ちくま新書

日本の科学技術がダメすぎる理由

人口が減少していく中、経済が復興するカギはイノベーションしかない。でもそこにも大きな落とし穴が潜んでいる。12月刊、山口栄一『イノベーションはなぜ途絶えたか』の序章を一挙公開。ここだけ読んでも、日本の危機が見て取れます。

1 イノベーションを生み出せなくなった日本企業 

危機に直面するエレクトロニクス産業
 日本の科学が危機に瀕している。
 科学の中核をなす物理学や分子生物学の日本におけるアクティビティが今世紀に入って
低下し始めた。主因は担い手である研究者の減少による可能性が高い。
「近年日本人は、ほぼ毎年ノーベル賞を受賞している。自然科学部門での数は21世紀に入ってから米国についで世界2位ではないか」といぶかしく思う読者もいるだろう。しかしごく少数の例外を除いて、その受賞は20年以上前の研究成果に基づくものだ。
2016年のノーベル生理学・医学賞を受賞した大隅良典さんも、受賞の会見で日本の基礎科学への研究費不足を挙げ、「日本の科学は空洞化する」と、危機感を表明していた。
 科学から連なるサイエンス型産業も衰退の一途をたどっている。かつて「科学立国」「技術立国」と呼ばれ、世界をリードしてきた日本は、その存在感を急速に失いつつある。
 なかでも今世紀に入ってから、日本のお家芸だった半導体や携帯電話をはじめとするエレクトロニクス産業の国際競争力は急落し、その生産額は最盛期の2000年から半減し世紀のサイエンス型産業の頂点に位置する医薬品産業も、日本は2000年初頭に国際競争から脱落してしまった。
 このことはとりもなおさず、日本のハイテク企業からイノベーションが生まれなくなっ
たことを意味する。
 進展するグローバリゼーションの中で日本社会は旧来の産業モデルに固執して、時代に
即したイノベーション・モデルを見出せないまま、周回遅れで世界から取り残されている。
日本はリスクに挑戦する力を失い、研究・開発で創造してきた多くの新技術を経済価値に
変えることに失敗したのである。
 科学の危機は日本の産業競争力の低下にとどまらない。2011年3月に起きた東京電
力(東電)福島第一原子力発電所の過酷事故は、技術企業の経営に科学的な思考が欠落し
ているという事実を一気に露呈させた。事故の根源を探ると、寡占・独占企業におけるイ
ノベーションの不在に行き当たる。
 この国でイノベーションが途絶えた理由として、「才能ある起業家が現れなくなった」「日本人は大企業志向で起業家精神に欠ける」といった文化的要因を指摘する声は少なくない。しかし、そこには明らかに制度的・構造的な要因が伏在している。
本書の目的は、その制度的な要因を解明するとともに、科学的発見からイノベーションが生まれるプロセスを明らかにし、科学立国日本の再興に向けた実践的な打開策を提示することにある。それは同時に、原子力発電所(原発)事故のように科学が社会を損なうような事象を企業が起こさないための処方箋となる。
 具体的な考察に入る前に、物理学を研究していた私が、なぜ「科学とイノベーション」
というテーマを追究することになったかを記しておきたい。私の来歴と経験談を伝えるこ
とで、本書の問題意識がより明確になるからである。 

