難民高校生

女子高生が性を買われるということ
『難民高校生』(仁藤夢乃 ちくま文庫)刊行記念対談

女子高校生の頃、街を彷徨う生活を送っていた仁藤夢乃氏は、その体験を描いた『難民高校生』をちくま文庫で刊行した。一方、桐野夏生氏は、『週刊朝日』で、連載小説「路上のX」の執筆にあたり、仁藤夢乃氏の『難民高校生』を読み、仁藤氏が立ち上げた中高生支援団体のスタディツアーにも参加したという。いま、女子高生を「JKビジネス」にさらそうとする社会の問題、そして「親子断絶防止法」の大きな問題点まで実体験をもとに語り合う。

●『難民高校生』というタイトル

桐野 この『難民高校生』というタイトルはすごくいいけど、仁藤さんがつけられたんですか?

仁藤 はい。ちょうど2005年ぐらい、私が高校生のときに「ネットカフェ難民」という言葉が、テレビとかでよく流れていて、そのとき私もネットカフェ難民みたいな感じだったんです。でも、ネットカフェに行ける日はいい日、お金があるときでした。誰かがパチンコや麻雀で勝って連れていってくれるとか、お金を払ってくれる男の人と行けるとか、そういうときだったけど。テレビで、30代くらいの男性がネットカフェ難民、若年ホームレスになっているという報道を仲間たちと見て、「ウチらもじゃん」って言っていました。高校中退後に出会ったクルド難民の方と関わる中でも、「ウチらも難民じゃん」と思ったり。

 「毎日ビルの屋上にダンボール敷いて寝ている男友達がいて、彼は仲間の中でも「ホームレス」といってほかの男の子たちからバカにされているところがあったんですが、私も、本当に行くところがないときは彼のところへ行って、寝かせてもらっていました。ダンボールを敷くだけで泊まれるので。まあ、他人のビルの屋上で勝手にですけど(笑)。そんな生活もしていたので、「うちらホームレスだよね」みたいなことは、よく言っていたんですよ。そういうことから「難民高校生」という言葉になったんです。

桐野 ネットカフェ難民の頃って、私も覚えていますけど、急に非正規労働者がどっと増えたときですよね。若い男の人たちも行き場がない人が多くて、若いホームレスも珍しくなくなった頃です。「いつの間にこんなことになったの」と驚いたのを覚えています。あの頃から、世の中がすごく変わりました。

仁藤 私はまさにその時代の中で育ってきました。女の子たちへの性暴力は、性欲ではなく支配欲から来るものだと言われますけど、どんどん社会が悪くなっていく中で、男の人も生きづらくて、弱い立場に置かれた男の人たちが、自分より弱い立場の女の子を買ったり支配することで、「自分は男だ」と思いたいのかなとも思います。

桐野 そういう部分はあると思います。階級差別はある。けれども、その中にさらに性差別という構造がある。弱い人ほど、もっと弱い存在を見つけて、上に立つことでアイデンティティーを確かめたいのでしょう。排外主義もそうです。「援助交際」という言葉もありますが、あれって、女の子をさも「援助」しているみたいじゃないですか。上から目線で、イヤな造語です。

仁藤 「援助交際」という言葉は本当によくない、現実とかけ離れていると思うんです。児童買春の現場で起きているのは、「援助」でも、「交際」と呼べるような対等なものではなく、支配と暴力の関係性です。でも、買春しておきながら、本当に援助している気になっている人がたくさんいるんだなと日々感じています。

桐野 さきほども言いましたが、恋愛だと思い込んでいる人もいますしね。上から目線というか、暴力的支配欲です。本当は、お金で弱い人のほっぺたを叩いている。で、それを自己責任と言い換える。

 ちょうど2004年ぐらいに、イラクで今井君とか高遠さんが人質になったときに自己責任論が出てきた。そのころから世の中がすごく変わってきたと思うんですね。何度も言いますけど、非正規労働だって、結局は自己責任なんて言われたら許せないでしょう。それは産業構造の問題で、景気の安全弁として非正規労働者を生み出しているのですから。こんな世の中で、行き場のない少女たちの置かれた立場を考えると堪らないです。本当に難民でもあるし、被害者でもある。

●政治から「家族」への押しつけ

仁藤 少女たちがどんな暴力にさらされているかということが知られていくときに、たとえばJKビジネスが問題だと言えば、政治も行政も規制しようということにはノリノリなんですよ。でも、規制するとなったときに、結局、女の子をまず補導して捕まえようみたいなことになりかねない。

