オトナノオンナ

最終回  去年今年

おとなびた幼稚園児がいる、少女のような老婆がいる……。さまざまな年代の女性の仕事、生活、恋愛、を丁寧に追いながらそれぞれの「オトナノオンナ」を描く、一話読み切り小説。 


 午前九時十五分。
 手を洗い、消毒、ハンドクリーム。
 棚に手をのばすと、半開き。山田さん、出がけにあわててたものね。あけると、きのうと違った。ひとつ新しくなっている。
 ビルのワンフロアに、女性用化粧室はひとつしかない。入口に鍵をかけたら、まったくの個室にできる。ひとつしかないけど、洗面スペースが広い。窓から隅田川がきれいに見えるのもいい。椅子を置いてもらったから、ここでストッキングをかえたり、ちょっと気分転換もできる。
 戸棚のなかには、いつも、いつつのポーチがならんでいる。ここで一緒になることはないから、だれがだれのか確かめたことはないけど、おそらくまちがえることはない。口紅、おしろい、毎月のもの。畠山さんのは、ライターも入ってるのかしら。こんな小物にも、好みがあらわれるものと、戸棚をあけるたび思う。
 新しくしたのは、経理の川端さんでしょうね。きれい好きだから、いちばん頻繁にかえて、いつでも黒の無地。堅実な彼女は、服の好みも地味で、モノトーンが基調。定時まできっちり働いて、毎日保育園におむかえにいって。産休明けてから、ずっと忙しそうだけど、どんどんきれいになっていく。いちばん充実してるころだから、肌もぴかぴか、うらやましい。
 そういえば、きょうは、くるみちゃんも来るのかしら。きいておかないと。どちらにしても、お昼休みに絵本を買っておかないと。
 くるみちゃん、来年小学校っていってた。よその子は、あっというまねえ。それだけ、年をとっているってことなんだけど。
 仕事おさめまで、一週間。きょうから、営業さんは挨拶まわり。ほかの部署も、せわしなくなっている。開発はのんきでいいねっていわれるけど、ひとり部署だから年内にやるべきことは、まだまだある。雑誌のひと、通販のひと、あとはだれに会うんだったか。本音をいえば、今夜の忘年会だって、面倒なくらい、ひと疲れしている。でも、くるみちゃんと話すのは楽しみね。土橋くんの料理も、大勢のほうがいいわね。
 あしたは、祝日。あさっては、クリスマスイブ。なんの予定もないのがうれしくなって、どのくらいになるのか。
 三連休は、エバンスでモーニングを食べてゆっくり新聞読んで、鬼平のDVDみながらワイン飲んで、そんなところか。
 四度めの年女も、あと十日でおしまい。そういえば、女の子たちにもらった赤いレースのパンティ、はいてない。赤い下着が厄払いになるからって、くれたんだった。厄も幸も、おなじくらい離れたような、ぼんやりした一年だった。
 年内、アロマ鍼の予約、まだまにあうかしら。畠山さんも、こんど誘ってみようかしら。あの人、その後大丈夫なのかしら。
 さて。首をまわすと、ぼきぼき。

