妄想古典教室

第三回 おタマはなぜ隠されたか?

股間表現をめぐる男同士/女同士の絆

弘法大師の股間問題

 ところで平安末期あたりから流行した裸形像だが、その股間はどれもこれも陰馬蔵という形式であらわされているかというと、これまたとんでもない股間をもつ像が、堀口蘇山『関東の裸形像』(芸苑巡礼社、1960年)に紹介されている。

 後閑薗蔵、弘法大師裸形立像として紹介されるこの一体は、玉眼入りの乾漆像である。逆手に握った右腕を下にさげ、なにかを握ったかたちの左手を胸元にかかげる像は、堀口によれば「右手に法袋を提げ、左手に法螺貝を持て、法螺貝を吹てゐる様相」である。「当像は「修行之空海」である、諸国を遍路して社会福祉を施設した時の活動主義の空海像である、従てこの裸形像に粗衣と粗服との旅装が整いられて旅姿の空海となるのである」とするのは、なるほどそのようなものであろうと首肯できる。弘法大師像は、一般に手首をひねったかたちの右手に五鈷杵をにぎって胸元にかかげ、左手に念珠をもつ坐像で表されるものと、旅姿の立像とがある。堀口蘇山は、諸国遍歴の旅に出た空海を想像しながら、こうも真っ裸なのだからというので温泉に入る姿を連想したらしい。

 

旅姿になつた空海の一例を挙ぐるならば、無人境の原野に温泉を発見する、空海は之を治康して衆人を率え、「請ふ隗より始めよ」二陣三陣と続けよと、人前へ出しても、堂々たる四肢五体、辱しくない逞しい立派な、見事な、おチンチンを開帳しながら、ザンブとばかり一浴、さうして湯治療法や晴耕雨浴の生活増進法をよりよく指導した。

 

 ここで堀口が「辱しくない逞しい立派な、見事な、おチンチンを開帳」と説明したくなるのは、この像が、なかなかに「立派な、見事な」モノを股間につけているからである。堀口が「右から逸物を見ても、左から男根を見ても、上から睾丸を見下しても、下から陰嚢を見上ても、立派であり見事であり而も芸術的であり、聊かもいやらしい感じがしない、性神であるからである」と説明するように、ごくごくリアリズムのていで男根と睾丸が股間にさがっているのである[fig.5]。たしかにここまでしっかりと造りこまれた股間部に聖性を読み込むなら「性神」とするほかない。「性神」たるものは、人に羨まれるほどの「逸物」を持たねばならないと堀口は説く。

 

 それにもまして播州松茸、そつち退けの逸物、美しいではないか、大丈夫の男根は勇ましく、麗はしくも見事なれ、釈迦の男根も婆羅門族の羨望の的となつたほどに、卓越傑出してゐたさうである、然らばさ、空海様は釈尊の再誕であるから、その逸物は御見事御見事、一気当千勇猛奮迅の英姿であつたのであらふ。さうして弘法様は大日如来の再現であるから、その亀亢は天晴れ天晴れ、威風堂々、瑜伽師地壇上を轟々と震裂せしむるの雄状であつたのであろう。

 

 お釈迦さまだって人の羨むような男根を持っていたのだから、釈迦の再誕といわれた空海のソレも「御見事御見事」なものでなければならないというのである。この像も衣を着せてまつっていたのだろうから、ふだんはこの「勇ましく、麗はしくも見事」な「逸物」は見えないはずである。しかしそれが衣の下に存在するという密かな事実が、この像の霊性を高めていたのに違いない。

[fig.5]弘法大師裸形立像
堀口蘇山『関東裸形像』芸苑巡礼社、1960年

 

 弘法大師像が、裸形の地蔵像にも似ているように、出家の僧侶と地蔵とは姿がよく似ている。それは尼であっても同様である。尼を象った地蔵像が、裸形像としてつくられると、こんどは女の股間問題というものが発生することになる。

 

女の裸形像股間問題

 鎌倉、延命寺の身代わり地蔵は、北条時頼夫人のゆかりの像だといわれている[fig.6]。右手に錫杖を握り、左手に宝珠を持つ典型的な地蔵の姿でありながら、白く化粧したような肌合いに赤い紅のさした唇、青々と剃りたてのような頭部など、生きている、人らしさのただよう像である。地蔵像の多くは蓮の花を象った蓮台の上に立っているのだが、本像は、双六盤の上に立っていて、これが身代わり地蔵の物語に直接関わっているのである。

