世の中ラボ

【第73回】北朝鮮拉致問題を硬直化させた人々

ただいま話題のあのニュースや流行の出来事を、毎月3冊の関連本を選んで論じます。書評として読んでもよし、時評として読んでもよし。「本を読まないと分からないことがある」ことがよく分かる、目から鱗がはらはら落ちます。PR誌「ちくま」4月号より転載

 拉致問題なんて、もう古い話だしなあ、とか思ってません? 白状すれば、私もそう思ってました。
 小泉純一郎首相が電撃的に北朝鮮を訪問し、金正日国防委員会委員長との日朝首脳会談に臨んだのが二〇〇二年九月一七日。両者は「日朝平壌宣言」に署名し、国交正常化交渉を再開することで合意。
 その日から日本は上を下への大騒ぎとなった。
 〇二年一〇月一五日には、地村保志さん・地村(浜本)富貴恵さん夫妻、蓮池薫さん・蓮池(奥土)祐木子さん夫妻、曽我ひとみさんの五人が帰国。〇四年五月二二日の二度目の小泉訪朝後、地村家の三人の子どもと蓮池家の二人の子どもが帰国した。曽我さんがジャカルタで夫のジェンキンスさんと二人の子どもに再会、家族ともども日本に戻ったのは〇七年七月一八日である。
 こうした動きがあった一方、北朝鮮は第一回小泉訪朝の時点で、横田めぐみさん、田口八重子さん、市川修一さん、増元るみ子さんら八人の死亡を発表しており、〇七年の曽我さん一家の一件以来、事態は膠着したまま何も進展していない。
 とはいえ、〇二年からの数年間は、拉致問題についての報道も議論もそれなりに活発だったのである。それがいつからか「あの件にはふれたくない」という雰囲気が醸成され、気がつけば「もう古い話」と化していた。安倍首相はときどき思い出したように「解決にあらゆる手段を尽くす」と表明するが、本気にしている人はほとんどいないだろう。ご多分に漏れず、私もほぼ関心を失っていた。
 ところが、ある本を読んでちょっと気分が変わったのだった。

