確認ライダーが行く

第19回 たまごサンドの確認

 「サンドイッチ」は、もともと人の名前だった。
   クイズ番組の解答で知って、へぇ~と思ったのを覚えている。
 『サンドイッチの歴史』という本によると、イギリスのサンドイッチ伯爵(1718~1792)が、ゆっくり食事を取る時間がないときに、パンに牛肉をはさんで持ってこいと命じた。ここから「サンドイッチ」になったらしいという逸話が紹介されていた。一般名称として定着したのは、1760年代から1770年代にかけての間なのだとか。
   そのサンドイッチ。1986年の調査によれば、イギリスでは推定で年間ひとりあたり200個のサンドイッチを食べているらしい。
わたしでいうなら、せいぜい月に一個。食べない月を考慮すれば、年間10個というところか。
  そのうちの何個かは、たまごサンドである。
  たまごサンドイッチは、たまご焼であってほしい、と子供のころから思っている。実家のたまごサンドがそうだったというのもあるし、関西では、喫茶店のたまごサンドがたまご焼なのは、わりとあることだった。
であるからして、上京後、
 「あそこの喫茶店はたまご焼のたまごサンドらしい」
  という情報を入手すると、近くで用事があったときには寄ってみよう! とメモしておく。しかし、結局、全然、近くないときでも遠回りして食べに行ってしまうのだった……。
   有楽町の「はまの屋パーラー」のたまごサンドはたまご焼である。こちらのたまごサンドは、食パンを焼くか焼かないかを選べる。わたしはいつもそのまま。しみじみと味わいたいので、たいていひとりで行って食べる。
 「ああ、懐かしい、やっぱりたまご焼だよね!」
  確認し、ホッとするのだった。
  根津の「カヤバ珈琲」のたまごサンドもまた、たまご焼派。分厚めの食パンはふわふわで、たまご焼もふっくら厚い。からしのピリリが食欲を掻き立てる。
  ピリリといえば、先日、台湾に行くため羽田空港国際線をはじめて利用したのだけれど、出国審査を終え、免税店エリアに入ったところで何か食べようかなぁとカフェをのぞいたら、たまご焼のたまごサンドを発見。いそいそと買い、搭乗ゲート付近のイスに座ってパクリ。こちらも和がらしがピリリときいて、ビールと一緒に食べたい気分だった。

 『和食に恋して』を読んでみれば、日本では肉食禁忌の風習によって卵もなかなか食用にされなかったものの、江戸中期になると庶民も口にするようになってきたと記されていた。ゆで卵の行商もあったとか。
  また、『日本の食文化 その伝承と食の教育』によると、明治時代半ばには、一部の階層間でオムレツ、大正時代初期になると、卵焼き、茶碗蒸し、卵とじなどが日常食になってきたとのこと。その後、たまご焼のたまごサンドイッチが日本に登場するまで、どのくらいの時間を要したかは知らないが、サンドイッチ伯爵をはじめ、尽力してくれた人々に感謝しなければならない気がする。
  人生最後の食事はカレーパンがいい、と言っている人がいた。パンと限定するなら、わたしはフルーツサンドか、たまご焼のたまごサンドだろう。
たまごサンドならば、母親が作るような「ザ・家庭の味」なものであれば、なお、うれしい。
   子供時代、寝起きでぼうっとしているときに出てきた朝食のたまご焼のたまごサンド。サンドイッチのカットは三角ではなく、半分の長方形。食パンにたっぷり塗ったキユーピーマヨネーズは、できたてのたまご焼のおかげでいい感じに温まっていた。
  帰省すると、今でもときどき母親に作ってもらうのだが、案外、大切なのは、皿である。
  やっぱり「山崎春のパンまつり」の皿じゃないと雰囲気でないんだよなぁ。
  そう思いつつ食べているのだった。

 

 

参考資料
『和食に恋して』(鳥居本幸代著・春秋社)
『サンドイッチの歴史』(ビー・ウィルソン著・原書房)
『日本の食文化 その伝承と食の教育』(アイ・ケイ コーポレーション)