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わが世田谷は緑なりき
実相寺昭雄『ウルトラ怪獣幻画館』解説

本年3月29日に生誕80周年を迎えた故・実相寺昭雄監督が描いた、ジャミラ、メトロン星人、シーボーズなど人気怪獣・宇宙人の味わいある画文集。生前交流のあった批評家が解説を寄せています。


 瞬く間に没後十年を迎えた実相寺昭雄は「映画監督」という肩書で要約されるが、そもそもはTBSのディレクターとして数々のスタジオドラマや中継番組の演出を手がけ、その延長でスタジオドラマと劇場用映画の折衷と言うべきテレビ映画(主に16㎜フィルムで撮影されたテレビドラマ)の傑作を続々と生みだした。実相寺ファンの中核をなすのは、この実相寺演出のテレビ映画(そこに『ウルトラマン』『ウルトラセブン』『怪奇大作戦』といった代表作も含まれる)をテレビで見て熱中した一九六〇年代の子どもたちであろう。
 そのため、実相寺昭雄と言えばまず『ウルトラマン』が引き合いに出されるのだが、ある世代にとっては『無常』『曼陀羅』『哥(うた)』のような和の官能美と難解な反権力テーゼに貫かれたATG映画の尖鋭な作家であり、ある世代にとっては大作『帝都物語』や江戸川乱歩、京極夏彦のミステリ原作の映画化で人気を博したレトロな情趣ある娯楽作の手だれであり、さらにはモーツァルト『魔笛』を筆頭とする秀作を手がけたオペラの名演出家であり、エロティックで戯作的な小説や特撮世界から鉄道、小旅行をめぐる滋味ある随想の書き手であり……安易な要約を拒む豊饒な(いやむしろ雑多な)表現世界が広がるのである。
 だから、たとえば新聞記事などでは、せいぜい気がきいていても『ウルトラマン』とATG映画(または『帝都物語』)の作家と要約されるのが関の山だが、実際に実相寺が遺した表現物を網羅的に振り返ってみると、まあ本当にこの作家は何者でいったい奈辺を目指して多岐にわたる表現意欲を沸騰させていたのか、わけがわからなくなる。
 私はこの実相寺のつかみきれない表現宇宙、表現曼陀羅をあたう限り余さずすくいとってみようと、『実相寺昭雄 才気の伽藍』という評伝的論考を著したのだが、この過程でひじょうに特異な経験をした。というのも、通常ならある映画作家の生涯を探ろうとする時に、ほとんど満足な資料が遺されていることは稀で、それこそ何か手がかりを求めて髪の毛一本でも落ちていないかと捜索するはめになる。ところが実相寺の場合、ハイティーンの頃から思索的で綿密な日記を綴り続けており、そのほか折々の蒐集物も含めて、途
方もない量の「生の痕跡」が更新されていた。
 したがって実相寺について俯瞰的な要約を試みようとすれば、このおびただしい資料群から「どれだけ大胆に資料の山を切り捨てられるか」という試練に向き合うはめになるのだ。これは極めて例外的な事態である。しかしその覚悟なくして、実相寺の残した膨大な日記やメモ、書画などにいちいち耽溺していたら、もうこちらが一生ぶんの時間を吸い取られそうである。そして、そんなやっかいなまで広大に、キテレツにひろがる実相寺宇宙の一端を記録に留めるうえで、本書の出版はこれまたひじょうに貴重な出来事だ。
 本書に収められた豊富な図版を見て、読者諸氏は実相寺が美大などで学んだ監督なのだろうと勘違いされるかもしれないが、まさに書も画も自己流の独学である。画の原点はどこにあるのだろうと、実相寺の若き日の日記を渉猟したら、すでに暁星学園から早稲田大学に進んだ時期の日記にジャン・コクトー的な洒脱なイラストがふんだんに登場する(もっと言えば思索的な文章が急にフランス語に転ずることもあって、実相寺は若くして語学にも長け、早大在学中に公務員試験に受かって外務省に勤務していた、という文字
通りの天才肌であった)。
 この生来の絵ごころに顔真卿(がんしんけい)を模したという書の覚えが合わせ技となっ
て、実に風味ある「実相寺画文」が誕生した。映画監督のなかには、たとえば黒澤明のようにゴッホとシャガールを足したような画風で二科展に入選したような作家も稀にいるが、実相寺の場合、これだけ凝った書画を次々に描きながら、それは別に美術展に出品したり出版したりという目的があらかじめ存在するのではなく、ただ描きたいものを気ままに描いていただけのことであり、せいぜい親しき人たちに送る年賀状の図案にするのみであった。