中央研究所崩壊が引き金に
 NTTの基礎研究所で物性物理学、とくに次世代半導体とトランジスタを研究してきた
私は、偶然にもパラジウム金属の中に潜り込んだ水素が未知の発熱現象を呈することを発
見し、それを契機に1993年から5年間、フランスの研究機関の招聘研究員としてコー
トダジュールでその研究を続けていた。
98年、日本に帰国したとき、私は愕然とした。エレクトロニクス産業のみならず医薬品産業の大企業までが、その「中央研究所」を次々に閉鎖・縮小し、そこで働く優秀な科学・技術者たちが配置転換を余儀なくされようとしていたからだ。
 いわゆる「大企業中央研究所の時代の終焉」と呼ばれる現象である。「中央研究所」とは、それぞれの企業で呼び方が違うものの、科学研究(基礎研究)を主たる業務とする企業の大部門のことである。
 日本企業の中央研究所は80年代においては最先端の研究をもとに数多くの技術革新を生み出してきた。当時の日本では、国全体の研究費の8割は民間企業が拠出しており、大学の研究はイノベーションにほとんど寄与しなかったので、企業の研究こそがイノベーションのエンジンだった。
 ところが90年代後半に入って、日本企業は米国のベル研究所やIBMといった民間研究機関に追随する形で、研究から手を引くことをほぼ一斉に決めた。まず日立の基礎研究所が事実上閉鎖し、NTTはもとよりNECやソニーなどの中央研究所も内部から傷ついていった。
 このままこの状況が進めば、日本の産業・経済を支えてきた技術革新の担い手がいなくなる。そして10~20年後には、日本の科学もサイエンス型産業も目に見える形で零落し、日本は確実に世界に取り残される――。
 そう確信した私はNTT基礎研究所を去って物理学研究の手をいったん休め、99年から経団連のシンクタンク21世紀政策研究所」で、イノベーション戦略の研究と政策提言に着手した。当時の理事長は経済評論家の田中直毅さん、所長はトヨタ自動車会長の豊田章一郎さんだった。
 研究員は全員エコノミストで、理系は物理学者の私一人。物理学者にとって社会科学と
いうフィールドは研究材料の宝庫だった。日本が戦後培ってきたユニークな技術革新の仕
組みが潰えたのはなぜか。私はここで初めて自然科学と社会科学を横断する「知の越境」
の方法を学ぶことになった

2 どうすればイノベーションは復活するか 

眠っている才能を生かす
 とはいえ、会社の「役立たず」としてつぶされようとしている大企業の世界的科学者た
ちを、どうすれば救えるのか。
 まずは会社の創り方を学ぶため、妻に代表取締役になってもらって、社会イノベーションに挑戦してみることにした。多くの女性は40歳過ぎまで子育てで忙しい。ところが子育てが終わって社会復帰しようとしても、年金制度の壁があって45歳以上の女性を雇用する会社はまずない。しかたなくありつける仕事といえば、当人の専門性も創造性も生かすことのできない職業ばかりだ。
 幸い私の妻は薬剤師の資格を持っていて、子育ての最中も薬局でパートとして働いていた。私は「思い切って薬局を経営してみないか」と提案した。地域の人々から、かかりつけ薬局として位置付けられ、医者の薬の処方にきちんと物申せるような、今までにない薬局である。
 私は、医院の地図データと人口分布のデータを駆使しながら調剤薬局を必要としている地区を綿密にポイントアウトし、開局場所を定めてそこに小さな店舗を借りた。そして、私の退職金の半分を彼女に投資した。最初は開局に及び腰だった妻も、経営者の風格を獲得し、開局2年後には自分で資金を公庫から借りてきて2店舗目を開いた。
 では次に、いよいよハイテク・ベンチャーの創業だ。
 私は世界をリードしてきた国内外の科学者・技術者たち100人以上にインタビューし、大企業から離脱した科学者を日本と米国で継続的に観測した。そして、イノベーションが生まれるプロセスを探求していった。
  日本が直面する科学とイノベーションの危機を脱するための根治療法は、つまるところ一つしかない。リストラされていく優秀な科学者や技術者たちがベンチャー企業を立ち上げてイノベーターに転身する選択を促すことだ。
 日本においてサイレント・マジョリティーとしての科学者集団は数多く存在する。彼らこそが創造性の担い手なのである。
 たとえば2014年、ノーベル物理学賞の対象となった青色発光ダイオード(LED)は、赤﨑勇さん、天野浩さん、中村修二さんの3人による1980年代中葉から90年代初頭の研究成果で、結晶成長の方法の発見から量子力学的デバイス構造の発明、そして生産技術の開発と製品化まで、すべて日本で達成された稀有のイノベーションである。
 しかもその成功には、赤﨑さん、天野さんが在籍した名古屋大学というよりむしろ、日亜化学・研究所をはじめ、松下電器・東京研究所、沖電気・半導体技術研究所、NTT基礎研究所などの企業の研究所が本質的な役割を果たしたことを私たちは見過ごしてはならない。
 ところが彼らのような創造者の多くが社会の中でスポイルされ、その創造の場を失おう
としている。彼らを掘り起こして会社を設立させれば、めざましいイノベーションが実現
できるはずだ。
 私は居ても立ってもいられず、閉鎖されようとしている企業の研究所を回り、経営陣か ら研究中止を命じられた優秀な科学者にベンチャー企業を起こすよう持ちかけた。これまで私が創業した複数のハイテク・ベンチャー企業のうち、窒化ガリウムを基幹とする会社はそうして立ち上げた会社である。
 高電圧・大電流をスイッチできるトランジスタ、すなわちパワー・トランジスタを作るためには、従来のシリコンという半導体では、結晶をなす原子の結びつきが弱くて高い電圧に耐えられない。それを可能にする窒化ガリウム結晶は当初、世界の誰にも作れなかったものの、やがて結晶成長法が発見され、窒化ガリウムによる青色LEDが発明された。   
 さらに1990年代後半には、ソニー・フロンティアサイエンス研究所の河合弘治さんが窒化ガリウムでトランジスタを作り、実用動作させることに世界で初めて成功した。もしこれが社会に出て価値に転ずれば、配電時の電圧変換によるエネルギー損失を80%以上なくすことができる。それは原発数基分に対応する。
 ところが、当時ソニーの経営者は、コンピュータ&エンターテインメントにしか興味を持たず、「部品など、買ってくればよい」として、河合さんの研究にまったく興味を寄せていなかった。「すべての要素技術は八百屋に売っている」。すなわち材料や部品のような要素技術は外部から調達すればよい、と考えていた当時の経営者は、「ブレークスルー技術が科学から生まれる」ということに思い至らないようだった。
 「河合さん、ソニーにいたらあなたのイノベーションはつぶされる。だから、ソニーを辞めてください。あなたの研究こそが、この沈みゆく日本を救う。すぐにでもベンチャー企業を一緒に始めましょう」。
 私は彼を説得するとともに、私の退職金の残り半分と、彼の退職金全額を使って2001年にベンチャー企業を起こした。こうして設立したこのハイテク・ベンチャーは紆余曲折を経ながら何とか生き延び、2014年にはついに量子デバイスとして世界一の性能を持つ窒化ガリウムのパワー・トランジスタの開発に成功した。とはいえ、資金調達は未だに困難を極め、河合さん曰く「タイトロープにしがみついてじっと耐える」状態が何年も続いている

