラクターは白いフード付きコートを着て、コロスとして活躍する)含めた全員で声を合わせ「バレーボールとは……」と球技としてのルール説明で基本に立ち返り、これから表現されるのがあくまで競技であることを印象づける(『スター・ウォーズ』から『探偵!ナイトスクープ』までおなじみの手法だ)。それから、プロジェクションマッピングを使って、生身の俳優がまるで漫画のコマの中に入って動いているかのようなシーンが、ページをめくって漫画を読んでいるようなスムーズさで続いていく。

 この手の映像との合わせ技は、2・5次元において多くの演出家が挑戦してきたことであり、とりわけプロジェクションマッピングを売りにするAiiA 2.5 Theaterではおなじみの光景だ。そのなかで「ハイステ」が突出しているのは、キャラクターにスポットを当てつつ、光が当たっていない影の部分まで見せるところだろう。舞台上でまるで死体のようにうつぶせに横たわりじっと待機しているところ(なんとなく少し怖い)、そして、キャラクターとして一瞬の輝きを放ったあと、打ち棄てられた新聞紙が風に飛ばされていくかのように回りながら退場していく。漫画に描かれたコマとコマとのあいだ、その行間を想像力でもって埋めていく作業が2・5次元化だとしたら、このオープニングは逆に「その一瞬」を表現するに至るまでの過程を敢えて表に出している。言ってみれば、生身の役者を敢えて窮屈な2次元に押し込めようとするこのオープニングは、そのあと繰り広げられる、2・5次元のなかでもとりわけ「3」に近い、つまりキャラクターを生身の役者に引き寄せる傾向にある本編に対して、コインの裏表のような存在になっている。そして、それは魅力的なのだ。

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