川上弘美×穂村弘

後編 小説の資質、短歌の資質

小説の資質、短歌の資質

 
川上 私の「酸欠」の解釈は穂村さんの言いたかった意味とは違っていたのかな。
今って、ほんとうのほんとうのところは実感できていなくとも、インターネットでいろんなことが調べられたりして、表面上は分かった感じになっちゃう。例えば、今、予備校の資料で、この大学のこの学部の就職率はどのくらいで、その就職した先の会社のお給料がどのくらいというようなことが、高校生にばら撒かれちゃうの。すると、それが世界の全てじゃないのに、分かってるような気になってしまう。そんなふうに、みんなどんなものにもきれいに光が当たっているように見えてしまうあまり、それ以外のものを想像しようがないというのが「酸欠」なのかなって思ったの。
 
 
 

穂村 あ、でもそれに近いです。世界のシステム化による「酸欠」ってことでは。
川上 それで、穂村さん自身は「酸欠」なの? 私自身は、「酸欠」ではないような気がする。インターネットも活用できない古い人間だからかもしれないけれど(笑)。
ちょっと話が戻るんだけど、私は支配的な気分の時は小説が書けないのね。少しいい加減じゃないと。書こう、と思ったことを過不足なく書いても、つまらない。最初思ってもみなかったことを書いたり、予定していたものがいつの間にかみえなくなってしまったりして、はじめて小説があらわれてくる。短歌は短いので全部見渡せてしまうよね。そこがちょっと関係あるのかなって……。
穂村 それは絶対あると思う、支配欲求と長さの問題は。
川上 しっかり把握していたいんだ、穂村さんは。
穂村 そうみたい。二十代の時には評論やエッセイも書けなかったからね。
川上 そうかぁ。
穂村 何か不如意なことが起きるじゃない。もちろん現実世界でもいっぱい起きるし小説の中でもいっぱい起きる。
例えば、主人公が宿の人に今晩もここに泊めてもらうかもしれませんって言って、当然OKだと思ってたら、週末は釣り人が来るからダメだって言われたと書いてあったとするよね。そうするとその瞬間にびっくりして小説空間が豊かになった感じがする。主人公に意識を合わせて読んでいたら、不如意なことが起きる。その思いがけなさに、世界が広がる感じがするんです。
僕も読者として読んでるときにはそれがいいと思えるんだけれども、いざ書き手になるとその不如意に耐え得ない。
川上 じゃ、自分が例えばそこでちょっと泊まれませんよって書いたとしたら、その後はどういう風に展開するの?
穂村 そもそも泊まれないという可能性を思いつかない。思いついたとしても、そのことが何かもっと啓示的な意味を持つように、メタレベルで復讐してしまう。
川上 じゃ、全部のできごとに意味が付与されるわけだ。
穂村 そう、だからティッシュが切れていたことも、泊まれないって言われたことも、これは啓示だ、みたいな。
川上 そのくらいの集中力がないと短歌は作れないんですねぇ。
私の場合はね、ABCDEFGぐらいまで要素があったとしたら、ACDGくらいしか自分では覚えてないし、そこまでしか見えてないの、実は。BとかFとか忘れられてるわけ。そのくらいの非支配感でないと、私は書けない。
穂村 でも、川上さんの小説では、最後には、そこまでの小さな不如意がね、全て反転してオーケストラのように響くじゃない。
川上 最後だけだもの、繋がって響きあっているのは。最初から計算してるんじゃなくて、あ、この人とこの人は関係してたんだと気づくとか、途中でようやくわかってくる。小説って長いからそういうこともあり得ちゃうんですよね。
 
穂村 初期には、もっと川上さんも勝とうとしてたんじゃないですか、世界に。
 
 
 

川上 うーん、そうかなあ。たしかに最初の「神様」は十枚だった。でもそれは、多分勝とうとしていたからじゃなくて、小説の世界の中であんまりいろんなことを書けなかったからなんだと思う。穂村さんのように意味を持たせようということじゃなくて、非常に端的に言っちゃうとつまらないことしか書けないわけ。こうなったらこうなるだろうという、誰にでも予想できるようなものしか書けない。だから、つまらなくて、長く書きたくなかった。
穂村 登場人物の名前が変わっているとか、明らかに不思議なことがあったよね。変と普通の関係が少しずつ変化しているような。
川上 うーん、そうやってなんとか「つまる」ものをがんばって作っていたのかな。でもそのうち次第に、つまらないことと一口に言っても、その中には実は不思議なこともたくさんあるんだと思うようになって、やっと長い小説が書けるようになっていったようなきがするんです。
穂村 その二重性が川上さんの場合には常に鳴り響いていて、『どこから行っても遠い町』っていうタイトルだって、相当鈍い人だってその二重性は感じると思う。実際どこから行っても遠い町はあるし、同時にメタファーとしての遠い町、すごいベタなことを言えば人間の心とか、それはどこから行っても遠い町だみたいな。その二重性の強度がね、敷居は低いように見えて入ってみるとずーっと奥まで広がってるでしょう。
川上 そんないいものだっけ、私の小説(笑)? 嬉しいです。でもまあ、そのときどきの運ですね。そういうものが書けるかどうかというのは。