イノベーションの「目利き」を養成する
 もう一つ、私が創業に参画したエネルギー・ベンチャー企業は、まったく新しい概念の
蓄電池を開発している。
 日本の電池メーカーの研究所でリチウムイオン電池などを早くから研究していた塚本壽さんは、「日本では新しい挑戦ができない」と米国西海岸に移住し、ベンチャー企業を設立して成功を収めていた。その塚本さんから私に連絡が入ったのは、2011年の東電福島第一原発事故後の初夏のことだった。私たちは、東電にお付き合いしてヒステリックな節電を行なう暗い灼熱の京都駅で、久しぶりの再会を果たした。彼は、「日本がこんなに脆弱な国とは思わなかった。電力で何のイノベーションもないのは情けない。日本でエネルギーの会社を起こすのを手伝ってもらえないか」と持ちかけた。
 私たちは1カ月後にベンチャー企業を立ち上げた。従来の鉛電池は安全ではあるものの寿命が短く、リチウムイオン電池は効率が良くても充電しすぎると発火するという弱点があった。この会社は二つの電池をアナログ的に組電池にして、「バインド電池」という画
期的な蓄電システムを生んだ。
 このような組電池を構築すれば、それぞれの弱点を互いの電池が補完し合い、鉛電池の寿命が4倍に伸びるだけでなく、鉛電池が安全弁になってリチウムイオン電池が決して発火しない。しかも零下40度下でも完璧に作動するという思わぬ発見もあった。
 さらにこの会社は、燃料電池において鉄粉を使って水素を供給するという「シャトル電池」の開発に成功した。これを使えば、水素を外部から供給しなくてもコーラ缶12個ほどの鉄粉だけで自動車は200キロ以上走れる。しかも深夜電力で酸化鉄を鉄に還元すれば、鉄粉はリサイクルできる。この会社もまた、薄氷を踏むようにして資金調達をしながら、何とかタイトロープから落ちずに開発を続けている。
 私が関わった事例だけを見てもわかるように、もはやイノベーションなど生まれないとみなされている産業においても、イノベーションの種子はいくつも眠っている。問題はそれを見出す眼力と新産業を興そうとする強い意志があるかどうかなのだ。
 とはいえ、ベンチャー企業を起こす過程で、私は何度も呆然とする事態に直面することになった。
 日本の企業文化には「ベンチャー企業がブレークスルー技術を生み出すはずがない」という奇妙な思い込みがある。そのため前述のように、すでに開発が終わり、あとは生産技術だけを確立すればよいという段階になっても、なかなか投資家が現れないという事態に立ち至る。
 ベンチャー企業でもソフトウェアやアプリ制作などのいわゆるIT企業はさほど大きな投資を必要としないものの、新しい物質の創生やデザインに基づくブレークスルー技術には莫大な資本投資を要し、資金なしに新たな産業は創出できない。どんなに優れた技術と将来性を有していても、日本において科学者の起業家が成功することはあまりにも難しく、最初のステージにすら立てないというのが実情なのである。
 一連の起業を通じて私が痛感したのは、イノベーションのグランドデザインを把握して未来への展望を構想できる能力を備えた人材が、日本において決定的にいないという事実である。私が「イノベーション・ソムリエ」と呼ぶそうした人材を養成することが、未来を拓くイノベーション創出には不可欠なのである。 