桐野 女の子だけが悪いことになってしまう。

仁藤 店の摘発もされているけど、女の子たちがそこに行きつくまでの背景に、教育や福祉や医療からこぼれ落ちていたりすることには目を向けてもらいにくい。家庭や学校や、児童相談所や児童福祉施設、福祉事務所や警察や病院など、子どもを支えるはずの場所で不適切な対応が行われているという現実は、認めてもらいにくい。子どもの性の商品化に寛容な社会を変えていくことと同時に、どう子どもを支えていくのかという部分を見直していく必要があると思うんです。

桐野 いまは家族自体が壊れているところも多々ある。貧困家庭、一人親家庭、虐待、遺棄。そんな中で、ピンポイントでやってもよくなるわけないじゃないですか。それなのに、性的分業役割が強制される。働くいいお父さんと、家にいる優しいお母さん。お父さんはたくさん稼いでお母さんは時々パートに出るけど、ご飯を作って育児をする。そんな時代に合わない家族観が、はみ出てしまう人を苦しめるのです。

仁藤 自民党は、憲法24条の改憲草案に「家族は互いに助け合わなければならない」という一文を入れていて、これを知ったときはぐったりしました。多様な家族がある中で「家族」という単位にしばられずに支えあえるような社会になればと私は思っていますが、弱者へ寄り添う目線がないですね。

桐野 確かに憲法24条の改悪です。男女平等と個人の尊厳を無視して、伝統的家族観を押し付けようとしている。

仁藤 家族なんだから支えあいなさいとか言われたらほんとに苦しい……。

桐野 時代に合いませんし、根本的解決にならない。LGBTの方もいらっしゃるし、家族なんてどんどん形態も変わります。

仁藤 最近、いろいろなところで親子の絆とかいうことを法律の中にも入れようとしていますよね。

桐野 最悪です。

仁藤 「親子断絶防止法」という法案を国会に提出しようという動きがあるんです。この法案は、親が離婚や別居をする際に、親権を求めて「子どもを無断で連れ去る」ことが多いことから、子どもと別居親の面会交流の義務化や、別居する前に子どもの監護者を決めることを国が促すことなどを定めるものだということなんです。

 「親子断絶」というと、なんだかすごく怖いことのように感じるし、「子どもの連れ去りなんてよくないよね」と思うんですが、妻が子どもとともに夫のDVから逃げているケースが多くある中で、それを「連れ去り」と呼んだり、別居する前に子どもの監護者を決めろと言われても無理がある。

桐野 道徳的に何かをカバーしようとすると危ないです。

仁藤 法案の目的について、有志の議員連盟は「離婚等の後も子が父母と親子としての継続的な関係性を持ち、その愛情を受けることが、子の健全な成長及び人格の形成のために重要である」「離婚等の後における子と父母との継続的な関係の維持等の促進を図り、もって子の利益に資する」とあるんですが、私は両親の愛情がなくても、それ以外の養育者など、他人との関わりを通して健全に育っている人を知っているし、離れた親との交流を続けることが子どもの利益になるということを前提として法律が作られてしまうのは怖いと思うんです。

桐野 会って危ないケースもある、と思うんです。さっきの補導後のケアがないという話がありましたし、一人親家庭の親の心の問題のケアがないという話もありましたけど、そういう大局的な見方をなくして、ただ道徳で縛ろうとしている。危険というよりも、人を不幸にする。愚かしいです。

仁藤 しかも、この法案を推進する連絡会は、「面会交流にあたって、子どもの意思を尊重することに反対します」とホームページで明記しているんです。私の両親も離婚しましたが、家庭によって事情は様々であるからこそ、その時々の状況や子どもの気持ちに応じて、面会交流ができるような制度や環境を整えるべきだと思うのですが、この法案には、別居親が子どもに会う権利ばかりが盛り込まれ、子どもがそれを選択する権利や、子どもへのケアについての視点が欠けていて。

桐野 ずいぶん乱暴な法律ですね。そんなのより、「養育費を払え」と言うほうがいいんじゃないですかね。

仁藤 ほんとうにその通りです。

桐野 要するに、女が離婚することに対するバッシングなんですよね。我慢しろということでしょう? いま、世の中は女性活用と言いますが、「産めよ増やせよ」じゃないですか。女の人にはみんな、子供を産まなくてはいけないような雰囲気に持っていくというか、本当に若い女の人にとっての受難の時代が始まりますね。下手したら優生保護法も改悪されるかもしれないと危惧しています。

