ちくま新書

世界でいちばん花が好きな日本人

ウメの語源って知っていますか? 四季がある日本では、その季節ごとに様々な花が咲き乱れます。 それらの花のことをより知れば、もっと植物が好きになるはず。カラー写真満載の4月刊『日本人なら知っておきたい四季の植物』(湯浅浩史著)の「まえがき」を公開します。

 日本には四季がある。温暖化で季節が早まったり、遅れたりすることはあっても、基本的にその流れは、昔から変わらない。

 ふだん何げなく見ている景色も四季に移り変わる。それを彩るのは植物で、日本人は古くから関心を寄せ、行事や習俗に結びつけ、日々の暮らしに生かしてきた。日本人ほど行事に植物を取り入れた民族は少ない。正月の門松、二月節分の豆撒きにヒイラギ、三月ひな祭りのモモの花、五月五日のショウブ湯に七月七夕のタケ、八月の盆花。これらはいずれも暦に基づく行事で、行事そのものは中国の節句に由来しても、そこに用いられる植物は日本独自である。

 さらに、暦によらない植物行事もある。中秋の月見は月の運行に従うので、当然毎年のように日が変わる。中秋の月見は中国でも盛んだが、ススキを飾ることはない。また、なぜ、数ある秋花の中でススキを立てるのであろうか。そこにはサトイモと組合せたり、モチではなく団子を供えることと合せて、有史以前の古い日本の風習が今なお息吹いているように思えてならない。

 全く暦によらない日本独自の年中行事もある。その代表は花見で、サクラの花見と断わらなくても花見ときいただけでサクラの花が浮ぶ。毎年開花予測がされ、数輪開いただけで開花宣言が出され、満開となると、花見客のにぎわいぶりが一斉に報じられる。世界の新聞の中で、花の開花を一面で報じるのは日本だけである。また、集団で花を見て、酒を飲み、ごちそうを食べるのも、世界に類を見ない。

 秋には花を七種とセットにして数えたり、動物でないのに狩りと表現する紅葉狩り、花で人形を仕立てる菊人形と、日本人の四季の花や木への関心の深さは独特と言えよう。この伝統は暦のなかった時代、人々の暮らしのリズムが自然の動き、とりわけ花の開花で農作物の田畑の準備や種まきにかかる、いわゆる花暦が重視されていた伝統であろう。

 花の開花は一般には温度に左右されると思われている。確かに目に見える蕾となってからは温度の影響が大きい。しかし、サクラを初め、春咲く花木は前年の夏から花の準備が始まっている。夏至を過ぎて日が短くなり、夜が長くなると、それに応じて花芽は分化する。ただ、葉がある間は葉で作られる植物ホルモンのアブシジン酸によって花芽の伸長が抑制され、落葉後にアブシジン酸が分解された後には、温度により開花が促進される。アサガオやキクなどは花芽の伸長が抑制されないので、夏から秋に咲く。

 落葉樹の冬芽も夏至を過ぎてからすでに作り始められ、夏にはもう伸長を止め、肉眼でもわかる冬芽が形成されている。

四季の彩りに目を向け、伝統文化を味わおう

 これらの四季のリズムを日本人は古くから感じとり、暮らしに生かすと共に、花を楽しみ、稔りを喜んだ。現代は開花を日長や温度の人工的な調節で、年中鉢物や切り花が容易に得られるが、それは室内だけの観賞法で、野外や庭では自然にまかせた季節の移ろいがある。温暖化で多少の変動はあっても、それは暮らしにリズムを与えてくれる。人工的なものの中で生活を余儀なくされている現代だが、四季の彩りに目を向け、その歴史や文化に触れればうるおいが得られよう。

 日本の独自の伝統文化である和歌、俳句、生け花、また園芸植物にも日本の四季の草花や木々が関与し、それらの文化を育んだことはいなめない。

 日本最古の歌集は『万葉集』で、一二五〇年をさかのぼる。その二〇巻四五一六首の歌の三分の一以上が植物関連の歌であり、名のわかる植物も一六三種類を数える。第一位はハギの一四二首だが、詠み人のわかるのは四割に過ぎない。一方、第二位のウメは、一一九首のうち四分の三近い八八首に詠み人の名が記されている。サクラは五〇首中詠み人は半数しかわからない。つまりウメは中国から伝来して間がなく、主として上流階級で好まれていたのに対して、ハギやサクラは名を残さなかった庶民らが、古くから親しんでいたと言えよう。

 万葉時代、庭で栽培されていた植物は三〇種類ほどあるが、日本在来の種類は、花木がハギ、ヤマブキ、サクラ、フジ、アセビ、ツバキ、ウツギ、ツツジ、アジサイ、タチバナ、ネムノキの一一種類で、観賞木竹がマツ、カエデ、タケの三種類、草花がユリ、ナデシコ、ススキの三種類の合計一七種類あった。野外で観賞するだけでなく、身近な庭で四季の彩りをすでに楽しんでいたのである。その先覚者は大伴家持で、渡来種と合せると花木を一四種類、観賞木竹を三種類、草花を四種類の合計二一種類もの植物を庭で栽培していた。ヤマブキ、フジ、ユリなどは山から引き植えた動機も詠んでいる。

 平安時代になると『古今和歌集』で代表されるように歌は、まず春、夏、秋、冬の季節別に分類される。そしてその四季を分ける主要な構成要素は植物が占める。以降和歌の分類において季節は第一の要項となり、後の俳句の季語につながる。

 万葉時代は天皇自らも野に出て、自然を楽しめたが、平安時代になると上流階級も野山に出かけるのは少なくなってしまう。そんな中で四季の花々を楽しむ情景が紫式部の『源氏物語』に描かれている。光源氏は三十五歳になると親しい女性のもとに出かけて行くライフスタイルから縁のあった女性を一カ所に集めた六条院で暮らす。といってもライバルの女性たちに配慮し、四季の庭を造り、お互い隔てて住まわす。その春、夏、秋、冬の庭には、それぞれの季節を特色づける木々や草花を配する。これは日本の造園の趣向の一つの様式であり、自由に行動できない女房紫式部の理想の庭であったと言えよう。

 庭に四季の草木を集めて愛でる暮らしは、鎌倉時代の藤原定家いかも好んだ。日記『明月記』の庭の植物は四五種類にも及ぶ。兼好法師も『徒然草』で庭にありたき木々と草をあげる。室町時代、一条兼良は『尺素往来』で庭に植える植物として、四季別に一一六種類も列挙する。

 室町時代に展開し始めた生け花も、室内に四季の彩りを持ちこむという新しい観賞法を確立させた。江戸時代はさらに庶民がアサガオやキクなどのように鉢植えの園芸で季節を楽しんだ。この伝統は江戸時代に日本を訪れた欧米人を驚かせたが、欧米で庶民が花を栽培したり、室内で花を生けて飾るのは十九世紀からで、日本よりはるかに遅い。

 現代、花々は年中入手できるが、四季折々の彩りに目を向け、その伝統を知るのも、暮らしにうるおいをもたらしてくれよう。

 なお、本書では植物名は基本的に片仮名で表記した。これは紫陽花が本来、中国ではアジサイでなく、萩がハギでないように、漢名と和名が一致しない植物がある上、現在、植物学上は、片仮名表記が定着しているからである。