科学リテラシーとトランス・サイエンス問題
 イノベーションに基づく未来を構想できるイノベーション・ソムリエは、ある一つの分野を修めていくだけではなく、自然科学や人文・社会科学を自由に回遊して社会全体を俯瞰する視座を持たなければならない。そのためには、これまでのように文系と理系がタコツボ化している状況を脱し、お互いが共鳴し合う場をつくる必要がある。
 同志社大学がビジネススクールを創設するに当たって招聘された私は、2004年からイノベーション理論と技術経営をそこで教えることになった。技術経営とは文理の壁を乗り越えて経済価値および社会価値を生み出す方法論を研究する経営学であって、二つの側面を持っている。
 一つはその技術を成立させている要素と構造を分析し、市場との関係性を明らかにして新しいブレークスルーの方法を見出すマネジメント。もう一つは、技術の物理限界の要素と構造を研究して、その技術が社会を損なう事態が決して起きないようにするマネジメント。双方とも、イノベーションの源泉(ソース)にまで立ち入らねば、解は見つからない。
 私はさらに若者たちが起業に挑戦できるよう無償で参加できるビジネス講座を開いた。
参加者にはそれぞれビジネスプランを提出させ、20人を選んで海外の大学で起業家教育を受けさせる。
 行き先は米国のカリフォルニア大学(UC)ロサンゼルス校(UCLA)、UCアーバイン校(UCI)、南カリフォルニア大学、UCバークレー校、フランスのEDHEC経営大学院、イギリスのケンブリッジ大学と毎回変えた。米英仏の颯爽とした起業家精神を浴びた教え子たちから多くの起業家が輩出した。
 日本の教育システムでは、科学を技術のツールとみなし、社会にどう役立つかというレベルでしか教えていない。このため人文・社会科学の視野には自然科学が入ってこない。これでは日本の科学リテラシーはいつまで経っても向上しない。私は、科学が哲学とどうつながりながら創成されたかを教える科目を新たに設けた。
 哲学から孵化した科学は、やがて哲学のもとから独立し、一つの生命体となって自然を圧倒的な形で理解した。そのプロセスを学ぶことは科学を海外から輸入した日本の歴史を問う営みにつながり、その営みは自然科学から社会科学、人文科学にまで及ぶ超域研究となる。
  ところが当の大学で、自然科学がいかに人文・社会科学と隔絶しているかを示すような体験をした。創立したばかりのビジネススクールでのことだ。教育カリキュラムの中で技術経営の諸科目のデザインを担当していた私は教授会で発言した。
「半導体産業にしても、ナノテク産業にしても、その技術的側面を理解しないと産業構造やそのビジョンが描けません。そしてその技術を理解するには量子力学が必要です。だから量子力学のエッセンスを教えたいと思います」。
 すると、隣に座っていた経済学の教授が驚いて異を唱えた。
「量子力学なんて、位置を決めたら運動量が決められなくなるとかいった、現実世界とは
まったく関わりのない学問でしょう。そんなのがビジネスの何に役に立つんですか。ばか
ばかしい」。そう言って怒り始めた。笑い出す教授もいた。
 私にとっては予想すらしていない反応であり、唖然とした。携帯電話やパソコンをはじめ半導体などを扱うミクロの世界は量子力学の原理に従って動いている。現代テクノロジーの根幹を支えているのは主として量子力学である。
 そのことを経済の専門家がまったく理解していない。これでは、社会科学が産業社会の未来を論じるどころか、来たるべき社会の構想もビジョンも描くことなどできるはずがない。
 日本の未来を拓くためにはまず、科学と社会との第一の関係性である「イノベーションとは何か」を再考する必要がある。
 産業社会は、イノベーションという知的営みの連鎖をバックキャスト(逆再生)すると、科学すなわち「知の創造」にその起源を持つ。では科学と、科学に下支えされた産業社会との関係性は、どのような知的営みの構造を持っているのか。そのことをきちんと理解しなければ、新産業を創り出すビジョンを描くことはできない。
 おりしも東電が原発事故を引き起こした後、科学者は市民の前で真実を明らかにしようとしないまま懺悔をし、そのアンフェアな態度を見た市民はますます科学不信に陥るという事態が生じた。現実に、科学が社会を損なう問題が起きたとき、科学者がいかに無力であるかを、市民全員が直視したのである。
 私はこの状況を、科学と社会との第二の関係性であると考えた。これは、科学が引き起こしながらも科学だけでは解決できない社会問題、すなわち「トランス・サイエンス」の問題にほかならない。本書ではそうした議論に対する私なりの回答も記した。 