仁藤 学校の性教育でも、「誕生学」などの科学的に根拠のないことを含む道徳的な授業を性教育として取り入れようとするところが増えていますが、大切なのは、命や家族のすばらしさを説くことではなく、現実を教えることだと思うんです。どんな危険があって、どんな身の守り方があるのか、頼れる人がどこにいるのか、どんなふうに自分の性を扱い、コントロールしていくのかを、女の子だけでなく、男の子にも教える必要があると思います。今、大学生などの若い男たちも、簡単に中高生を買春していて、それを自慢する人たちもいます。

桐野 仰る通りです。理念のない教育は、心底、恐ろしいです。

●男子にも必要な性教育

仁藤 それなのに、中高の授業では「売春」という言葉も使えないんですよ。使っちゃいけない言葉ということになっていて。

桐野 じゃあ、何と言うの?

仁藤 教えられないんですよ。だから、学校の先生は「生殖」については話せても、「性」の扱い方や、問題を教えることが難しいので、私を授業に呼んでくれて。

 児童買春についても、性教育の中で教えられていないですね。中学や高校で授業をするとき、学校側から「生徒の中には性的な経験のない人もいるので、生徒の性的好奇心を掻き立てるような内容や言葉遣いはやめてください」と事前に手紙をもらったこともあります(笑)。

桐野 大丈夫ですかね。

仁藤 しかも、対象は中3なんですよ。

桐野 もう、好奇心満載の年齢じゃないですか。

仁藤 そこで「性的好奇心をそそる言葉って何ですか」と聞いてみたいと思いつつも、NGが出ちゃうと嫌なので、聞かずに授業しようと思うんですけど。例えば「セックス」だって、べつに普通の言葉ですよね。「中出し」や「生」や、「顔射」(顔に精液をかけること)は当たり前のことではない、とか、子供にわかりやすく、子どもたちがリアルに使っている言葉でわかりやすく伝えたりするんですけど、もしかしたら、そういう言葉遣いもNGと言われてしまうかもしれません。

桐野 言葉狩りですね。事実を隠蔽して。

仁藤 そうなると、もう精子と卵子の話をするしかなくなっちゃうので。

桐野 おしべとめしべか(笑)。しようがないな……。やっぱり、いまはほんとに伝統的家族観を推奨しているような状況だから、性教育もそうですよね。臭い物に蓋ですね。蓋をすれば、とりあえずいいという。被害者がたくさん出そうです。

仁藤 私の授業を聞いて「うちの子にはまだ早いと思った」と中高生の親が感想を書いてくることもありますが、中高生にもなって、スマホを持っている子なら、もう誰でもAVくらい見ています。子どもたちが見ているAVは暴力的なものばかりです。女性が「嫌」と言っても最後には喜ぶとか、レイプや痴漢などの性犯罪をモチーフにしたものも溢れています。実際に性暴力の現場を収めたものが映像として流されたり、販売されている場合もあります。もちろん、コンドームを装着するシーンなんてありません。AVはフィクションだということや、暴力によって撮影されたものを消費する存在であっていいのかということ、女性の性の商品化についてや、自分の性欲をどうコントロールするかということを男子にも考えてもらいたいです。

――きょうはありがとうございました。               (2017.1.12)

2017年3月29日更新

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仁藤 夢乃(にとう ゆめの)

仁藤 夢乃

1989年生まれ。中高生のころ、家庭や学校に居場所がないと感じ、街を彷徨う生活を送った。高校を2年で中退。その後、ある講師との出会いをきっかけに社会活動を始める。大学進学後、友人らが路上を彷徨う生活から抜け出せずにいることから一般社団法人Colaboを立ち上げ、シェルター運営等を通して、虐待や性暴力を受けるなどし孤立・困窮した中高生世代の少女たちの自立支援を行っている。

桐野 夏生(きりの なつお)

桐野 夏生

1951年金沢市生まれ。1993年『顔に降りかかる雨』で江戸川乱歩賞、1998年『OUT』で日本推理作家協会賞、1999年『柔らかな頬』で直木賞、2003年『グロテスク』で泉鏡花文学賞、2004年『残虐記』で柴田錬三郎賞、2005年『魂萌え!』で婦人公論文芸賞、2008年『東京島』で谷崎潤一郎賞、2009年『女神記』で紫式部文学賞、2010年『ナニカアル』で島清恋愛文学賞、2011年同作で読売文学賞を受賞。2015年、紫綬褒章を受章した。近著に『猿の見る夢』『奴隷小説』『抱く女』など。「路上のX」を「週刊朝日」で2016年1月22日号から2017年2月3日号まで連載。

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