家族会をのっとった救う会

拉致被害者たちを見殺しにした安倍晋三と冷血な面々』。蓮池薫氏の兄であり、かつて「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会(家族会)」の事務局長を務めていた蓮池透の著書である。身も蓋もない糾弾調のタイトル。あまり期待せずに読みはじめたのだが、非常におもしろい。私はかつて「蓮池兄」が大嫌いだったが、その理由もよーくわかった。それは蓮池透のキャラクターというより、蓮池透の利用のされ方によるものだったのだ。
 本書の立ち位置は冒頭近くで示されている。
〈いままで拉致問題は、これでもかというほど政治的に利用されてきた。その典型例は、実は安倍首相によるものなのである。/まず、北朝鮮を悪として偏狭なナショナリズムを盛り上げた。そして右翼的な思考を持つ人々から支持を得てきた。/アジアの「加害国」であり続けた日本の歴史のなかで、唯一「被害国」と主張できるのが拉致問題。ほかの多くの政治家たちも、その立場を利用してきた。しかし、そうした「愛国者」は、果たして本当に拉致問題が解決したほうがいいと考えているのだろうか?〉
 なんだ、蓮池兄、わかってんじゃないの!
 路線の違いから、彼は二〇一〇年に「家族会」を事実上の除名になった。渦中にいた人の著書だけに、その批判は多方面に及ぶ。
 まず政治家である。〇二年一〇月、五人の拉致被害者が「一時帰国」した際、名を上げたのは当時の官房副長官だった安倍現首相と内閣官房参与だった中山恭子参議院議員だった。しかし、安倍も中山も北朝鮮側が提示した「一時帰国」の条件を丸みにして、決められた日程をこなすだけ。五人を奪取する気など彼らにはなかった。自民党以外の外交ルートを排除し、主導権にこだわって、事態を悪化させた外務省の責任も大きいと彼はいう。
だが、拉致問題を膠着させた原因として重要なのは「家族会」と、そのサポート役だった「北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会(救う会)」だろう。
家族会が発足したのは一九九七年。署名活動、省庁への陳情、集会などを通じて世論を喚起し、政府を動かすのが目的だった。が、メンバーは高齢者が中心で、こうした活動にも慣れていない。
 ここに現れたのが「救う会」だった。佐藤勝巳を中心とした支援組織で、煩雑な事務作業を無償サポートするという。活動は全国に広がり、署名が集まり、大規模な集会が開かれ、自民党本部への陳情や外務大臣との面会も実現したが、どうもおかしい。
 支援組織のはずなのに、面会では家族会と対等な扱い。加えて幹部は右翼的な思想の持ち主ばかり。〈「家族会」と「救う会」は、代表の横田滋氏と会長の佐藤勝巳氏の連名で声明文を公表していたが、その内容は、どこかの圧力団体のファナティックなアジテーションと変わりなかった。とにかく強烈に北朝鮮を批判し、政府に強硬な態度で臨むよう要求することで一貫していた〉。被害者の救出は〈自衛隊の派遣により達成されるとし、そのためには憲法九条の改正が必要とした。時には、北の脅威に対抗するため、核武装が必要であると力説する〉というのだから尋常ではない。
「家族会」と「救う会」については、青木理『ルポ 拉致と人々』に詳しい。「救う会」の佐藤勝巳は、もともとは西岡力らとともに「現代コリア研究所」という民間団体を主宰していた人物である。青木が〈反金正日政権のイデオローグ〉と呼ぶように、主張の内容はトンデモ右翼の妄想に近いものだが、「家族会」は佐藤らに急激に感化され、連盟のアピールも「右ブレ」していく。
 青木の質問に答えて、「救う会」の発足にかかわった人物は〈はっきり言って、後悔しています。佐藤氏を『救う会』トップにしたのは間違いだった。あの連中は、拉致問題や『家族会』を食い物にしたんです〉と語り、別の幹部は〈要するに佐藤氏と西岡氏は『拉致イベント屋』なんです〉と批判する。
 そして、内紛などで「救う会」の会長を退いた佐藤は〈拉致問題や「家族会」を「金正日政権打倒」という自らの政治運動に利用しているのではないか〉という質問に〈最終的にはそれしかないと思います〉と答える。〈「家族会」なんていうのは、あれはもう烏合の衆ですからね。みんな勝手なことを言っているわけですから。(略)戦略戦術を立てて情勢分析をし、いまこれが重要だということを考える人は誰もいないわけでしょ。(略)表向きは「家族会」を立てて、(政府などに)要請をして動かしていく、それしかないわけです〉。

マスメディアの責任

 あの当時、拉致問題には心を痛めながらも、「家族会」や「救う会」の論調に違和感を持った人も多いのではないだろうか。その嫌な印象はまちがっていなかったのである。
問題はしかし、以上のような「救う会」と「家族会」の実態が当時まったく報道されず、メディアもまた「救う会」の思惑通りに動かされてしまったことだろう。「救う会」は独自の取材を行ったテレビや雑誌などにも激しく抗議し、拉致問題をアンタッチャブルな領域と化した。かわりにメディアはステレオタイプな北朝鮮批判報道を垂れ流し続け、ひいては排外的なナショナリズムの高揚に手を貸した(その傾向は現在まで続いている)。
 いっぽう、政府も「救う会」の術中にはまり、独自の外交ルートを探るかわりに、「経済制裁」という強攻策が拉致問題の唯一の解決策であるかのように喧伝したのだった。
 蓮池透は自身が国会議員に利用された例をあげている。講演会に議員が来てツーショット写真を撮られ「私は拉致問題に取り組んでいます」という宣伝に使われる。呼んでもいない議員が勝手に顔をだし、挨拶をさせろという。〈二〇〇三年の憲法記念日に改憲派議員の集会に呼ばれ、困惑したこともある。「何を話すのか」と聞くと、「九条を変えろ」とでもいっておけとのこと……馬鹿だった私はそれを真に受け、「憲法九条が拉致問題の解決を遅らせている」と発言し、その場では称賛された覚えがある。/なんて浅はかな発言だったのだろうと、いま思い出すだけでも冷や汗が出る〉。
 ちなみにこの議員とは、安倍首相の盟友だった故・中川昭一議員である。そして蓮池は書くのだ。〈しかし、拉致問題を最も巧みに利用した国会議員は、やはり安倍晋三氏だと思っている。拉致問題を梃にして総理大臣にまで上り詰めたのだ〉。
 青木はこの点を次のようにまとめる。佐藤ら反北朝鮮のイデオローグ率いる「救う会」と「家族会」が反北朝鮮ムードを先導し、彼らが熱烈に支持した安倍の人気が高まり、〈冷静で合理的な視座をなぎ倒したナショナリズムと評すべき感情が拡散し、それが安倍という若き政治家を宰相の座にまで押し上げた〉と。
 さて、最初の小泉訪朝から一四年。拉致問題に解決への道はあるのだろうか。二〇一四年に出版されたブックレット韓国・北朝鮮とどう向き合うかで、コリア・レポート編集長の辺真一は〈三度目の調査は最後通牒に等しい。まして金正恩政権下の最初の調査結果ですから、これがすべてなんです〉と述べている。三度目の調査(報道では「再調査」)とは、一四年五月の日朝会談における「ストックホルム合意」(経済制裁の一部緩和と引き替えに北朝鮮が残る拉致被害者の再調査をする)を指す。〈もう小泉の二度目の訪朝から一〇年ですから、ある意味では白黒つけなければいけない〉。
 だが、この後も事態は進まず、二度目の最後通牒(?)が突きつけられたのはつい最近だった。二〇一六年二月七日、北朝鮮が「事実上の長距離弾道ミサイル」を発射したことを理由に、日本政府はストックホルム合意で一部緩和した制裁を復活させると決定(一〇日)、これを受けた形で北朝鮮は行方不明者の再調査の全面中止と「特別調査委員会」の解体を発表したのだ(一二日)。ストックホルム合意の破棄? だったら大変な事態である。しかし、メディアはたいして騒がず、安倍首相の失態を糾弾もせず、「事実上のミサイル」の脅威を煽る報道に終始する。拉致問題に関する自由な報道からメディアが手を引いて十数年。その状況は今日も続いているのである。