 後にそれで終わらせるのはもったいなさすぎると、著書の挿画として使用することを請われるようになったが、実相寺本人はあらかじめそういうことには無頓着で、とにかく描きたいものを描きためていたのだから凄い。こういうものを筆頭に、たとえば生涯にわたって記された日記も(誰かに見せるということで書かれたわけでもないのに)あたかもそれが作品として遺っても通用するような丁寧さで記され、最後の闘病時の余命を察して以降の日記などは文字が画のようにデザインされ、鬼気迫るアートのようになっていた。
 そんな欲も得もなく、ただ書画への愛着だけで綴られた「実相寺画文」の、おそらく最もなじみやすく、穏やかで優しさとヒューマーに満ちた「一角」が、本書に収められた作品群であろう。その作品の平和さのよって来るところは、もちろん実相寺の「怪獣」たちへの愛着と思い入れであるわけだが、ここで断っておくなら、破格の演出にこだわってTBSから円谷プロに出向し、人生のなりゆきで特撮物を手がけるようになった実相寺にとって、この「怪獣」どもはとても手放しで愛せるものではなかった。
 というのも、決して実相寺は当時の世間のように特撮物を子どもだましの粗製品とは解さず、学生時代から円谷英二と本多猪四郎の特撮映画には畏敬の念を抱いていたこともあり、円谷プロに来た以上は、本格的で志高き作品を実現してやろうという意欲に燃えていた。だが、実際の現場は『ウルトラ』シリーズの秘めし可能性には気づかず、お定まりの子ども向け作品を撮っていればいいのだという空気が漂い、いかにコンセプチュアルな尖ったデザインの「怪獣」を構想しても、実際に着ぐるみとして造形されてくるものはあまりにセンスの悪いもので、そのことに実相寺はたびたびため息をついて「絶望」していたのであった。
 はしなくも本書で『ウルトラマン』“恐怖の宇宙線”のガヴァドンのフィギュアを描いた画に「フィギュアは作品を補完する」という一文が添えられているが、随想集『闇への憧れ』などでの言及を読めば、撮影当時の実相寺にとってガヴァドンの着ぐるみは「巨大化したはんぺん」としか映らず、相当がっかりしていたことがわかる。確かに、時代がめぐってデザインにうるさい原型師たちが繊細なフィギュアを作り出すようになってから、“ああ、制作当時のスタッフは本当はこんなセンスのいい、オトナも鑑賞できるクリ
ーチャーをこそ作りたかったのに、技術的、予算的、人材的な制約ゆえに手を打ったことも多いのだろうなあ”と推察することはままある。
 まさに誰よりもそんな思いの強かった実相寺としては、「怪獣」たるもの常に異界のもの、人智を超えた自然物であって欲しかったわけだが、いくらその狙いを口酸っぱく訴えても、望むところの奇異さ、おぞましさは表現されず、子どもじみたコミカルさにおさまっているのが大不満であったようだ。たとえば『ウルトラマン』“怪獣墓場”の人気怪獣シーボーズは、骸骨そのもののような呪わしき形状を想定したはずが今で言う「ゆるキャラ」どまりで、“真珠貝防衛指令”のガマクジラも相当おぞましく気味の悪い造形を希望したらずいぶん滑稽な出来で、実相寺はことごとく幻滅を表明してやまかなった。
 ゴダール『アルファヴィル』的世界観を狙った“地上破壊工作”のテレスドンなどは「おけら」のデカいやつ呼ばわりされ、今や実相寺作品の代名詞のような『ウルトラセブン』“狙われた街”の人気宇宙人・メトロン星人ですら「長ぐつのお化け」と手きびしい評価であった。どうやらこの時分の実相寺作品でこうした実相寺の酷評の対象とならなかったのは『ウルトラマン』“故郷は地球”のジャミラと『ウルトラセブン』“円盤が来た”のペロリンガ星人ぐらいではなかろうか。この実相寺の「怪獣」造形への不信は、ひいては特撮班の仕事への不信となって、ついには『ウルトラセブン』“第四惑星の悪夢”のように「怪獣」も特撮も排除しまくって、ただ人間が生身でアンドロイドを演ずるという仕立てに振りきったことで、特撮班との間で物議を醸すことにさえなった。