[fig.6]身代わり地蔵
瀬谷貴之『運慶と鎌倉仏像――霊験仏をめぐる旅』平凡社、2014年

 

 身代わり地蔵の由来として、双六で負けるたびに衣を脱いでいくゲームに興じていたところ、時頼夫人が負けこんで、ついに真っ裸にならんというところに、地蔵が顕れ身代わりとなったという説話が伝わっている。北条氏の妻たる人が負けたら脱ぐゲームに参加しているのもなんだが、第一野球拳みたいな下品なお遊びがそんな昔からあったのだろうか。

 堀口蘇山はこの像を北条政子像として紹介している。堀口によると、大正12(1923)年の関東大震災で破損し、翌年明珍恒男が修繕しているという。堀口がこの像にとりわけ関心を寄せたのは、その股間表現であった。修繕前の股間は「盛上げ」であったと堀口はいう。

 

 当像の妙根は盛上げであつた、その盛上げ妙根は損傷してゐた、さうしてその妙根は後世の製作物ではない、当像造顕当時の作品である、しかしかうした立派な妙根を表現してゐるのは天下ただ一体のみと感づいた。しかし、地蔵様である、こうした妙根の無い方がよい、俗物の批判をさける上に於ても無い方がよい、俗物に、色的にのみ批判されては遺憾の不祥事が起る

 

 造像当時からの股間は「盛上げ」であったのだが、写実的にすれば、妙な解釈をされるに違いないと明珍恒男が心配したのだと堀口蘇山はいうのだが、やたらと葛藤が具体的なので、これは堀口の推測かもしれない。

 

では通途の馬陰相にしようか、蓮花相にしようかと迷うた、しかし待て、今後こうした彫刻が現はれた際に困る、その時はどうするか、と云う問題が起る心配がある、笑はれる謗りをうける心配がある。故に馬陰相も蓮花相も止めよう、ほんの間に合せにしておこう、その方が賢明であると断じた。

 

 他の裸形地蔵像のように股間に渦巻きを描く馬陰相にするか、蓮花をくっつけた蓮花相にするかで迷ったのだが、そうした改変はかえって「笑はれる謗り」を受けるかもしれないと心配して間に合わせとして「粘土をちびつとその部分に臨時に付加した」のだという。

 

そこで現在の如き判字文式、赤ん坊のおチンチンでもない、妖物式の形にした、これならばいつでも外れる、尊体に傷をつけないで直に外れる、後日人間的な女陰を必要とした場合には、人間的なさうして写実的な妙根を付れば良いのだと推断した、さうして施工したのであつた。

 

 堀口は、あくまでも当像の股間には、本来ならば「人間的な女陰」があったはずだと考えている。その時点で明珍恒男は江島弁才天をみていないし、「人間的な妙根を具有してゐるような彫刻が有ることを夢にも知らなかつた、聞いてもゐなかつた」から、女陰をつけることを想像だにしなかったのだという。しかしもしそうだとしたら、なぜ明珍恒男は、よりにもよって凹凸を反対にして「ちびつと」粘土をつけたりなどしたのだろうか[fig.7]

[fig.7]身代わり地蔵部分
堀口蘇山『関東裸形像』芸苑巡礼社、1960年

 

 限りなく女性的で優美なこの像が、それでいて、ちっとも胸の表現をもっていないように、地蔵菩薩たるものは男性化して造られねばならないと思うのがふつうではないだろうか。

 しかしもし堀口蘇山が夢想するように、この像が陰部を持っていたのなら、それこそ他に例をみない地蔵像となったはずである。もともと女神像である弁財天が陰部をもつのとはまったくわけがちがうのである。おたま地蔵が師を思慕する形代(かたしろ)だったのと同じように、だれかが実在の女性への思慕を形象化するために造った像だということになるのだから。その像が、陰部をもたねばならなかったとするなら、それもまた濃密な肉体への思慕を明かす像となっただろう。青々とした頭部が尼姿をあらわしているとするのなら、尼寺には女しかいないのであるから、その肉体への思慕もまた女による女へのものであったはずだ。そのように考えると、生々しいほどに女らしい身代わり地蔵の「ちびつと」つけられた粘土による陰部は女同士の絆をこっそりと伝える痕跡にみえてくるのである。

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