【この記事で紹介された本】

拉致被害者たちを見殺しにした安倍晋三と冷血な面々
蓮池透、講談社、2015年、1600円+税

 


拉致問題を当事者として体験した「家族会」元事務局長(2010年に退会)によるレポート。小泉訪朝後、5人の拉致被害者の一時帰国が「帰国」になるまでの舞台裏、政治家の動き、外務省とマスメディアの罪、「家族会」や「救う会」の内実などを赤裸々に暴露する。タイトルはどぎついが、真摯な提言の書でもあり、経済制裁一辺倒の強攻策を脱し、日朝の歴史検証も含めた具体的な解決策を示している点も好感度大。


ルポ 拉致と人々――救う会・公安警察・朝鮮総聯
青木理、岩波書店、2011年、1600円+税

2002年当時、通信社のソウル特派員として小泉訪朝を取材したジャーナリストによるルポルタージュ。元「家族会」の蓮池透、「救う会」の佐藤勝巳(2013年に死去)、小泉訪朝と日朝平壌宣言をアレンジした外務官僚・田中均ほか、多数の関係者へのインタビューを通して、なぜ拉致問題が膠着状態に陥ったかを多角的に検証する。拉致問題をめぐるメディアへのバッシングが記者を萎縮させた過程などにもふれて興味深い。


韓国・北朝鮮とどう向き合うか
東アジア共同体研究所編、鳩山友紀夫+辺真一+高野孟+朴斗鎮著、花伝社、2014年、1000円+税

鳩山友紀夫(2013年に改名)が理事長を務める「東アジア共同体研究所」によるブックレット。金正恩体制と日朝交渉について(鳩山+朴斗鎮)、安倍「拉致外交」について(鳩山+高野孟+朴)など、ネットで配信された計3本の対談と鼎談を収める。ストックホルム合意後のタイミングだったため、拉致問題が進展する可能性と限界についても言及されているが、実際は……。

関連書籍

こちらあみ子

斎藤 美奈子

ニッポン沈没 (単行本)

筑摩書房

¥ 1,728

  • amazonで購入
  • hontoで購入
  • 楽天ブックスで購入
  • 紀伊国屋書店で購入
  • セブンネットショッピングで購入
こちらあみ子

斎藤 美奈子

本の本 (ちくま文庫)

筑摩書房

¥ 1,620

  • amazonで購入
  • hontoで購入
  • 楽天ブックスで購入
  • 紀伊国屋書店で購入
  • セブンネットショッピングで購入
こちらあみ子

斎藤 美奈子

月夜にランタン

筑摩書房

¥ 1,728

  • amazonで購入
  • hontoで購入
  • 楽天ブックスで購入
  • 紀伊国屋書店で購入
  • セブンネットショッピングで購入