上田麻由子

第2回・傾く盆のうえで旋回するまぼろし

『ハイパープロジェクション演劇「ハイキュー!!」"烏野、復活!"』

彼らが「彼ら」に向ける信頼

 そう、「ハイステ」の何よりの魅力は、原作に描かれたキャラクターの息遣いをはっきりと感じながら、白熱した試合を観戦できるところにある。もともと、主役である烏野高校のメンバーには2・5次元舞台のキャリアがあり、2次元のキャラクターを演じるというこの特殊な仕事の、ちょっとしたスペシャリストたちが、経験の浅い、より若いキャストたちを引き上げている。影山(木村達成)がトスを上げるときの、絵のように完成された美しいフォームや、優雅なターン。爽やかな笑顔のなかにウェットな心の動きを秘めた菅原(猪野広樹)の、名女優のような風格。男子高校生らしい愛すべき馬鹿コンビの田中(塩田康平)と西谷(橋本祥平)にいじられたり、逆にたしなめたりする縁下の懐の深さ(川原一馬)。ユニフォームから伸びるまっすぐな脚がなにより「らしい」月島(小坂涼太郎)と、見上げる目線に愛がある山口(三浦海里)。頼り甲斐があるのに気弱なエースという難しい役どころをこなす東峰(冨森ジャスティン)、それをまとめる部長の澤村の安定感(秋沢健太朗)。ひとりひとりはもちろん、坂下商店でのシーンや試合前の円陣のシーン、そして「烏野、復活」での合宿所の布団のシーンに表れているとおり、全員が集まったときのリアルな「わちゃわちゃ感」、あるいは「ウェーイ感」とでもいうべき高校生男子集団ならではの賑やかさが、チームとしての烏野に確固たる存在感を与えている。

 彼らを今一歩後押しするのは、主人公のひとりである日向を演じる俳優・須賀健太だろう。子役時代から映像作品を中心に長いキャリアを誇り、「漫画の世界に飛び込んで、芝居がしたい」と公言する彼に引っ張られるように、「ハイステ」は公演を重ねるにつれてどんどん生っぽさが増していく。あくまで2・5次元ではあるものの限りなく「3」に寄っていく。自らを「劇団ハイキュー」と呼ぶ彼らは、原作への敬意と身をもってキャラクターを表現することを両立させ、2・5次元作品が世間から向けられる、どこか亜流の、いかがわしいもののような先入観を「俺らのやってることは間違っていない」と、圧倒的な自信でもって吹き飛ばす。「漫画のキャラクターですけど、世界を探したらいるんじゃないかなぁ…っていうリアルを伝えたい」(木村達成)という、純粋な盲信でもなく、肩に力を入れすぎるわけでもない、どこかラフで、それでいて真剣な――劇中のセリフを借りるなら「信じて、飛べ」という言葉に背中を押されるように躍動する――彼らによる「彼ら」への信頼感、これがなにより作品を輝かせている。

原作の力に挑む演出

 もちろん、そのための前提として、原作の強さは忘れてはならないだろう。ひとつひとつ声に出して読み上げたくなる力あるネームや、今時の男の子っぽさをじゅうぶん持ち合わせたキャラクター、そして、まっすぐ進んでいきながらも、思わぬところに伏線が隠され、強者にも弱者にも等しく寄り添う物語。努力・友情・勝利の『少年ジャンプ』らしいプロットと、細やかな心理描写が合わさった、いわば少年漫画と少女漫画の良いとこ取りをしたような原作の力が、この作品を根底から支えている。

 また、試合の演出も実に独創的で、何度見ても見飽きることがない。もともと「ハイステ」は、舞台奥から客席に向けて斜めに傾いた「八百屋舞台」を採用しており、激しく傾いた舞台は、その上で演じる役者たちの足腰に大きな負荷をかける(映像では判りにくいかもしれないが、実物を目のあたりにするとただ登っていくだけでもきつそうな急勾配である)。しかし、まさにこの過酷な条件によって、その上で自由自在に動き回る選手たちの力強さが際立つのである。時には、青葉城西高校の及川徹のようなバレー選手の、圧倒的なジャンプ力を助ける踏み切り台にもなる。

 そのうえで、激しくフォーメーションの入れ替わるダンス、騎馬戦のような体勢や影絵、「フリースタイルダンジョン」的なラップバトルなどさまざまな手段が、チーム対チーム、個人対個人のネットをはさんだぶつかり合いを演出する。「気持ちを切らせばボールが落ちるぞ」(東峰)という台詞に象徴されるように、試合に出ているひとりひとりが有機的な歯車となって、「つなげる」スポーツであるバレーボールの試合を表わす。高らかに鳴り響くブラスセクション、叩きつけるようなパーカッション、血湧き肉躍るラテンのリズムを大胆に使った和田俊輔による音楽も、客席を巻き込んだ一種の祝祭空間を作り出すのに欠かせない。「烏野、復活」では心の奥に深く沈み込んでいくようなエレクトロニカの常波、中世の騎士の雄叫びとロックオペラが融合したような伊達工、ゲーム好きなセッター孤爪研磨を意識した、懐かしい8bitのゲーム音楽をまとう音駒……と、和田は演出家のウォーリー木下から聞いて感銘をうけたという「ハイキューという世界の地図」を音楽的に表現している。どう考えても私たちが見ていたのは試合だ、熱い、魂のぶつかり合いだ――試合終了の笛が吹かれるまでつづく興奮は、一瞬たりとも冷めることはない。

 2・5次元舞台を経験した俳優たちはよく、そこでの経験を「本物の部活のようだった」と振り返る。ほぼ同年代の男性たちだけで構成された、初舞台の者も多いカンパニー。そこで切磋琢磨しながら一つの目標に向かって努力を重ねることが、部活に喩えられるのは当然だろう。しかし、それにしても、特に一公演終えた後に彼らが体調管理や、メンタル面の鍛え方、ライバルとの間合いの取り方や、チームを強くするために行動することなどをとつとつと話すのを聞いていると、高度に進化した2・5次元俳優はアスリートと区別がつかないと、あらためて思わされる。この点も、スポーツものと2・5次元の相性の良さをつくりだす一因だろう。

さらなる高みへ

 このように、初演、再演、そして「烏野、復活」と、いま2・5次元にできるめいっぱいを見せてくれた「ハイステ」だが、千秋楽ライブビューイングの特典映像(2016年12月4日)で、八百屋舞台(と、おそらく盆舞台)の廃止が発表された。「傾斜には苦しめられたけど、力を引き出してくれた。足元から支えてくれた。共に闘ってくれて、ありがとう」という舞台装置へのトリビュートに、なによりも舞台装置ありきでこの「頂の景色」が作り出されていたことが、あらためて確認された。

 コートの向こうで、相手選手が必死に伸ばしたブロックの手の上に「頂の景色」が見えるのは、わずか一瞬のこと。2・5次元に起こした革新も、いつまでも続くとは限らない。それがいかに魅力的な景色だったかことを胸に刻みつつ、後ろを振り向かず、前を向いて、劇中の台詞を借りるなら「苦しい もう止まってしまいたい そう思った瞬間からの一歩」を、日向のあのまぶしく輝くような笑顔で踏み出してくれるであろう次回作「勝者と敗者」(2017年3月24日〜)を、期待して待ちたい。

関連書籍