ちくま学芸文庫

博識のポリティーク 

ヤン・コット『シェイクスピア・カーニヴァル』

PR誌『ちくま』3月号よりヤン・コット著『シェイクスピア・カーニヴァル』の訳者、学魔・高山宏氏のエッセイを掲載いたします。

 昨二〇一六年は演劇の方では何といっても「世界のニナガワ」の名をほしいままにした国際的演出家、蜷川幸雄氏の他界ということで記憶に残る。デヴィッド・ボウイ六十九歳の死にも、一個人の印象としては匹敵する喪失感。それが五月のことだった。
 映画好きにとって、その喪失感に当るものが十月にやってきた。歴史的映画『灰とダイヤモンド』のポーランド人監督、アンジェイ・ワイダの死。ワイダ追悼のつもりで巨匠の映画を見るうちふた月前のベラ・チャスラフスカ他界のニュースをいやでも思いださざるを得なかった。この前の一九六四年の東京オリンピックから約半世紀、あと三年後に今度こそ立ち直った日本の姿を世界にアピールできるかという割には今回はごたごたしているオリンピック騒ぎだが、いろいろ耳にするたび東京とメキシコ、二大会を通じて一九六〇年代オリンピックの象徴と化した女子体操の名華のいま時のまるで良くできたからくり人形みたいな演戯とは無縁なエレガンスと――そしてスポーツがあの時代に担わざるを得なかった政治性を強烈に思いださないわけにはいかない。「トーキョーの恋人」と綽名されたチャスラフスカは亡くなるまで伝説的なまでの日本びいきだったようだ。
 チャスラフスカはチェコ、ワイダはポーランドと国籍こそ違え、ソ連・ロシアに抑圧されてきた東中欧文化人の典型ということでは区別はない。チャスラフスカといって、ぼくのようなあの一九六八年に大学に入ったいわゆる団塊世代中高年がたちまち思いだすのはまず彼女のソ連人ライヴァル、ラチニナの名であり、ワレサ、そしてドプチェクの名ではないかと思う。最近アラブの春といった言い方に名残りをとどめる「プラハの春」事件の主役たちである。ワレサは労働組合のトップとして、ドプチェクは国家代表の政治家として、東中欧の民主主義化を許さぬと決めたソ連に真っ向うから立ち向った。プラハに突入したソ連軍戦車の前で、砲塔の上でチェコスロバキア国旗を振りながら多くの学生たちが死んでいった。今でも忘れられない鮮烈時局の映像である。
 そういう一九六〇年代、東中欧の政治地図抜きに読めないのがヤン・コットの『シェイクスピアはわれらの同時代人』(白水社)をはじめとする一連の演劇論である。夜明けに何者か(むろん秘密警察)に起きろとドアを叩かれたことのない人間にシェイクスピアがわかるかという強烈な政治的メッセージと「メカニズム」「メカナイゼーション」というキーワードで世界を震撼せしめた。シェイクスピア批評で大文字のMで始まるメカナイゼーションという語が出てくると、それは歴史の必然ということで王たちがくるくる操り人形のように栄枯盛衰を順ぐりに繰り返す神なき世界の政治のことを指す。それほど有名になったキーワード。それをそっくり、オーストリア=ハンガリー二重帝国の没落、ナチスドイツによる抑圧、そしてスターリニズムによる抑圧、それらに対する耐乏と抵抗のレアルポリティークとしてポーランド人ヤン・コットは受けとめた。自伝『ヤン・コット 私の物語』(みすず書房)はその壮烈な記録である。
 コットにはその激烈な政治的演劇論と一見ちぐはぐな博学博識の魅力の重なり合いがある。バルトルシャイティス(リトアニア出身)やルネ・ホッケ(ブルガリアの血筋)や幾多のマニエリスム論者たち同様、コットの盟友『不条理の演劇』(晶文社)のマーティン・エスリン(ハンガリー出身)にいわせれば一周遅れのトップランナーという具合のルネサンス的普遍人の魅力がある。『シェイクスピアはわれらの同時代人』が政治的アジテーションの革命書とすれば、今度文庫化なった『シェイクスピア・カーニヴァル』(原題『ボトム変容』)は、林達夫氏や山口昌男氏を魅了したコットの想像を絶する博識に途方もない魅力がある。前著の段階で読むことのかなわなかったバフチーン(スターリンの暴政の犠牲者)の祝祭論を嬉しくてたまらない風情で使いまくる。
 そしてもう一人、この本に最後まで魅了されたのが蜷川幸雄氏だったと知って、ぼくはさもありなんと思った。

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