 敬愛する本多猪四郎監督と円谷英二特技監督の協働によって生み出された怪獣映画の、いや日本映画の至宝『ゴジラ』は、実相寺がまだTBSに入局する前のティーンの頃に公開された。その東宝撮影所の粋ともいうべき名スタッフが作りだしたファンタジーを、実相寺は「ゴジラよ 東京を燃やしちまえ」というひとことを添えて、畏敬と愛着たっぷりに画にしている。しかし、自分が作り手にまわって携わった『ウルトラマン』『ウルトラセブン』『怪奇大作戦』の現場では、実相寺は『ゴジラ』とは別世界の厳しい制作条件にうなだれるばかりで、ようやくメイン監督として意欲をもって立ち上げた特撮ヒーロー物『シルバー仮面』は、視聴率的に玉砕して実相寺は撤退を余儀なくされる。「銀の光の流れ星」という名コンビの脚本家・佐々木守の主題歌歌詞を詠んだ『シルバー仮面』の画は、はなはだ哀愁を帯びている。
 実相寺の「怪獣画」から横溢する幸福感からすると、こうした「怪獣」とのさんざんな蜜月は想像に難いかもしれない。だが、いくぶんの韜晦も含まれようが実相寺にとっての「怪獣」たちがこんな辛辣な形容にまみれていた事実にはぜひふれておきたかった。だがなんと、シニカルさに満ちた『闇への憧れ』から十年を経た一九八〇年代後半、ちょうど実相寺が自伝的小説『星の林に月の舟』を著した頃から、明らかに実相寺のなかで変節が起こっている。この小説で架空の演出家・吉良平治の青春記に仮託して語られる『ウルトラマン』の現場は、確かに実相寺の若き日の幻滅を描きながらも、したたかに優しさに満ちている。尖りに尖って現場を「革新」していたテレビ映画最盛期からすでに二十余年を経て、時代は後にフィルムを駆逐するハイビジョンが導入されつつある季節であった。
 この頃、テレビマン的な嗅覚でハイビジョンに関心を示し、一時は大作映画『帝都物語』全篇をハイビジョンで撮ろうとさえ考えた実相寺だが、このデジタル化の波のなかで一気に大過去のものとなりつつあったアナログ特撮の世界の魅力が、逆に得難い甘美な記憶として再浮上していたのではあるまいか。当時の実相寺の文章や発言にふれると、制作当時からしばらく続いた「怪獣」たちへのハードボイルドなまなざしは噓のように消えて、まるで「あいつらバカでカッコわるい連中だったけど、けっこう素朴でいいヤツだ
ったよな」と寛大な愛情を吐露するようだった。これは以後連作される『ウルトラマン』以後の円谷プロの現場を回顧する文章にあっても同様で、CGが幅をきかせるハリウッド流の特殊効果が「SFX」と称されもてはやされる風潮に抗うように、実相寺は俄然ハンドメイドの円谷流アナログ特撮と、その典型的アイコンである着ぐるみの出来損ない「怪獣」たちを、比類なき愛情で顕揚しはじめたのであった。
 本書のなかに「ウルトラの匂い 世田谷の夢」「ウルトラマン、低く、世田谷の空を飛ぶ」といった「世田谷」をめぐる添え書きがあるが、実はこれもこうした実相寺ごのみを知る鍵であろう。ここで言う「世田谷」のイメージは現在の世田谷区のありようとはまた違うものだ。すなわち、戦中の実相寺少年は電車に乗って「郊外」にある暁星学園の学校農場に行くのが「遠足」のようで楽しかったというのだが、ここでいう「郊外」とは実に世田谷区用賀のことであった。この世田谷の「郊外」感は戦後の高度成長期以降、次第
に失われていった。都心のTBSから「世田谷」の円谷プロや東宝ビルトに仕事の拠点が移った実相寺は、思い出深き「郊外」の自然を道路と住宅地が侵食してゆくさまをため息をつきながら見届けていた。
 すなわち、実相寺にとって円谷プロのアナログ特撮の世界は、幼き日に好きだった緑多き環境としての「世田谷」=「郊外」のイメージと重なり合いながら、かけがえのない理想郷のような思い出に熟成していったのだろう。その優しさのもと、実相寺は自分が造形に失望した「怪獣」たちを召喚し、自らの絵筆で最大限にカッコよく「補完」してあげることで、かつてむげに腐しまくったこの連中に罪ほろぼしをするかのようである。
 

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