本書の構成
 本書の構成を簡単に紹介しよう。
  第一章は、日本におけるサイエンス型産業衰退の原因を具体的事例にそって考察する。取り上げるのは、台湾の鴻海精密工業に買収されたシャープの事例である。日本の老舗大手電機メーカーが初めて海外企業の傘下に入ることになった背景には何があるのか。内部関係者への取材を通して明らかにする。
 第二章は、日米比較を通して日本のイノベーション危機の実相に迫る。米国は「大企業中央研究所」というイノベーション・モデルから脱却し、スモール・ビジネスを国家で支援する「SBIR制度」の導入によって、新たなイノベーション・モデルを生み出すことに成功した。一方、日本は米国より17年遅れて日本版SBIR制度を導入したものの、それは見事に失敗した。その原因を追究すると、制度に宿る理念の相違に突き当たる。その理念の裏に潜むものを探ることによって、21世紀型のイノベーション・モデルとは何かを描き出す。
 第三章では、この考察に基づいて科学と社会との第一の関係性であるイノベーションとはいったい何なのか、科学すなわち知の創造がいかなるプロセスを経て経済的・社会的な価値の創造にまで昇華されるのかを検討する。イノベーションが生まれるこの原理を独自にモデル化した「イノベーション・ダイヤグラム」を具体例に即して紹介し、イノベーションの本質を明らかにする。
  第四章では、科学と社会との第二の関係性であるトランス・サイエンスについて議論する。前述したように、トランス・サイエンスとは「科学が引き起こし、科学に問いかけることはできるものの、科学は答えられず科学だけでは解決もできない問題」をさす。興味深いことに、この第二の関係性は、第一の関係性であるイノベーションの欠落によって同時に損なわれる。2011年の東電原発事故と2005年のJR福知山線事故の原因分析を通して、そのことを論証し、なぜ両者が強く連関しているのかを解明する。
 第五章は、戦後の日本社会を概観しながらイノベーションが途絶えた背景を探り、日本が危機から脱するための道筋を探る。イノベーション・ソムリエを養成する大学改革への提言をはじめとして、日本がこれから取るべき針路を示したい。
 以上のように本書で取り上げるトピックは、シャープ買収や日米のベンチャー支援政策、原発事故といったきわめて具体的な事象から、イノベーション生成の構造や、社会と科学の関係性といった抽象的次元まで多岐にわたる。その振幅の大きさに読者は戸惑うかもしれない。しかし、そこには大きく通底するテーマがある。それはイノベーションの喪失と科学の危機である

 日本は今21世紀型のイノベーション・モデルを見つけられないまま漂流を続けている。制度を整えたうえで、ちりぢりになって漂っているボートから有能なイノベーターたちを救い出しさえすれば、この「沈みゆく船」を救うことができるはずだ。そのためには、今あるイノベーション・システムの隊列を根本から組み直さなければならない。
 本書は、日本再生に向けて設計図を描き出す試論である。以下、第一章から第五章まで、登場する方々の敬称を省略する失礼をお許しいただきたい。また役職は当時のものである。
 では、沈みゆく船を救うための航海に出ることにしよう。
 

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