日本思想史の名著を読む

第4回 九鬼周造『人間と実存』

幻の主著?

 九鬼周造(一八八八・明治二十一年~一九四一・昭和十六年)と言えば、よく名前が挙げられる著書は『「いき」の構造』(一九三〇年)である。日本文化の伝統を貫いて存続している「いき」の美意識について考察をめぐらした本であり、最初の単著であった。一九七九(昭和五十四)年に多田道太郎による解説つきで岩波文庫に収められ、ずっと版を重ねているから、これが代表作として扱われるのも不思議はない。
 だがそのことが、哲学者としての九鬼のイメージをやや歪めてしまったようにも思われる。九鬼は文部官僚の大物であった九鬼隆一の息子として恵まれた環境に育ち、東京帝国大学を卒業したのち、八年間ものあいだ、フランス・ドイツで私費による留学生活を送った。その間、アンリ・ベルクソンやマルティン・ハイデガーといった哲学者のもとで学び、学界で注目されるとともに、「バロン・クキ」――たしかに父は男爵であったが、正確には爵位を継承したのは周造の兄とその息子である――と名乗って社交界で華やかに活躍した。帰国後、京都帝国大学の教授として迎えられたあとも、祇園に遊び、藝妓であった女性を後妻に迎えた。人生のそんな側面が、遊里ではぐくまれた美意識としての「いき」と重ねてとらえられたという事情もあるだろう。
 だが、その哲学者としての本領は、むしろ哲学史と二十世紀初頭の現代哲学の研究にある。京都帝大文学部で担当した講座は西洋哲学史であり、没後にその講義草稿が『西洋近世哲学史稿』として公刊された。ルネサンス期の哲学からG・W・F・ヘーゲルにまで至る周到な通史であり、哲学史概説としていまでも十分に読み応えがある。しばしば、祇園から大学に直行して朝の講義を行なったという伝説がひきあいに出されるが、それだけ丹念に準備をしていたからこそ、可能だったパフォーマンスなのだろう。決して単なる遊び人学者ではなかったのである。
 九鬼自身の哲学理論を展開した著書としては、博士論文を練り直して書かれた『偶然性の問題』(一九三五年)もあるが、その思考の広がりをたどるには、むしろ論文集『人間と実存』(一九三九年)の方がふさわしい。最近、藤田正勝によるていねいな注と解説をつけて、岩波文庫に入ったため、手にとりやすくなった。
 目次と論文の初出年を掲げれば、以下のとおりである。

一 人間学とは何か(一九三八年)
二 実存哲学(一九三三年)
三 人生観(一九三四年)
四 哲学私見(一九三六年)
五 偶然の諸相(一九三六年)
六 驚きの情と偶然性(一九三九年)
七 形而上学的時間(一九三一年)
八 ハイデッガーの哲学(一九三三年)
九 日本的性格(一九三七年)

 ヨーロッパから帰国したのは一九二九(昭和四)年一月であるから、こうした諸論文と並行して『偶然性の問題』も手がけていたことも考え合わせると、帰国後の十年間、きわめて多産だったことがわかる。人間論、実存哲学、偶然論、時間論、日本文化論と、九鬼が哲学的考察の対象としてとりくんだテーマを、ひととおり通観できる書物になっているのである。

「実存」主義の登場

 ゼーレン・キルケゴール、カール・ヤスパース、ハイデガーが哲学の主要な概念として用いたExistenzについて、「実存」という訳語を創ったのは九鬼自身である。おそらくはここに収められた論文「実存哲学」が、その言葉を日本の学界に定着させたと思われる。初出は岩波講座『哲学』であり、当時「岩波講座」は大学で行なわれるような、学問の最先端を示す講義を広く一般読者に公開する試みとして位置づけられていた。「ハイデッガーの哲学」もまた、マールブルク大学におけるハイデガーの演習に参加していた九鬼が、公刊された作品の『存在と時間』(一九二七年)だけでなく、その後の講義録も参照しながらまとめた仕事である。哲学の本場から帰朝した、最新の「現代思想」の案内役として歓迎されていたことが、よくわかる。
 九鬼の理解するところでは、「実存」とは、ほかの誰でもないその人独自のあり方を意味するが、それは一つのあり方、生き方に固定したものではない。むしろ、さまざまなあり方に向かいうる「可能性」に開かれていることにその特質があると、ヤスパースの所説を参照しながら説明している。「現存在は現に在るか現に無いかであるが、実存は可能的のものとして選択および決定によって自己の存在へ歩みを運ぶかまたは自己の存在から歩み去るのである」(岩波文庫版九三頁)。ここに言う「現存在」(Dasein)もまたヤスパースによる概念であり、九鬼はこれを「経験的現存在もしくは生命」と説明する。そして「現存在は経験的に現に存在しているが、実存は単に自由としてのみ存在する」(同上)。人間の実存は、「選択」という行為によってさまざまな可能性に開かれているという意味での「自由」を、その本来的な特質として備えているのである。
 この「自由」を説明するさいに、具体例として豊臣秀吉の「実存」を挙げるところがおもしろい。「朝鮮征伐をするかしないか、聚楽第を営むか営まないか、それは問題性として成立している可能性である。自由である」(九六頁)。日本史上の有名人をとりあげるのは、一般読者が親しみやすい文章にするねらいもあるだろうが、あとで見るように日本文化に対する九鬼の関心の強さの表われだろう。また「ハイデッガーの哲学」でも、可能性にむけて「投企」する「現存在」のあり方にふれて、「自由のみが現存在に世界を支配させ、世界を世界させる。自由は現存在の深淵である。現存在は自由なる存在可能として投げられている」(二三七頁)と説いている。九鬼の考えでは、ハイデガーも含めて実存哲学は、一貫した「自由」の哲学なのである。
 「自由」への着目は、この概念を媒介として、ベルクソンの哲学とヤスパース、ハイデガーの実存哲学とを統合しようというねらいがあるのだろう。もちろんここで考えられている「実存」としての自己は、理性の自覚によってみずからを統合するような個人ではなく、それ以前に存在する意識の状態であるから、いわゆる近代的な自我ではない。その意味で政治思想としてのリベラリズムが一般に前提とする人間像とは異なるのだが、それでも「自由」の価値を高らかに掲げた哲学者として、九鬼は近代日本では珍しい存在であった。