 午前十一時二十二分。
 ……ああ、よかった。ありがとうございました。それでは、いつもどおりのお迎えで、よろしくお願いします。先生、お手数おかけしました。
 ああ、助かった。
 この忙しいときに、さすがに早退とはいえなかった。朝ぐずぐずしていたから、熱が出るかなあって気にしてたら、電話くださって。まゆみ先生は、いままでの先生でいちばん親切。泣き虫くるみも、年長さんになってずいぶんたくましくなってきたし。子育て台風の目は、すぎたのかも。
 戸棚をあけると、さわやかな残り香。小川さんは、いつも優雅でうらやましいな。髪をとかして、リップをつけて。小川さんのポーチ、海外の高級コスメがいろいろ入っているんだろうな。くるみを産んでからは、無添加、無香料ばっかり。近所の薬やさんでぱぱっとそろえるだけだから、ひとの香りに敏感になった気がする。小川さんの香水は、とてもよく似あっている。
 まえに、山田さんの歓迎会のときだったかしら。畠山がどこのですかーってきいたら、小川さん、香水はトップシークレットよっていってた。マリリン・モンローより色っぽい発言だった。そんなこと、考えたこともなかったもの。
 小川さんは、秘書課の石川よりずっと秘密主義だから、いろんな噂がある。フランスに恋人がいるとか、九州の殿さまの愛人だとか、あんな素敵なひとが、どうして結婚しなかったんだろう。かっこいいけど、子ども好きなのに。
 うちの男の子たちだって、みんな小川さんとはなすときは、背すじがぴんとのびてる。大人の女ってああいうひとのことをいう。おんなじ会社で、おんなじように働いていても、ぜんぜん違う人生がある。
 くるみだって、年に一回しかあわないのに、小川さんきれいだねー、やさしいし、すてきだねーっていう。きょうの忘年会、指折りかぞえてまってたもの。ぐずぐずしてると忘年会つれていかないよ小川さんに会えないよっていったら、泣きやんだくらいだった。
 毎年、趣味のいい絵本を選んでくるみにプレゼントしてくれるし、忘年会のあいだはずっと話し相手になってくれる。いちど、うちにご招待しようとしたけど、やんわりことわられた。おたがい、会社の顔でいましょうって。
 ベテランの小川さんがそういう感じだから、女性社員が仕事以外で会うのは、夏の五人会と、石川の発表会のときだけ。
 ことしは、畠山の快気祝いもあったな。あの子もこのごろ忙しそうで、大丈夫かしら。
 きょうは、あのときのお店だっていってたな。くるみが食べられるもの、あるかしら。畠山にきいておこう。さて。お昼まであと百枚伝票やっちゃおう。

 午後一時四十分。
 午後やること。
 営業さんたちの年賀状と、名刺の補充ぶんを配る。朝、山田に頼めばよかった。それから開発に行って、来春のパンフレットの校正刷を小川さんにもらう。備品の発注と、伝票を川端さんにまわす。健保組合からも、なんかきてたな。あとは、きょうの最終人数をお店につたえる。おとな三十八人、こども七人。
 クリーム、クリーム。紙ばっかりさわってたら、指がかさかさになっちゃってる。あ、ちょっと切れてる。ばんそうこう、巻いて。
 あ、川端さん、ポーチ変えた。どうせ変えるなら、ぜんぜん違うのにすればいいのに。ほんとに、ポーチひとつにしたって、安定志向なんだよね。だいたい、こんなのだれが見るわけでもないんだから、そんなにしょっちゅう変えなくてもって思うんだけど。
 それにしても、小川さんのって、いくらくらいするんだろう。フランスの本店で買ったのかな。こういうの買えるって、やっぱり開発はお給料いいんだな。いいなあ、開発。のんびりしてるし。
 うちは、新シリーズは三年に一回出すかどうかだし、パンフレット作ったら、あとは展示会して、雑誌にプレゼントだすかどうかとか、そんなことくらいじゃないのかな。
 あ、そうだ。来週石川の発表会のお花、ことしも小川さんに頼んじゃっていいのか、きいてみないと。ああ、忘れてた。検診の予約しなきゃ。だんだん総務気質がふだんにもしみついちゃって、さきざきこまごま段取りしちゃうようになってる。みんなのことばっかりで、自分が最後になるばっかり。
 お昼どうしよう。総務はみんなお弁当、小川さんと川端さんもそうだし、石川は社長次第だし。いつもお昼に出るの、気がひける。ただでさえ、喫煙組は肩身がせまいのに。
 みんな毎日おんなじようなお弁当食べて、飽きないなんて、すごい。山田はいいなあ。外まわりのついでにお昼いけるし、取引先でついでにランチ誘われたりもあるみたいだし。
 今夜はスペイン料理だから、あんまりがっつり食べちゃだめだ。カフェでサンドイッチさくっと食べて、屋上で一服して、それでいいや。
 ああ、禁煙も、入院した一週間だけだったなあ。さて。そうだ、帰りがけ四人にちいさい御歳暮をこっそり渡すタイミングをはずさないこと。深酒はだめ。

