ちくま文庫

百景から全集へ
小沢信男『ぼくの東京全集』解説

紀行文、小説、評伝、エッセイ、書評、俳句、詩……。 小沢信男さんが、1951年~2016年の65年間に書いた作品で編まれた集大成の文庫『ぼくの東京全集』。 池内紀さんによる解説を公開いたします。小沢さんの作品世界への最良の案内です。ぜひお読みください!

 三十年ばかり前のことだが、小沢信男さんに初めて会った。いまもまざまざと覚えている。小柄で、ちょっと赤ら顔で、ややカン高い声。笑うと少年のように顔がくしゃくしゃになる。別れてから振り返ると、肩に古ぼけたショルダーバッグをかけて、かなり猫背で遠ざかった。
 そのとき『東京百景』をいただいた。そのなかの「いろはにほ屁(へ) と」にびっくりした。いろはの始まりは屁の話。相州片瀬村のおとらは村で評判の働き者。十九のとき縁あって江の島の漁師伊之助のもとへおこし入れ。翌朝、花婿は漁に出る。花嫁は仲人のもとにお礼参り。挨拶しようとしたところ、いつになく締め上げた帯がわるかったのか、おもわずブウと放屁一発――。
 時は明治十年(一八七七)八月のこと。この年の二月に西南戦争が起こった。田原(たばる)坂に血の雨が降り、熊本城に砂煙たなびいても、いっこうに決着をみない。九月に西郷ドンが自刃して終結した。その直後、見なれぬ星が空にあらわれ、あれこそ西郷星と人々はうわさした。
 そんな御時勢である。漁師村の新妻が、おもわずおとしたオナラから三人の死者が出た。その顚末が当時の新聞雑誌欄を引用してつづってあった。『東京百景』でいうと、Ⅰ・短篇集の中の一つである。国立国会図書館所蔵の埃まみれの新聞記事に、多少の現代語訳をほどこしたという。
 こんなふうに小説がつくれるのかと目を丸くした。ジャーナリズム黎明期。ニッポン国メディア事情があざやかに切り取ってある。当時の高飛車な文体は、以後この国のジャーナリスト人種のスタイルになった。
 『東京百景』のⅠは、ほかに短篇が五つ、Ⅱが句集で「東京百景」、Ⅲは随筆、Ⅳは明治・大正・昭和の点描集、主として書評を収録。つまりは小沢商店である。町の片すみにあって、仕入れから何からガンバっていて、どの品も生活者の目で吟味してある。そんなお店。
 月島、深川森下町、上野不忍池、神田淡路町……百景は風物にかぎらない。人もまた景である。長谷川四郎逝く。「あおぞらのどこかくずれて黄沙ふる」。中村喜夫薬石効なく。古賀孝之、享年七十七、「素町人ものがたり」の作者なり。長璋吉急逝の報、享年四十七。「問い返しまた問う空っ風のなか」
 景ごとに小沢さんの背中が見えた。猫背の丸まったのが建物に隠れ、また現われ、人ごみにまぎれ、またこぼれ出る。店先に佇み、空を見上げ、やおら使い古しのショルダーバッグをかけ直して、またトコトコと歩いていく。いっぺんに小沢さんが好きになった。作家小沢信男のファンになった。
 一九二七年生まれだから八十代の後半だが、いまなおその書きものは溌剌としてエスプリとユーモアに富んでいる。やんわりと毒がこもっていて、辛辣で鋭い。それでいて表現に恥じらいがあり、凜とした美意識につらぬかれている。いちど知ったら小沢ファンになること、うけあいだ。
 はじめは詩を書いていた。デビュー作は二十五歳のときの「新東京感傷散歩」。花田清輝や長谷川四郎らに認められた。彼らに学んだことは、党派をつくらず、ウレることを願わず、書きたいものを書きたいように書くこと。
 以来六十年あまり。小説、ドキュメンタリー、エッセイ、詩集、どれもさして売れなかったのに、ちゃんと筆一本で生きてきた。
『あの人と歩く東京』は題名どおり同行二人、相手役は古今亭志ん生だったり、内田百閒だったり。この世にいない人とつれだっての東京そぞろ歩き。上野から麻布、隅田川河口、別の日は本郷菊坂界隈。
「本郷菊坂は、有名なわりには寂れた商店街です。昔は知らず、私の知るかぎり三十年来、いつきてものんびり寂れていて、これで商売になるとは非凡といおうか……」
 ズボン堂という店があって、年中ズボンだけをあきなっている。その頑固さ。小沢式散歩のたのしさは、その眼差しのゆたかさによる。人間は自分の中味にかかわりのない事物は、いくらその前を通っても気づかないものなのだ。
 お相手が故人ばかりではつまらないので、地上にたしかに生きている ――いまとなっては地上からかき消えたが ――詩人、辻征夫と歩いたのが向島。隅田川公園を皮きりに言問橋の橋下をくぐって三囲(みめぐり) 神社を抜け、長命寺裏の桜餅で一服。辻征夫はこの地の生まれ。彼の詩「隅田川まで」が引用してあった。「隅田川は夜明けに/小川のせせらぎのようなかすかな/音をたてて流れる/わたしはそれをなんどかきいたことがある」     
 たしかにチョロチョロと水音がした。流れが土手を嚙んでいたのだろうか。やがて上を首都高速6号が蛇のようにうねって走り、のべつ車がシャーとかゴーとかの音をたててつっ走る。隅田川のせせらぎのまさに消えようとする間際を聴いたわけだ。