一行の緊張感

穂村 小説の中で、男の子が香水なんてどこにつけていいか分からないから頭に振ったということを書かれてるけど、そういうのが、ある意味日常的にありそうなことにも思えるし、僕なんかが読むとひどく象徴的なものにも思える。
川上 そんなこと書いてたっけ?
穂村 うん。
川上 忘れてました。
穂村 ひどく詩的でそのまま俳句や短歌にできるくらい象徴的でエッジも立ってるエピソード。
川上 それはよかった(笑)。
穂村 多分、小説として普通に読むときはそのエッジの部分を寝ているようにみなしつつ、心のどこかで、言葉の強度を感じながら読み進んでると思う。そこでエッジをあからさまにグッと立てちゃうと読者はがーーんって引っかかっちゃうじゃないかな。
川上 そうですね。もっとエッジの立ったものでいっぱいのものを書いてみたいという欲求もあります。でも、俳句作ってても私エッジの立った俳句作れないから。ダメかも。
穂村 まぁ、それはエッジを立てるジャンルっていうのがあるでしょう、二物衝撃っていうか。
川上 俳句には「切れ」というものがありますしね。
穂村 エッジの立て比べみたいなのが。
川上 短歌や俳句は、一首、一句で立っているわけですが、中には連作もありますよね。連作の場合には、作り方は違うんですか?
穂村 一首に対する感覚が少し変わりますね。
川上 薄くする?
穂村 薄くしても許されるような感じがある。それすら生理的に耐えられないという、塚本邦雄のように全部がギンギンじゃないとダメという人もいるけれども。
川上 穂村さんもわりとそうでしょ。
穂村 そういうタイプですね。ギンギンじゃなくてもいいんだといわれても、どうしていいのかわからない。
川上 向田邦子に、エッセイは三回に一回面白いくらいでいいんだよ、と山口瞳がアドバイスしたという話を昔読んだことがあります。ちょと意味は違うのかもしれないけれど。みっちりギンギン派といえば、岸本佐知子さんもそうですよね。
穂村 岸本さんのは、読み出す前から分かるよね。本をパッと開いた瞬間に、ここに面白いことが書いてあるなって思う。
川上 一行たりとも面白くないところはないという感じ(笑)。
穂村 でも彼女はそんなに支配欲求があるような人には見えないんだけど。
 

川上 いや、あると思う。全然ないですよって言うかもしれないけど、一行たりとも恥ずかしいことを書きたくないと思ってるんじゃないかな。ゆるいことを書きたくないとか。かっこいいことを書こうという虚栄ではなくてね。穂村さんもそういう感じなんじゃない? 全ての行がエッと目を引くようなものであるというよりも、ここを突っつくと綻びちゃうっていうようなものを書きたくないという、消極的な積極性というか。
穂村 ギンギンじゃないとね、何か怖いんですよ。

2009年6月12日更新

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川上 弘美(かわかみ ひろみ)

川上 弘美

1958年東京生まれ。作家。94年「神様」でパスカル短篇文学新人賞を受賞しデビュー。96年「蛇を踏む」で第113回芥川賞、2000年『溺レる』で伊藤整文学賞、女流文学賞、01年『センセイの鞄』で谷崎潤一郎賞、07年『真鶴』で芸術選奨文部科学大臣賞を受賞。著書に『どこから行っても遠い町』『風花』など。

穂村 弘(ほむら ひろし)

穂村 弘

<1962年5月21日北海道生まれ。歌人。1990年に歌集『シンジケート』でビュー。短歌のみならず、評論、エッセイ、絵本翻訳など広い分野で活躍。2008年に『短歌の友人』で第19回伊藤整文学賞、『楽しい一日』で第44回短歌研究賞を受賞。著書に『整形前夜』『現実入門』『本当はちがうんだ日記』など。

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