荒内佑

第5回
ユーウツ音楽講座

今、注目のバンドceroのメンバーとして多くの楽曲で作曲、作詞を手がける荒内佑が、<日常>とそこに流れる音楽の話を綴る初めての連載が「webちくま」にて大好評、公開中です。毎月1回、第4水曜日の更新です。

 

 <もしかして「うつ」を漢字で書けるんじゃないか 彼は>
 これはランタンパレードの名曲「囁き 吐息」のパンチラインだ。おそらく日本人がPCとスマホを手に入れても未だ「読めるが書けない漢字」の第一候補「うつ」。あなたはどうだろう? 「うつ」を漢字で書ける? あるいはメールの下書きかなんかで確認したい衝動に駆られるだろうか。だが入力した所でこの漢字は恐ろしく煩雑で、結局漠然とした形に目を細めるだけだ。つまり、まあ、この漢字の成り立ち自体が「うつ的」ではないのか、ということが言いたい。正体が判然としない反面、多くの人が身に覚えがあるものとして。


 冬の夕方、車に乗って長い橋を渡っていると助手席の子が夕空を見て「うわぁ、きれい」と言った。地平線から空に向かってオレンジ、薄紫、水色にグラデーションしている。僕はとにかくこの季節のこの時間帯がユーウツで堪らない(特に地方都市の)。彼女の気分を害さない程度にそのことを告げると「私の同級生にもそういう子いたなあ、あの薄紫色を見ると暗い気持ちになるって文集に書いてた。その文集を見てその子に話しかけたんだよね」という反応。「へぇー読んでみたいな、それ」と、思わず顔も知らぬ同志を見つけた僕は少しの嬉しさと相変わらずの暗い気持ちがマーブルに混じり合って、残念なことにちょうど今の空模様みたいな気分になってしまった。


 <空の上には死があって>
 これは舞台『ファンファーレ』の台詞の一節だったと記憶している(脚本は柴幸男氏)。自分に限らず音楽をやっている者は皆、少なからず驚きを覚えたはずだ。これは音名の話だ。もったいぶらずに「ドレミファソラシド」と書けば「ソラの上にはシ」があることがすぐ分かるだろう。これは僕が勝手に解釈したのではなく、音楽劇だったので前後にこのイタリア語と日本語の同音異義語をリンクさせる台詞があったと思う(しかし文脈は忘れてしまった)。夕空を見て微妙な気持ちの運転手はこの一節を思い出した。まさに憂鬱で美しい、冬の夕空にぴったりの言葉だ。空の上には死があって。


 ギターやポップスのピアノを少しでもかじったことがある人なら、メロディーと歌詞が書かれた譜面の上に並んだ記号を知っているだろう。それを「コード」という。例えば「Dm7」 「F」「G7」とか書かれたそれだ。これらは「Dm7」なら「レファラド」と弾け、「F」は「ファラド」、「G7」は「ソシレファ」というようなことを意味している。ぼくは小学校の時にキーボードの教本を買い、このコードというやつを勉強した。五線譜に置かれた音符とそこに書かれたコードを照らし合わせて、ゆっくりとゆっくりと、鍵盤に指を一つずつ置いて行く。最初は音が3つだけの簡単なもの。この時点ではまだ、地味な、いってみれば学校で聞き飽きた唱歌と同じ世界、といった感じ。
 そして、今でもはっきり覚えているのはその後の事だ。「ドミソシ」と弾いた時。正確に言えば、「ドミソ」と弾いて小指で「シ」の音を足した時。たった一音足しただけで、別世界が一気に立ち上がることに圧倒された。大袈裟には言っていない。11歳の子供にとって、このコードはそれまで知っていた音楽と世界を覆すようなヤッバいもんであった。コードネームは「CM7」シーメジャーセヴンと書かれていた。


 どんな音といったらいいだろう。例えばサティの「ジムノペディ」第1番みたいな響き?(あれはGM7とDM7だが)だが、あたかも珍妙なコードのように書いてしまったが、全く珍しいものではない。ポップスにおいては使われないことの方が稀な、我々が日常的に耳にするものだ。ぼくは、現在に至るまでCM7を1000万回か1億回か分からない程に弾いている。というか、どんなミュージシャンでも平均をとればそんなものだ。「ドミソ」の上に「シ」を足した時の驚きと喜びの新鮮さはとっくに消え失せたものの、この時の経験はずっと続くこだまのように自分の人生を律している気がする。


 いくら音楽を勉強しようとも、どうしてあのコードがヤバく聞こえたかというのは分からない。「メジャーセヴン」をお洒落コードだとか言い出した奴は誰だろう(自分もたまに言うけど)。それを冬の夕空のように「うつ的」といったら怒られるだろうか。誰しも聞いたことがあるが、正体が判然としないものとして。
 音響心理学というものがあるがぼくは興味がないし、子供の時にこのコードに出会った驚きの正体も、あのユーウツさの原因も、「空の上には死が」あるからという説明の方がよっぽど気に入っている。