冷やかな頭と熱した舌

第15回 
人生を変えた一冊

本に〈呼ばれる〉という体験

 当時の内面描写をしながら、通過儀礼のようなものだといまは思う。誰しもとは言わないまでも、きっと多くの人が似たような思いを抱くのだろう。だけど当時は切実な問題だった。

『小さいことにくよくよするな!』リチャード・カールソン サンマーク出版刊

  それまでの読書歴では、その気持ちに対する答えやヒントはなかったように思う。いや、僕が気づかなかっただけなのかも知れない。口当たりの良いなぐさめにもならないような言葉ばかりが目について、それらを疑いこき下ろすことで人格を形成してきたようなところがある。例えば当時のベストセラー『小さいことにくよくよするな!』(リチャード・カールソン サンマーク出版)の題名についている「!」の部分が気に食わない。くよくよしている人間に対して、どうして命令口調で追い打ちをかけているのかと小さなことに憤っていた。きっと僕みたいな人間が読むべき本だったのであろう。とはいえ、小心者の僕は日々の生活を崩すという選択をどうしても取ることができない。自分で死ぬ勇気はなくゆっくりとした自殺を試みるような心持ちで、メシのかわりにタバコばかり吸っていたあの頃。

 ある時、みぞおちのあたりに鈍い痛みが走った。しばらくすれば治るだろうと放っておいたら、痛みはどんどんずんずん増していく。二日経っても痛みがひかず、我慢しきれなくなって近くの内科に行こうと思い至った。痛いのは嫌だ。しかし内科へと向かおうにも、一歩ごとに患部に痛みがひびいて歩くことすらままならない。痛い。いつのまにか(ゆっくりとした)自殺願望はどうでもよくなってしまっていた。だって、痛いのは嫌なのだ。痛いなら死にたくない。脂汗をたらしながら200メートルの道のりを10分ほどの時間をかけてようやくたどり着く。医者はろくに診察もせずに、問診だけで「神経性胃炎だね」と言い放った。そんなわけはない、もっと重大な病気であるから、いまに見ていろと腹の中で毒づいたが、処方された薬を飲むと翌日にはあっさりと治った。
 そんな無益な苦しみも積み重なって体重が15キロほど落ちた時、大学の課題をこなす目的でふらりと入った古本屋で、僕は運命の一冊と出会うことができた。その本は僕を待っていた。強烈な存在感を放つその本に導かれた感覚を、僕はいまもありありと思い出すことができる。後にも先も「本に呼ばれた」体験は、あの時をおいて他にない。

人生を変えた一冊

 その本のタイトルは『狂人日記』(色川武大 現在、講談社文芸文庫)という。

『狂人日記』色川武大 講談社文芸文庫

  タイトルに引き寄せられ、手に取って読み始めた内容はどんなポジティブな言葉よりも肯定してくれるものだった。『狂人日記』とはそのタイトルのとおり、自分を狂人だと認識している主人公が書いた日記文学であり、色川武大その人の経験をもとにしているといわれているが、僕は自分の未来が書いてあると思った。
 本書の中で、主人公は現実と妄想を行き来しながら暮らしている。物語も終盤にさしかかって、病気を承知しながら同棲することを提案してくれた女性に去られ、主人公は妄想のなかで弟にこう語るのだ。

「人間という奴は、とことん、わかりあえないと思っちゃったよ。服装や言葉や生活様式や顔つきまで似てくれば似るほどに、似ても似つかない小さな部分が目立ってきて、まずいことに、皆、その部分を主張して生きざるを得ないものだから、お互いに不通になっちゃう」
(『狂人日記』講談社文芸文庫 272ページ)

 この文章に出くわして、抱いてきた感情が、生きるうえで切り離せない哀しみであることを知った。生まれ落ちて、自分の身体と精神で生きてきた、生きてこなければならなかった哀しさ。どうして「自分」でなければならなかったのか。できれば自分ではない他人になりたい、それが無理であるならせめてなりたい他人と深く交わりたいと思うのだけれど、同時に恐れから他人を遠ざけてしまう。その感情は僕だけのものではなかったのだと教えてくれた。この弟とのやり取りは次の一文で結ばれる。

「俺も誰かの役に立ちたかったな。せっかく生まれてきたんだから」

 平易な言葉で綴られた、人生の悲哀を凝縮したようなどこまでも優しい一文。人に対しての優しさは、ときに自分に対する刃になる。他人を守るためにとった行動が、自分を傷つけ少しずつ積み重なることで壊れてゆく。優しさを分け与えているのに、こんな矮小(わいしょう)な自分が他人を救えるとは思っていないから、誰かの癒しになっているなんて思わない。どこまでもすれ違うのが人生である。それは本質として、いまも僕のなかにある。

 当時を思い返しながら考える。5歳のあの日、うんち石との別れ、その後のすれ違いは必然だった。そもそも「うんち石」に対して、本物のうんちが姿を変えたものだという誤解をしていたのだから。だけど幼少期の僕はきっと、母が白い粉をかけたことによって姿を変えることになってしまった「うんち石」の魔法を解いてあげたいと考えていたはずだ。僕が色川武大の優しさに触れて自己を取り戻したように、僕も僕の優しさで「うんち石」を本物のうんちに戻してあげたかった。決して触れはしないが。

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