妄想古典教室

第四回 男同士の恋愛ファンタジー

オチは観音のご利益

 話はここで終わらない。そもそも桂海と梅若君との出逢いは、石山寺での夢告によるものであった。最後は石山寺の観音の利生でしめくくられる。三井寺の衆徒は住まう寺もなく離散していたが、三十余人が焼け跡を訪ね、新羅大明神の前で一夜を過ごした。その夜の夢かうつつにか、比叡山の守護神である日吉山王(ひえさんのう)と新羅大明神が語らっている。衆徒の一人が、なぜ敵対する日吉山王と楽しそうに笑い合っているのかと聞くと、これは桂海が発心するための神明仏陀の利生方便であったのだという。そのために石山寺の観音が童男へと変化したのだ。つまり、この合戦焼き討ちのすべては、桂海が心の底から発心して三井寺を再興するためにあったのだというのである。梅若君は石山寺の観音の化身だったのである。かくいうわけで、桂海は瞻西上人と名をかえて三井寺に住むことになった。

 最後に、瞻西上人の詠んだ歌が載る。

 

  昔見し月のひかりをしるべにてこよひや君が西にゆくらむ

と書院の壁に書きつけにけるを、御門限りなく叡感ありて、新古今の釈教の部にぞ入れさせ給ひける。

 

 瞻西上人が書院の壁に書きつけた歌を見つけて、『新古今和歌集』の釈教歌の部に入れたのだという。物語のなかでは、梅若君が遺した歌「我が身さて沈み果てなば深き瀬の底まで照らせ山の端の月」に呼応するかのように見えるが、『新古今和歌集』では「人の身まかりけるのち、結縁経供養しけるに、即往安楽世界の心をよめる」と詞書がついていて、亡くなった誰かのために人々が集まって供養したときに詠まれた歌である。『新古今和歌集』にも載るほどのあの瞻西上人の物語として、天狗や龍王の出てくるお話に真実味を持たせようとしたのであろう。

「秋の夜の長物語」は、絵巻のかたちで伝わっている。金有珍「「秋夜長物語」の絵巻と奈良絵本について」(『第38回 国際日本文学研究集会会議録』2015年)によると、最も古い室町中期の作品を持っているのがメトロポリタン美術館で、それに次ぐ室町末期の作品を細川家永青文庫が所蔵している。いずれも出版物のかたちで全体を見ることはできないので、金有珍の論文の図に依るしかないのだが、桂海と梅若君との出逢いの場面は「あしびき」の絵巻とよく似ていることがわかる[fig.1]。「あしびき」の絵巻は逸翁美術館の所蔵で、続日本の絵巻25巻に「芦引絵」として刊行されているので誰でも見ることができる。この逸翁美術館蔵本の「芦引絵」の成立は不詳ながら室町末、十五世紀半ばすぎと推定されているので、だいたい「秋の夜の長物語」と同じ頃のものとみてよい。参考として恋する僧侶と稚児の仲睦まじい姿を「芦引絵」からみておこう[fig.2][fig.3]

[fig.1]「芦引絵」
小松茂美編『続日本の絵巻25 芦引絵』中央公論社 1993年
([fig.2][fig.3]も同)

 

[fig.2]

 

[fig.3]