ちくま新書

デヴィッド・ボウイがいた時代

1月刊、野中モモ『デヴィッド・ボウイ』(ちくま新書)の「はじめに」を公開いたします。 2016年1月10日にこの世を去ったデヴィッド・ボウイ。最後のアルバム『★』まで最前線で創造を続けた、彼の軌跡をたどる一冊です。

 デヴィッド・ボウイ。二〇世紀後半から二一世紀の序盤まで、半世紀におよぶ長い時間
にわたってたびたび変身を繰り返しながら、なおかつ揺るぎない個性を輝かせてきた稀代
のスーパースター。その創作活動の道のりは、時間的にも空間的にも、美学的にも形式的
にも、他に並ぶ者のない幅広さと多様性を備えている。
 一九四七年にロンドン南部のブリクストンに生まれたデヴィッド・ロバート・ジョーン
ズは、若者文化の花咲く六〇年代のロンドンで「ボウイ」の芸名を選び取り、七二年に架
空の異星人ロックスター「ジギー・スターダスト」のキャラクターに自らを重ねあわせる
戦略で大旋風を巻き起こした。あざやかな色彩と艶を取り入れた思いきり非日常的な装い
でキャッチーかつ力強いロックを奏でるジギーは、グラム・ロックの大流行を牽引する。
グラムすなわちグラマラス(魅惑的)である。それは「ビートルズ以来の社会現象」と言
われるほどの熱狂だったが、翌年には人気絶頂であっさり「ジギーの」引退を宣言。しか
しデヴィッド・ボウイは、同時代の新しい音を貪欲に吸収しながら前へと進み続け、常に
刺激的なサウンドとヴィジュアルを具現化してみせるカルト・ヒーローとして、七〇年代
を通して熱心な信奉者を増やしていった。
 こうしてポップ性と実験性が混ざり合う作品で独自の地位を築いてきたボウイだが、八
三年のアルバム『レッツ・ダンス』が爆発的なセールスを記録。彼は三〇代半ばにして
「誰もが知っている国際的スーパースター」の顔を獲得した。シングルとしてもリリース
された表題曲は、イギリス、アメリカをはじめ世界中でナンバーワン・ヒットとなった。
続くシングル「チャイナ・ガール」「モダン・ラブ」もよく売れ、彼は大規模なコンサー
ト・ツアーをはじめメジャー音楽業界のスターにしか許されない豪勢なプロジェクトの
数々に挑戦してゆく。九〇年代以降も、情報技術の革新に伴う音楽業界の再編・縮小をい
ちはやく予見し、途中には浮き沈みもブランクもあるものの、大スターの座に安住するこ
とをよしとしない柔軟な姿勢で意欲作を世に送り出し続けてきた。通算二八枚のスタジオ
録音アルバム、いくつものヒット・シングルとその革新的なミュージック・ビデオ、常識
破りのコンサート・ツアー。その量と質は驚異的だ。
 さらに、これらポップ・ミュージックというものを枠組から書き換え前進させるような
音楽活動に加えて、ボウイは映画、演劇、美術、ゲームなど、他のさまざまなメディアで
の表現にもよくある「ロックスターの余技」にはとうてい収まらない真剣な関心を寄せ、
本格的に取り組んできた。これまでに推定一億四〇〇〇万枚以上のアルバムを売った正真正銘のスターである以前に、彼はマルチメディア・アーティスト/パフォーマー/クリエイターなのだ。
 また、世界中のさまざまな都市に拠点を置いて創作を行い、コスモポリタン的なライフ
スタイルを実践したことも、ボウイをひときわ特別な存在にしている。七四年にフェリー
で大西洋を渡ってからは二度と生まれ故郷のイングランドに居を定めず、ロサンジェルス、ベルリン、ローザンヌ、シドニー、ニューヨークなどを転々とし、世界を旅して回った。日本語圏のメディアでは、プライベートでもたびたび日本を訪問しては地元の人々と交流していた彼の心あたたまるエピソードがよく伝えられているが、日本だけが特別というわけでもない。彼はアジアのみならずアフリカにも中東にも興味を抱き、それは折々に作品にも反映された。さらには地理的な制約から離れたインターネットの世界、すなわちサイバースペースにも率先して飛び込んでいった。
 これだけの長期間、多岐にわたる活動を続けてきたアーティストだ。英国の音楽評論家
ポール・モーリーが「誰にもそれぞれのデヴィッド・ボウイがある」と述べている通り、
同じデヴィッド・ボウイのファンでも、ひとりひとりの「自分にとってのボウイ」は、そ
れぞれが人生を過ごした土地と時代、好みと関心によって大幅に違っているだろう。本書
は、そんなボウイの多彩な作品と生涯を紹介し、その全体像の輪郭を浮かびあがらせるこ
とを目指している。彼の作品と行動がその当時どう受け入れられたか、あるいは受け入れ
られなかったか、記憶があればそれを蘇らせ、なければ想像する助けとなるような情報を
整理し、ボウイの歩みと彼がいた時代をひとつの流れとして描き出したい。

「彼がいた時代」。そう、とても寂しいけれど、私たちはいま、ボウイが世界を驚かせ楽
しませた半世紀を過去形で語らねばならない。二〇一六年一月一〇日、六九歳の誕生日を
迎え三年ぶりのアルバム『★』をリリースした二日後に、彼はその生涯を閉じた。その見
事な人生の締めくくりによって、ファンにとって、また二〇世紀から二一世紀の文化史に
とって、デヴィッド・ボウイの存在はさらに大きくかけがえのないものとなった。また同
時に、このときの世間の大騒ぎをきっかけにボウイを発見した人々もたくさんいたはずだ。
 ポップの世界は非情だ。情報の奔流の中では常にアクションを起こし続けていないと簡
単に忘れ去られてしまう。ボウイほどの大スターもその例外ではない。二〇〇四年にコン
サート・ツアーを中断してから二〇一三年の『ザ・ネクスト・デイ』まで、アルバムがリ
リースされず演奏活動も控えていた一〇年近くのブランクは大きい。代表曲の数々も、
「スターマン」は四五年前、「ヒーローズ」は四〇年前、「レッツ・ダンス」は三〇年以上前のヒットなのだから、若い世代が彼を知らないのもしかたがない。イギリスの音楽紙
『ニュー・ミュージカル・エクスプレス(NME)』がミュージシャンへのアンケート調査をもとに選出した「歴史上で最も影響力の大きなアーティスト」ランキングでは、二〇〇〇年に一位、二〇一四年に二位に選ばれたほどのボウイだが、一般的な認知度はビートルズやマイケル・ジャクソンに並ぶとは言えないのだ。
 だが、『オデッセイ』『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』『LIFE!/ライフ』『ウォールフラワー』など、近年のハリウッド映画で彼の曲がさかんに使用されていることからもあきらかなように、デヴィッド・ボウイの音楽はノスタルジーを超えていまを生きる人々の心を動かしているし、これからも時代の変化に伴って新たな意味をまとっていくだろう。そうした時を超える名曲・名盤の数々は、もともとはどんな背景から生まれてきたのか。その独自の美意識および問題意識は、どのように鍛えられていったのか。社会の移り変わりに敏感に反応し、時代を切り拓いてきたデヴィッド・ボウイの冒険の人生をこれからたどっていこう。
 それは戦争の傷跡がまだ生々しく残る一九四〇年代後半の南ロンドンからはじまる。

〔以下、第一章「郊外少年の野望」に続く〕

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