「日本」へのまなざし

 冒頭に収録されている論文「人間学とは何か」もまた重要な作品である。小泉丹(まこと)・和辻哲郎を監修者とする『人間学講座』の第一巻に寄稿したものであった。一九二〇年代から三〇年代にかけて、マックス・シェーラーやヘルムート・プレスナーを代表とする人間学(哲学的人間学)は、ドイツでも日本でも哲学の流行思潮であった。新カント派など、それ以前の哲学が認識論に集中する傾向があったのに対し、実践や社会生活も視野に入れて人間を総合的に考察しようとする試みとして、多くの哲学者が人間学にとりくんだ。ハイデガーの『存在と時間』もまた、存在(あるということ)とは何かと問う主体としての「現存在」のあり方を探る、一種の人間学として読まれたのである。
 この論文で九鬼は、人間を自然的人間・歴史的人間・形而上的人間の、三つの相の「統一的融合」としてとらえる。実践生活の側面で人間をとらえるのは「歴史的人間」の相であり、ここでも「自然に対する歴史の意味は、自由の作動によって歴史が造られて行くことである」(三五頁)と、やはり「自由」が重要な特質として挙げられている。「自由を本質とする歴史的人間は未来的人間と云っても差支ない。自己自身を未来に於て生み行く人間が歴史的人間である」(三六頁)。ここではむしろ、「自由選択」を通じた「未来の可能性」に重点をおいて「歴史的」と名づけられている。
 そして「形而上的人間」は「絶対者」との接触、いわば宗教経験に即した人間の一面を意味している。そうした経験の根柢にあるものを、九鬼はF・W・J・シェリングの概念を借りて「原始偶然」と呼ぶ。この「原始偶然」の例をいくつか紹介しているが、日本神話のエピソードを複数挙げているところが興味ぶかい。たとえば天照大神は、須佐之男命(すさのおのみこと)が高天原にやってきて乱暴をくりかえすことに悩まされた。そうした不可解な「偶然」に直面し、「驚き」の感情に充たされながら身をふるわせるのが、「形而上的人間」である。
 そのほか、日本神話からの引用や、本居宣長の所説の紹介が「人間学とは何か」には多く見られる。やはり『人間と実存』の巻末に収められた「日本的性格」も含めて、九鬼の日本文化論は昭和初期の「日本精神」論に迎合したような仕事ととらえられてしまうこともある。だが、人間学の総論とも言うべき論文のなかで神話や国学に言及し、しかもそれを論文集の巻頭に掲げているのは、むしろ九鬼が主体的な関心をもって、日本の思想伝統を分析しようと試みていたことの表われだろう。
 この天照大神と須佐之男命のエピソードは、和辻哲郎もまた『尊皇思想とその伝統』(一九四三年)で論じたものであるが、そこでは共同体秩序に対する忠誠心としての「清明心」の証を、天照大神が須佐之男命に問うたところに重点を置いている。これに対して九鬼は、そうした共同体の調和に対する賞賛を読み取ることをしない。むしろ、天照大神もまた不可解な運命に直面し、「驚き」にふるえたことに着目する。九鬼が注目した日本文化は、人間がそうした断絶や裂け目に直面することをごまかさず、見すえるものであった。そしてそれは、「驚き」に動かされながらその謎を解こうとし、未来へむかって選択を行なう、人間の「自由」をもまた表現していたのである。