 午後三時十五分。
 社長、よろこんでくださって、よかった。
 大好きないちご大福、限定二十個のさいごのふたつです。そういったら、それはついてるなあって、午前中の会議での不機嫌も、忘れてしまったみたいだった。
 あとのひとつは、総務の畠山さんにあげますねっていったら、ぼくもそういおうと思ってたって。やっぱり、よく見ていらっしゃるなって思った。畠山ちゃんの机に置いてきたけど、すごい書類の山になってて、あの子、ちゃんと気がつくかしら。
 忘年会の社長賞の商品券の準備もできているし、社長に来週のスケジュールをお渡しする。
 来週は、合羽橋の問屋さんに、ごあいさつまわりの同行がある。
 ことし七十五歳の社長が、これだけは欠かさずまわられる。行かれた問屋さんも恐縮されているけど、よその社長さんもなさっているのかしら。なかなかできることじゃないと思う。社長、喜寿で引退って、本気かしら。うちのジュニア、ああいうちいさい気配り、いちご大福特別賞みたいなこと、できるかしら。
 洗面所の水しぶきを拭かないのは、畠山ちゃん。あの子、仕事はきっちりしてるのに、こういうところ、ぱぱっとしちゃうのよね。でも総務には、ああいう明るい子がいてくれたほうがいいのよね。
 ことしは、健康診断でひっかかって、入院、手術。ほんとに大厄年になって、たいへんだったんだもの。小川さんと川端さんは、病院のこととか力になっていたけど、社長からのお見舞いとどけるくらいしかしなくて、唯一の女子同期なのに、復帰してからもたいしたフォローもしないままになってて。来週、クリスマスプレゼントでも、あげようかな。あ、ポーチいいかも。厄年もあと一週間なんだし、あの豹柄の、気に入ってるんだろうけど、ずいぶんくたびれてるし。
 明日から三日間は、リハーサルざんまいだから、お教室の帰りに買っておこう。やっぱり動物柄がいいのかな。
 そうだ、フラのひとたちが、年明けのセールに来たいっていってたんだ。畠山ちゃん戻ってきてるかな。招待はがきもらいに行こう。さて。社長に、お茶のおかわり。

 午後五時五十五分。
 早くいかないと。もうみんな、移動しそうな感じだった。
 あっ、かわいい石鹸がおいてある。ブルーのハイビスカス、きれい。石川さんだ。みんなが忙しいときに、ちょっとなごむことをしてくれる。さすが、秘書さん。
 机のうえの年賀状とセールはがきは、持ち帰りにして。小川さんからきてたメール、花束のことは現地でいいし。それで結婚の報告も、全員のひとこと挨拶のタイミングでよしと。
 みんなびっくりするだろうなあ。よりによって、忘年会が彼の店になるなんて。幹事は畠山さんだった。きっと、きょうはあのときのお礼もあって、お店を予約してくれたんだと思う。畠山さん、さばけてるけど、気配りはんぱじゃないから。
 ちょっとへこんでいると、かならず晩ごはん誘ってくれる。畠山さんは、総務の仕切り番長って感じ。でも、ことしは大変そうだった。
 バル・ドバシには、夏休みまえ、毎年女性社員五人で食事をするときに集まる。ことしは、畠山さんが五月に病気になって、退院祝いでもいった。小川さんが名医と同級生で、さらにその病院が、川端さんのマンションから近くで。石川さんは総務も手伝って、すごい連携プレーだった。そして、退院祝いをしたつぎの週に、営業まわりのとちゅうにランチでいって、ちょうど映画のチケットあるからって誘われて、そこからだった。交際六カ月って、スピード結婚になるのかな。
 畠山さんは、土橋さんのファンだから、なんていうかな。色白細身好きっていってたじゃないって、ぜったい責められるなあ。たしかに、あんな熊みたいなひとと結婚するなんて、思ってもみなかった。
 土橋さん、いまごろはりきってる。きょうは特大パエリア作るっていってたから。小川さんに、縁結びのお礼と年女のフィナーレに、おいしいお料理たくさん作るっていってた。そういえば、小川さん、あのパンツ、はいてくれてるかな。小川さんだったら似あうよねって、石川さんと選んだんだけど。なんかあのとき、ふたりで照れちゃった。
 しまった、精算まだ出してない。明日で許してもらおう。
 川端さん、もう保育園いっちゃってたなあ。くるみちゃん、おっきくなっただろうな。川端さん、いいお母さんだし、あんなふうにしっかり働いている先輩がいると、みんなしぜんに協力してくれる。会社全体が、ぴしっとしまる。
 なんのかんのいっても、ことしもあと一週間。
 営業の目標達成、5キロのダイエット達成、そして婚約達成のトリプルスリー達成。
 自分史上最上出来の一年だった。
 さて。お化粧なおして。あ、川端さんの新しい。
 いつも、いつつならんでいる。
 だれがだれのか、きかなくてもわかる。
 こういうのって、かなり心強い。

                   (完)

 

 

 

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