ちくま文庫

ロマンティックで楽しい作品がようやく復刻
獅子文六『青春怪談』解説

1月刊行のちくま文庫、7冊目の獅子文六作品『青春怪談』より、山崎まどかさんの解説を公開いたします。発売5日で重版が決まった獅子文六のロマンティック・コメディは今、読むからこそ面白い! 山崎さんの獅子文六作品への愛情に溢れた素敵な解説文になっています。


 雑誌の記事でも、自分の本でも、とにかく機会さえあれば、自分がどんなに獅子文六の小説が好きかを、これでもかとアピールしているのに、一向にちくま文庫から解説の依頼が来ない。でも来るなら、『青春怪談』が来い! と世田谷から送っていたテレパシーがやっと蔵前に届いたようです。ロマンティック・コメディの達人、獅子文六の小説の中でも、極めつけにロマンティックで楽しい作品がようやく復刻し、かつ自分が解説を書けることが嬉しくて、はたから見ると気持ち悪いくらいニマニマしながら私は現在、この文章を書いています。
 
『青春怪談』は獅子文六が戦後、四番目に書いた新聞小説になります。読売新聞の朝刊において昭和二十九年、つまり一九五四年の四月二十七日に始まり、同年の十一月十二日まで半年以上にわたって連載されています。自衛隊の発足、ボーイング707型機の初飛行、ヴェネチア国際映画祭で黒澤明の『七人の侍』と溝口健二の『山椒大夫』が銀獅子賞を受賞して日本映画の復興を世界に知らしめ、アメリカのワールド・シリーズではニューヨーク・ジャイアンツのウィリー・メイズが相手の決定打となりそうなビク・ワーツのすごい打球を捕って、スポーツ界の伝説に。『青春怪談』が掲載されていた頃に新聞を賑わしたニュースというと、そんな感じでしょうか。
『青春怪談』はそれまでの彼の戦後の新聞小説『てんやわんや』『自由学校』『やっさもっさ』と比べても、一際お洒落で洗練されています。コンクリートの文化住宅に、日比谷公会堂のバレエ公演、新橋や銀座のカフェやレストランの様子なども非常にモダン。モダンな時代にはドライな若者がマッチします。主人公の一人、戦後育ちの宇都宮慎一は大変な合理主義者。興味といえばお金儲けだけで、それもがめついというよりも、無駄を省き利益をあげるというクールなゲームに興じているかのようです。しかし、周囲の女性たちは彼の美男子ぶりにメロメロで、それが原因で色んなトラブルが起きているのに、まったく気がつかないという鈍感さも持ち合わせています。クールな男子にはドライな女子がお似合い。彼のお相手となるのは、疎開時代の幼馴染でバレエ・ダンサーの奥村千春嬢。マニッシュで冷静、ルックスの描写を読んでも美女というよりハンサムと言った方がぴったりのサバサバした女子です。クールでドライな二人は低温なおつきあいで、一向に恋の火が燃え上がりそうにありません。ロマンティックなことなど無駄と決めつけている草食系男子と、自分の興味に心奪われていて、恋愛の暇などない独身女性。まるで、ロマンス不足が少子化に拍車をかける現代の日本の若者たちの原型のようではないですか。

 一方、この二人の親は戦前派で、これまた恋愛とは縁がないまま中年になってしまった世代。慎一の母の蝶子はいまだに乙女のように恋愛を美化し、夢見ています。一方、千春の父の鉄也は明治生まれの頑固一徹さとシャイな性格で、恋愛など寄せ付けないという風情。未亡人と男やもめの二人をくっつけて介護問題から逃れようと、もとい、自分たちの独立後に味わう寂しさから彼らを救おうと若い二人が案じたことから、『青春怪談』の物語はあれよあれよとおかしな方に転がっていきます。
 戦前世代と戦後の若者、二組の恋模様が絡む様はそれだけでも読んでいて楽しいのですが、この小説の白眉は、スキャンダルと怪文書によって、千春の性の問題に踏み込んでいく後半にあるといえます。まるで恋人のようにバレエ団の妹分であるシンデ(新子)を可愛がり、ロマンスや女らしいこと全般に一切興味のない彼女は本当に「女性」なのか。アイデンティティ・クライシスに陥った彼女に代わって、プラグマティックな慎一は色々と調べてまわるのですが、その結果、性というものが非常に曖昧であることを知るのです。異性と同じように同性に惹かれたり、魂と身体の性が一致しなかったりするだけではなく、男性の中に女性性があり、女性の中にも男性性がある。そんな獅子文六のジェンダー論が展開されるこの小説の新しさときたら! 「(女性というものは)十二章や十五章で書ききれるものではない」と連載当時ベストセラーだった伊藤整の『女性に関する十二章』をチクリと批判しているのも見事。男はこうだとか、女はこうあるべきだという思い込みなど捨てて、老いも若きも自由に生きるといいのだ。そんな獅子文六のメッセージにハートを直接叩かれたかのように、私の胸はときめきで高鳴り、解放感でいっぱいになったのです。
 
 さて、獅子文六の小説の当時の人気ぶりはその映画化作品の多さが物語っていますが、
『青春怪談』も三回、映像化されています。連載完結の翌年となる一九五五年には新東宝が阿部豊監督で、日活が市川崑で映画化。競作となりました。私は双方見ていますが、阿部豊版は、くりっとした瞳で普段はキュートな役をやることが多い安西郷子がショートカットにスラックス姿で千春を演じているのが印象的です。慎一は美男子というよりも育ちが良くて朴訥な感じのする宇津井健。船越トミ子を粋な越路吹雪が演じているのも嬉しいし、軽やかで楽しい仕上がりですが、鉄也役の上原謙はまだしも、高峰三枝子は蝶子さんにはちょっと美形過ぎるような気がしました。
 一方、市川崑版の轟夕起子は無意識過剰な蝶子さんにぴったりのふくよかさ。鉄也役の山村聡と千春役の北原三枝は百点満点のはまり役です。特に北原三枝のハンサムぶりは素晴らしい。スラックスを穿かなくても、ぴったりとしたトップスとサーキュラースカート、ペンシルスカートのツーピースといったファッションで十分にマニッシュに見える鋭利なシルエットのスタイル。シンデ役の芦川いづみとのコンビネーションは、そのまま日本版『キャロル』のようなレズビアン・ロマンスをやらせてもはまりそうなムードでした。慎一役の三橋達也が、新東宝版の千春の安西郷子と実生活では夫婦というのも、不思議な縁です。
 一九六六年には、TBSでドラマ化。こちらは旧世代のカップルが三木のり平と森光子、新世代が北大路欣也と吉村実子で、コメディ色が強い作りなのでしょうか。森光子は『コーヒーと恋愛』の映画化作『「可否道より」なんじゃもんじゃ』(一九六三)で既に獅子文六のヒロインを務めているので、このドラマの出来も気になります。
 映画版はどちらもクライマックスとなる萩のトンネルのシーンをちゃんと向島百花園でロケしていて、それぞれ素敵でした。都内の植物公園でも日本的な草花を集めた向島百花園ほど可憐なところはありません。胸がキュンとなるようなロケーションを心得ていて、さすが獅子文六、ロマンティック・コメディの達人だなと思うのです。

連続ドラマ化決定! 忘れられた昭和の人気作家・獅子文六の時代がやってきた!

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