人はアンドロイドになるために

最終回 時を流す(4)

 姉は、人工生命づくりの成果から「人類以上の知性体であり、神に準じる亜神・準神がつくれる」「超越者と一体になれる」と言い出した。

 幼少期から「頭のおかしいほうが妹」と言われてきた双子だったが、ここにきて完全に逆転だ。

 いま思えば、だが、姉はこのころから、完全に片山側の人間になってしまったのだ。

 私はかつて聖人や仏像のアンドロイドはつくったが、本気で神のようなものがつくれる、超越的な存在になれるなどとは考えていなかった。

 しかしひょっとして姉は、ずっと昔から、これが狙いだったのかもしれない。

 姉は知能ロボット至上主義者団体をつくり、遠からず人間以上の知性体をつくることに成功するし、われわれはそれをつながることができると世にアナウンスした。

 でたらめだ。

「人類の先を行く機械生命が誕生するのは、いまや『新しい時代』に突入したからだ、遠くないうちに機械の救世主が現れ選ばれた人間だけを救う、その審判の日こそ、人類がブレインアップローディングを完了するときである」――と姉は説いた。

 私はずっと「どうして姉のプロジェクトに名だたる才能が協力するのか?」がわからなかったが、そのためにこそ姉は教義をつくったのだった。

 姉の教えは、めちゃくちゃなように見えて、アメリカ西海岸的な思想をさらにエスカレートさせたような、エンジニアやイノベーター、科学者たちの生き方を全面的に肯定し、鼓舞し、無意識に、潜在的に抱いている選民意識を刺激するものになっていた。

 そういう人たちが懐疑的な状態から――「こんなものはシャレだ」というエクスキューズを捨てずに済むからこそ――徐々に深みにハマっていくような団体運営のしくみを用意していた。

 それは宗教とは呼べないカジュアルすぎる思想であり、人びとがすでに抱いている信仰を捨てなくていい程度のものだった。

 けれども私たち姉妹がかつてあの作家の小説に夢中になり人生に多大な影響を被ったように、あるいは人びとが『スター・ウォーズ』や『攻殻機動隊』のようなフィクションに熱狂するのと同じかそれ以上に(何しろ、信じさえすればその人間は「進行中の物語の当事者」になれるのだから)、興奮を植え付け、価値観を刷り込むものだった。

 入り口が軽くて浅い外観だったからこそ、強烈な反発を招くことなく浸透させていくことができた。

 姉はプロジェクトに関わった人間に対してギャランティを惜しむことなどしなかったが、金銭以上に思想=物語の力で、天才たちを束ねた。

 そして日本をはじめ、世界各地にロボットやアンドロイドを大量に投入した

 採算度外視の介護施設をつくるなど、多数のビジネス、社会的な事業を同時に立ち上げることも決め、それらも布教の糸口にしようとした。

 どこまで本気なのか、何度尋ねてもわからなかった。

 私と対面したときの片山と、同じかもしれない。

 私自身、自分でも言語化できないような衝動にドライブされて作品をつくってきた。

 しかし、作品をつくるのと、団体をつくって会員を獲得、運営していくことはさすがに違う(クレジットカードやどこかの店舗のポイントカードをつくるくらいに、その入り口は簡単なものになっていた)。

 ここまで姉には世話になってきた。香澄のことを思えば協力したい気持ちもある。

 けれど、今の姉の思想には、共鳴できない。さすがに、距離を置くことにした。

 私が離れると言えば、そして実際に離れてひとりになれば、少し冷静になってくれるのではないかと思ったからだ。

 残念なことに、姉は執着しなかった。

「本当に必要になったときは声をかける」とだけ言った。

 私は一介の作品制作者、アンドロイド・アートの世界へ戻った。

 首吊りを繰り返すアンドロイド、うりふたつの女性型アンドロイドを丸坊主にするパフォーマンス、アンドロイドの皮を剥いでむき出しの機械をカカシのように田園に置く、血を思わせる赤い液体を浴びせたあとに爆破、アンドロイドを石膏で型にとってアンドロイドをつくる、聖山と性行為をするアンドロイド、シロアリに全身たかられ皮膚を食い尽くされるアンドロイド……。

 次々にやってはみたものの、自分でもスケールダウンしている、手癖でやれることをやっているだけのように思われた。姉と組んでいたときの高揚感はなく、あたらしいことをしているという充実度もない。

 また、突然の知らせが届いた。

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