「瀕死の白鳥の歌を聴く役目というのもこの世にはあって、はからずもそれを担ってしまうのが詩人なのでしょう」
 作家小沢信男が詩人から出発したのを思い出そう。詩人はカスミを食っている風狂人と思うのは世俗のあさはかさであって、詩人はいつも誰よりも早く、まるで地震計のように世の変動を予告してきた。 
 いまはその名が消されてしまったが、鳩の街商店街から詩人の母校の隅田川高校を経由して向島百花園。どこか見知らぬ星を歩くようにぶらぶら、トボトボやってきた両名。茶店に入ってビールを飲もうとしたところ、アルコール類は午後五時からといわれて、やむなくコカ・コーラと三ツ矢サイダーでひと息ついた。いつものことながら、終わりの一行がまたいいのだ。
「さて、どこへいこうか、これから」
 冨田均氏と二人して歩いたのが『東京の池』だった。三四郎池、駒込六義園の池、日比谷公園心字池……。道案内のかたわら地誌をさぐり、歴史をたずね、社会状況にあたり、事件を報告し、現況をたしかめる。 
 あまりサエない一つが新江戸川公園で、北側の台地の斜面は鬱蒼とした樹林で、どこの山かと思うが、上に出るとまわりはビルだらけ。肥後熊本五十四万石、細川越中守の抱え屋敷のあったところで、明治になっても池でジュンサイがとれたというから、いかに水がきれいだったかわかる。崖の裾に湧水があるらしいが、いまはもう池を満たす力はなくて、ポンプで汲みあげて池にそそいでいる。
「春は桜、秋は紅葉、四季によろしいが、なによりこぢんまりとして、あまり人の来ないのがいい。なるべく来ないでもらいたい」
 最後の一行が小沢節のうれしいところだ。
 小沢さんとなると、いろんな記憶がかさなり合っていて収拾がつかない。東京と名のつく著書は、ほかにも『東京の人に送る恋文』『いま・むかし東京逍遙』、それに、そう、もっとも新しいのが『東京骨灰紀行』。骨灰は「こっぱい」と読んでもいいが、本来は「こつばい」だろう。トウキョウ・コツバイ・キコウ、大東京の土に埋もれた膨大な骨と灰をめぐるなんて、小沢信男にしかできない。タイトルをよく見るとキ・コ・キがまじっていて、白い骨がきしむようだ。同行二人ながら、お伴はお大師さんではなく、このたびは天災人災による無辜の犠牲者だった。
 明暦大火、俗に「振袖火事」といって、焼死者十万七千余。安政大地震、死者四千余。関東大震災、死者不明十四万。昭和二十年三月の東京大空襲は、わずか一夜で二十七万戸が焼け、羅 災者百万、死者推定九万。
 もとより、ほかにもどっさり死者がいる。「生れては苦界 死しては浄閑寺」、花の吉原の投げ込み寺には、大きな穴に投げ込まれた遊女の数が二百年余に約二万五千体、大半が二十代だった。
「それにしても、人間はこんなにむざむざ大量に死んでいいものか」
 骨灰になる前々は、むろん生身のヒトであり、世にあってけなげに暮らしを立てていた。それが一瞬にして千万の単位でくくられる。そして天災の多くは、かぎりなく人災にちかいのだ。関東大震災の復興にあたり、アメリカの救援がケタちがいに多かった。
「この気前のいい友愛の国を相手に、十八年後に戦争へ突入しようとは!」
 足どり軽く自在に時空を巡るなかに、テンポよくピリリと辛いコメントが入り、さておつぎとなる。すでにすっかり「地球の一部」となった者たちを語るのは、こうでなくてはならない。なにしろ辛酸も無残もいっさい忘れたぐあいに世界都市トウキョウは膨張の一途をたどっているのである。
 ー―以上、まわらぬ舌で小沢信男讃歌をつぶやいてきた。その仕事に接すると、背中をそっと押されたような気がする。じっとしていられない。ともかくも立ち上がる。たとえ半歩でも前に進むには、まず立ち上がることから始まるからだ。
 ひそかなメッセージが送られてくる、人生のなかで、決してゆずってはならない一点があるということ。仮にひとことで言えば精神の自由であって、それは身が裂けてもゆずり渡してはならない。ましてや安楽と引き替えに売り渡すなど、もってのほか。
 過去がとりたててよかったわけでもないのと同じように、この今に謳歌すべき何があるわけでもない。しかし死者は悲しく、生あればこそ、ちょっぴりいいこともある。少しいかがわしく、少したよりなく、欺し、だまされ、昨日とかわらないように見えて、人の世は微妙に変わっていく。現にいっせいに花咲くこともあれば、砂漠に似た寂寥を見せることもあるではないか。
 東京百景から東京全集。景がつどって時代をあざやかにしるしとどめた。つまりが大いなる転形期のたたずまい。そういえば花田清輝はサンチョ・パンザの女房の口をかりて言ったものだ。転形期とは「脇役が主役となり、家来が主人になるような時代ではないでしょうか」

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