piece of resistance

11 労働

なんでそんなことにこだわるの? と言われるかも知れないが、人にはさまざま、どうしても譲れないことがあるものだ。奥様とは言わない、本に書き込みはしない、ご飯は最後の一粒まで食べる、日傘は差さない……等々。それは、世間には流されないぞ、というちょっとした抵抗。おおげさ? いやいや、そうとは限りません。嫌なのにはきっとワケがある。日常の小さな抵抗の物語をつづります。

 セックスはしてもキスはさせない売春婦がいるんだと。なんだそりゃ。切り売りか? お金の問題じゃないと言われて、ますますわけがわかんなくなる。わかんないわかんないと騒いでいたあたしに、仲間の一人が教えてくれた。つまりアレじゃん、心の問題ってやつじゃん。体は許しても心は許さないってやつ。え、なにそれ。セックスは体で、キスは体じゃないってこと? 唇は心? っていうか舌の問題? ますます混乱するあたし。もしかしてスピリチュアルな話? ああ、もう、うるさいな。だからさ、ぜんぶは売り渡さないってことだよ。売るのはセックスだけ。

 わかったようなわかんないような頭のまんま、あたしはぜんぶ売らない売春婦のことを考える。どうやら、パート別に守りたいものがあるってことみたい。それが唇で、それが心? つまり、そういう子たちは心を持ったまま仕事をしているんだろうな。そう、心があるから守りたいんだ。

 あたしは仕事中に心を持たない。商売道具の体はどこまでも体だ。唇はただの唇で、舌はただの舌。そこに意味をつけちゃったら、その意味に縛られる。それってしんどくない? だからきっと、セックスはしてもキスはさせない売春婦は、そんなに長くはこの仕事を続けられないんだろう。

 あんたみたいなのはラクだねと、そんなに長くこの仕事を続けられなかった仲間の一人に言われたことがある。あんたみたいな、脳味噌の芯までただの体みたいな子は、きっと死ぬまでこの仕事を続けられるよ。需要があればの話だけどさ。でもね、きっといつかはしっぺ返しを食らう。あたしがこの仕事をやめたのは、それが怖くなったせいでもあるんだよ。しっぺ返し? あたしの人生になかったボキャブラリーだ。なんか新鮮。どんなしっぺ返し? いやいやあんたね、ここで考えるべきなのは「どんな」じゃなくて「なんで」だよ。なんでしっぺ返しを食らうと思う? えっ、なんで? そんなら教えてあげるけど、あんたがしてるのはまっとうな仕事じゃないからだよ。あまりにもまっとうな答えにずっこけた。

 ここで質問。まっとうって、いったい、なんなのさ。あたしの仕事はふつうじゃないかもしんないけどさ、大昔から綿々と受け継がれてきた生業だ。それを求める男たちを神はつくり給い、それを受けてたつ女たちを神はつくり給うた。いや、べつに神のせいにするわけじゃないけどさ、こんだけ長いこと世界中のあちこちで絶対的な需要と供給をキープしてきたんだし、この歴史(と果てなき人類の性欲)に免じて、そろそろ「準まっとう」くらいに昇格させてくれてもいいんじゃないか。

 そりゃあたしだって、親が喜ぶ仕事とは思ってない。けど、一応は汗して働いてるよ。こつこつと。体調悪くても気が重くても顔には出せないのがサービス業の宿命。日々労働。労働。労働。逆に、この全身労働者のあたしが労働を捧げる相手っていうのが、意外と、まっとうな労働をしてなかったりする。金を持ってる男ほど、金儲けはしても労働はしてない。早い話が、カブ。この仕事を始めて、いろんな男を知って、カブのことしか考えてない金持ちの多さに驚いた。

 カブ男たちは汗しない。朝から晩までカブカブカブ。何が上がったの下がったのって血眼で株価を追いかけて、読みが当たれば小指一本で大金をゲット。労働なき巨利。自分はそれに値する頭脳の持ち主だと思ってる。掌の上で世界を転がしてるような顔をしてる。綺麗事を言ってる貧乏人は一生貧乏なままでいろと笑ってる。でも、誓って言うけど、ほんとのところで世界を動かしてるのは、カブじゃなくてあたしら労働者だ。あたしらがまっとうじゃなくてカブ男たちがまっとうだなんて、そんなの神さまだってウケるだろう。

 とはいえ、一応、資本主義の正当なシステムに則った金儲けなわけだし、あたしはプロフェッショナルな労働者として、そんなカブ男たちにも分け隔てなく労働を捧げるし、当然、その報酬ももらう。けど、なんでだろ。そういうカブ男たちがときどき気まぐれでよこす正規料金以外のチップ――その手のやつらに限ってケチだから滅多にくれないし、くれても少額だけど――だけは、なんだか、すんなり受けとれない。社交辞令的にはもらっておくけど、自分のものにしたくない。

 そんな日は、帰り道、家の近所のコンビニでお弁当を買ったあと、ケチなチップをそうっとレジ横の募金箱に入れる。自分の知らないところで介護犬の育成に貢献しているカブ男のことを思うと、少し、胸がすっとする。

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